第三話 2
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「おー、君が我らがボーカル、クロカっちの新しい友達かにゃ?」
「気を付けなさい。そいつ、とんでもないド変態だからね。うっかり近づいたら、全身くまなくべろべろのぐちゃぐちゃに舐め回されるわよ」
そこまではしない、と言おうとして、許されるならするだろうな、と自己分析したらいかは黙った。そこできちんと黙れるあたりが、彼女に最後に残された良識であると言える。
放課後。らいかが連れてこられたのは、校区からはやや外れ、右京区の入り口、西院駅からさらにもう少し西。なんの変哲もない一軒家のガレージだった。
ただしその内側に収まっているのは車ではなく、並べられた楽器と、そして四人の女だったが。
楽器に囲まれるように、ガレージの中心に置かれた二台のカウチと小さなテーブル。それ以外にも大小四つほどの椅子が並べられ、四人のうち二人はそちらに腰掛けている。残りの二人はカウチを一台ずつ占領し、おそらくは余った椅子二つに、クロカとらいかが座るという計算なのだろう。
らいかとクロカを含めれば、六人。姦しいという字が二つ作れる人数だったけれど、残念ながらその語にふさわしいほどの盛り上がりは、まだない。冷たい沈黙と共に、視線ばかりが一身に集う。
らいかはチラリと隣に立つクロカへ視線を向けた。
彼女の姿は、今は学校でのそれとは似ても似つかないものへと変化している。眼鏡を外し、髪型を変え、きっちりとメイクを整えて、服装までをも総取っ替えし、今ここにいるのは、あの夜、ライブハウスで見たボーカル少女。場所にふさわしい姿、ということか。
ボーカル少女はらいかと目が合うと、早くしろとでも言いたげに強気な目線で顎をしゃくる。助け舟は出航見合わせらしい。らいかは肩をすくめた。
「初めまして。六町らいかだ」
とりあえず、自己紹介をしてみる。が、返礼は探るような視線が三対六つと、半分この世ではないどこかを見つめている酔っぱらいの瞳が一対二つ。
「おー、あたしっちは
返事をしてくれたのは、最初に声をあげたのと同じ、赤ら顔の酔っ払いただ一人だった。脱色して真っ白のザンバラ髪を不規則に揺らしながら、瓶ビールを片手に陽気に言う。
アルコールが入っていなければ、クール系とさえ言えるだろう鋭い顔立ち。背は低く、胸は平たい。寸胴ではあるが手足が長いため、いわゆる幼女体型ではない。
が、そんな身体的特徴は、その衝撃的なファッションの前に宇宙の遥か彼方へ霞む。
半袖のTシャツ一枚に、パンツ一丁。
ボトムスを洒落て呼んでいる訳ではない。文字通り、下半身に身につけているのが、サンダルを除けば下着一枚きりなのだった。
それを隠すことも恥じらうこともなく、堂々と大股開きで見せつけて、カウチにどかりと座る。
らいかにとっては目の保養。ありがたく拝ませてもらってはいるが――やはり彼女が変態の誹りを否定することは不可能である――メンツの一人目からそれである。
いきなり、不穏な気配が漂っていた。
「一応、このガレージの持ち主、こいつだから」
隣から、クロカが捕捉してくれる。
てっきりクロカの家かと思ったが、考えてみれば、自分がバンドをやっていることを隠そうとしていた彼女が、わざわざ自宅を集合地にするのもおかしな話だ。
「元々は親父の趣味のバイク置きだったんだけどさー、親父が飽きて全部売っちったから、空いたガレージ好きにしていいって言われたんだよねー」
それで有効活用してる、ってわけー、と彼女は間延びして言った。
「そうなのか。場所の提供、ありがとう」
「気にすんなよー、今じゃみんなの溜まり場だから。クロカっちの友達ってんなら、あんたもあたしっちの友達だ。よろしく頼むぜー」
軽い返事と共に、座ったまま手が差し出される。近寄って軽く握り返せば、その内側には硬いタコの感触。奇しくも、双方。
「ありゃ、鍛えてんね。もしかして、おねーさんもドラムやってんの?」
どうやら、彼女のタコはそれが原因であるらしい。
