第8話:雪解けの森と謎めいた薬師

長く厳しい冬がようやく終わりを告げ、森は雪解け水の音と、そこかしこで芽吹く新しい命の息吹に満ち始めていた。アキオたちが暮らす小屋の周りでも、地面から健気な緑が顔を出し、子供たちは久しぶりに暖かい日差しの中で外遊びに興じている。

 しかし、そんな春の訪れとは裏腹に、小さな影がアキオたちの生活に差し込んだ。末っ子のユメが、高熱を出して寝込んでしまったのだ。冬の間の無理がたたったのか、それともこの世界の未知の病なのか。アキオは地球での知識で看病するが、咳もひどく、ユメの小さな体はみるみる弱っていくように見えた。

「アキオさん……ユメちゃん、大丈夫かな……」

 アヤネが不安げな顔でアキオを見上げる。ミコも、以前村の薬草売りの老婆に教わったという解熱作用のあるという野草を煎じてユメに飲ませようとするが、気休め程度にしかならない。


「……俺が、森で薬になりそうなものを探してくる」

 アキオは意を決して立ち上がった。具体的な知識はない。だが、何もしないでいるよりはマシだ。

「僕も行きます!」アルトが心配そうに声を上げる。

「よし、だが無理はするな。日が暮れる前には必ず戻る」

 アキオはアルトを伴い、雪解けでぬかるむ森の奥へと足を踏み入れた。普段は薪拾いや狩りで立ち入る範囲よりもさらに奥、湿気の多い谷筋へと向かう。そこには、まだ見たことのない植物が群生しているかもしれない。


 数時間歩き続けた頃だろうか。苔むした岩場の陰に、アキオは見たことのない形状の、しかしどこか薬効がありそうな雰囲気を漂わせる植物を見つけた。

「これだ……!」

 アキオが慎重にその植物に手を伸ばそうとした、その時だった。

「それに触れるな、人間」

 凛とした、しかしどこか冷たさを帯びた声が背後から響いた。驚いて振り返ると、そこには一人の女性が静かに立っていた。長く尖った耳、森の木々と