「いや、私は楽器はからきしでな。後、おねーさんじゃない。クロカと同い年だ」
「んじゃタメかー」
発言と酒瓶を見比べて、ん? と首を捻りかけたが、クロカが慌てて耳打ちする。
「私、ここじゃ二十二ってことになってるから」
「なんで逆サバ読んでるんだ?」
「未成年じゃあんなライブハウス入れてもらえないわよ」
え、私は普通に入ったが……なんて思うらいかだが、しかし彼女が所属していない一般的社会の倫理に照らし合わせてみれば、アルコールどころかドラッグの取引が行われるような環境に、未成年が出入りしていい道理など一つもなかった。
クロカが装いを変えているのは、そういう事情もあったらしい。
「おねーさん、じゃねーや。らいかっちも飲むかい? ビール」
内緒話の内容などつゆ知らず、酔っ払いは仲間を増やそうと誘いをかける。
ちゃぽん、と瓶を揺らされて、らいかは釘付けになった。
「いただこう」
ただ酒より美味いものはない。新しく栓が抜かれ、しゅわしゅわと発砲音を鳴らす瓶が手渡されると、らいかはたちまち機嫌が最高潮になった。隣でドン引きしているクロカの冷たい視線も今は気にならない。なぜって、この場で自分は二十二歳なのだから。憚る必要はどこにもない。そのまま瓶口に口をつけて、勢いよく喉を鳴らす。
「いえーい。いい飲みっぷりー」
そんな声を聞きながら、味と喉越しとアルコールを楽しむ。
缶ビールによくあるような、いわゆる日本のビールではない。クラフトビールだ。苦味は淡く、熟し切った南国の果実のような甘みを感じる重い香り。ヴァイツェンだろうか? 問えば、彼女は首を傾げて答える。
「さー、しらーん。親父が売ってるやつパチってるだけだからにゃー」
「こいつの父親、輸入商なんだ」
親指だけで完全子を指して、その斜め脇――もう一つのカウチに座っていた茶髪の女が言う。不敵な微笑み。三白眼。やや巻き毛気味のショートヘア。耳どころか鼻や唇、舌にまでピアスを開けて、額に刺青を入れたその姿は、まるっきりヤンキーもいいところ。服装こそ野暮ったいジャージだが、それが逆に不良らしいとも言える。
このような手合いは、決まって性欲が強い。無論、あくまでもらいかの経験上の、愚かしいまでの偏見に曰くしてのことであるが、それを思う本人が客観視などできようはずもない。らいかは勝手に、えっちそうな女だなと失礼極まりない感想を抱いていた。
「俺は
何が引き金となったのか、態度を軟化させた彼女は朗らかに両手を広げる。そこに飛び込んでいきたいな、とらいかは思った。誰がどう見ても、ダメ人間だ。
「何が大歓迎だ。人間のクズはもう間に合ってる」
それに口を挟んだのは、椅子組の片割れ――黒一色の長髪を後ろで纏める長身の女。グラマラスな体型を無造作にもタイトなシャツとジーンズで包むものだから、体型が浮き出て見える。らいかにとっては、実にそそる見た目である。そうとも、らいかは人間のクズだ。
「棟梁の友だというから、まともな人間かと期待したのに」
やれやれ、と首を振る。名乗ってくれるつもりもないらしい。そんな彼女に、もう一人の椅子組が苦笑いで答えた。
「いや、うちら全員クロカの友達な時点で無理があるっしょ」
口の端にタバコを咥えながら、彼女はケラケラと笑った。瞳どころか顔の大半を覆う、伸ばしっぱなしの金髪に隠れて、顔立ちは不明瞭。だが少なくとも、覗く唇はみずみずしく、大変セクシーだ。
「つーか、自己紹介しなよ。名前覚えてもらえないよ?」
「……覚えてもらわず結構。
「なんだようカッコつけちゃってさ。いいもんね、うちが代わりに紹介しちゃうから」
拗ねたように唇を尖らせて、彼女は言葉を続けた。
「この子、
へへへ、と笑って言う。いいやつそうだな、と思った。そして何より、乳首見えてるな、と思った。
首元が緩みすぎて、もはやTシャツとは別の物体になりつつあるそれを纏っているせいで、椅子に両手を付いて前屈み気味に座っているところを見下ろすと、胸元から余裕で中が覗ける。しかもその内側には、下着と呼べるものを何一つして身につけていない。ブラジャーさえも。痩せ型ゆえに、ほとんど起伏がない胸だけれど、だからこそその頂点に立つ桜色の突起二つを明瞭に見つめることができてしまう。奇跡のような必然の絶景。らいかは神に感謝した。
「んで、うちの方は
「ああ、すまん。いくら払えばいい?」
「ひゅー、大型新人だねぇ」
新メンバーにふさわしいぜ。と深く頷かれる。よくわからないが、歓迎されているらしかった。
「……馴染めそうね。悲しいことに」
何が、という主語はあえて置かずに、クロカは冷めた声で言った。
「んで、なんで今になって新メンバーなんだい?」
伽羅子が問う。水を向ける先は当然クロカだ。
「新メンバーじゃないわ。強いて言うなら、アドバイザー? あるいはオブザーバーってとこかしら」
彼女は腕組みしながら言う。
「うちのクソも流行ってないMVの出来に、一家言あるそうよ」
なんて挑発的に言われてしまうと、然しものらいかも言葉を引き継ぎづらいけれど。
しかし。
「ライカーズの曲は、いい曲だと思う」
言えば、クロカ以外の全員が揃って頷いた。当のクロカだけがすでに聞いた言葉であるはずなのに照れたようにたじろいでいる。
「だからこそ、動画で損をしている気がするんだ」
後にした説明は、クロカにしたものとほとんど同じである。
「心が震えない、ねぇ」
座ったままの姿勢で片膝の上にもう片足のくるぶしを乗せ、半跏趺坐の様な姿勢になりながら、虎兎は言った。
「それって、あれじゃねーの。オーディオの問題じゃね? どうせ、スマホとかで聞いてんだろ?」
「それはまあ……うん」
風来坊を気取るらいかでも、近年の、と言うにはもうかなり時間がたったデジタル化の波には抗えない。仕事を一つとってくるにも、スマートフォンが無ければ苦労する。しかしだからと言って、それを使いこなせているわけではない。
有体に言えば、らいかは機械音痴なのだ。オーディオ、という語句にさえ、一瞬ピンと来なかった。
「だがそもそも、今の時代聴衆のほとんどが何で聞くかという話だろう」
「スマホで聞いてダメなら意味がないよなー」
熟々丸の意図を完全子が拾う。
つまり、オーディオにこだわらなければ伝わらないような音楽が、このスマートフォン全盛期に果たしてどれだけの人に伝わるのか、ということだ。
「そもそも」
伽羅子が区切る。
「らいかちゃんは音の問題じゃないって言ってるわけでしょ?」
「うん。演奏に問題があるわけじゃないと思う。綺麗な音だ」
「だけど心が震えない、ってんなら映像が原因って話だよな」
もとより、話の主軸はそれだ。自ら方向を引き戻して、虎兎は続ける。
「それで言うなら――責任の所在は俺、か?」
「株主総会じゃないんだからね、犯人探しの吊し上げなんてやんないわよ」
自嘲するような虎兎の言を、クロカは即座に否定する。
「それに、映像の作者って言うなら私もでしょ。自分一人のもんにしてんじゃないわよ」
どうやら、あのMV群は虎兎とクロカが主軸となって作ったものらしい。
「ま、単純に動画編集系統のスキル持ってんのが二人だからねぇ」
しみじみと言って、伽羅子は笑った。
クロカはともかく、虎兎もまたその手の技能には明るいのか。少し意外だ。もしかすれば仲間なのではないか、と期待していたが。
「うちはワードエクセルくらいしかできねーから羨ましーや」
伽羅子もまた、向こう側の存在であるようだ。
あるいは、機械音痴はこの場で自分だけなのかもしれない。らいかは少し落ち込んだ。
「あたしっちはパソコンなーんもわからん!」
あはは、と戦力外の酔っ払いが笑う。らいかは肩を組みたくなる衝動に襲われた。
「でも、MVがダメだからって曲一本で勝負ってのはもっと無謀だよなー」
「情けない話だけどね」
クロカは肩をすくめる。ネガティブスイッチが入りかけているな、となんとなくらいかは感じ取れた。
「実写なのが悪いのではないか」
それを言ったのは、意外にも熟々丸だった。
「少なくともネット上に限って言えば、昨今の流行はアニメ系のMVだと言える。メジャーデビューしているような大手ならばともかく、我らのような予算も技術もないインディーズなら、今の時代、下手な実写よりイラスト一枚の方が人気を博しやすいのではないか」
そういえば、とらいかは思い出す。
なぜライカーズのMVがこうも極端に人気が出ないのか。気になって、他の人気のあるMV――特に活動歴の浅い個人やインディーズバンドのそれをチェックしてみたのだが、その時にも、アニメーションやイラストを主軸としたものがよく目についた覚えがある。
「おいおい、俺たちゃロックバンドだぜ。軟弱に靡いてどうするよ」
「ロックとは反体制だろう。絵に頼るのは軟弱だ、なんて思想は時の流れについていけない無能な老人どもが縋るばかりの黴の生えた固定観念でしかない。わざわざそんなものに自分から囚われてどうする?」
「けっ、反体制ってんならその時流にさえ逆らってこそだろ。旧時代を唾棄するくせに、流行を唯々諾々と後追いするのはOKってか? とんだ維新派様もいたもんだな。まんまと黒船に踊らされやがって」
早くも方向性の違いが見え始めたが、おそらくはいつものことなのだろう。特に緊迫した空気ではない。けれどもクロカは気を遣ってか、ぱんぱんと手を鳴らしてヒートアップしかかった二人を黙らせる。
「はいはい。無意味に煽らない。ね? そもそも二人とも、別に映像にこだわりがあるってわけでもないでしょ」
「まあ……そりゃな?」
「……ああ」
不承不承、という表情なのは、クロカの主張が認め難い、というわけではなく、単に振り上げた矛を下すことが気まずいだけだろう。その証拠に、次の言葉に返るのもまた、双方揃って首肯だった。
「実写にしてたのだって、そもそもそれしか選択肢がなかったからだしね」
つまりは――
「絵を描ける奴が一人もいない」
らいかを除く全員の声がかぶる。
そういうことだ。出来るなら、初めからやっているというのが総意なのだろう。
「ついでに言えばツテもないねぇ」
それを言ったのは伽羅子だったが、引き継いだのは完全子だ。
「なんだかんだ、交友範囲にその手のはいないんだよなー。同じ芸術でひとくくりにされがちだけど、音楽と絵って全然種目が被らないよねー」
らいかが見ている範囲だけでも三本目となる瓶を開けつつ、どうしてだろうねー、と彼女は言う。
「ま、絵が趣味ってな陰気なやつがね、バンドマンには近寄らないわよ。カラースプレーで路上を塗っていきがってるような下品極まる手合いなら、ワンチャンあるかもしれないけどね」
そんなアホどもは願い下げだし。とクロカは全方位に向けた偏見の刃で切って捨てた。
「でも、今は違うわ」
と、彼女は笑った。
「そうでしょう?」
と。
クロカが振り返る先で、らいかは首を傾げた。
あいにくと、らいかにも絵描きの知り合いなどいない。いや、一人いると言えばいるが、陸奥の秘境で山籠り中の齢九十を超えた水墨画家が、ロックバンドのMV制作に相応しい人材ではないだろう。
自分は何を期待されているのだろう? 顎に手を当てるらいかだけれど、そんな彼女にクロカはにこやかに告げる。
「まさか私にあんなことをしておいて、頼みを断るなんてわけないもんね?」
笑顔のまま凄まれて、らいかは思わず一歩下がった。笑顔とは本来威嚇のための表情だ。らいかはそれを魂で理解できた。
「いや、まあ、私に出来ることならするが……」
まさかあれか。MV制作をどこかに依頼する予算を稼いでこいとか、そういう話か?
内心冷や汗をかき始めたらいかに、けれどクロカはふ、と優しげに笑う。
「私だって豚に空を飛べと崖から蹴落とすような趣味はないわ。大丈夫よ」
その笑顔に安心したらいかだけれど、それも蹴りが放たれるまでのことだった。
「だって――」
それがあたかも宇宙の摂理であるかのように、あまりにも自然に、あくまでも当然に、あっけらかんと泰然自若に、彼女はらいかに微笑みかけて――そのまま崖から突き落とす。
「――あんた、絵描けるもんね?」
……。
…………。
………………。
「え?」
え?
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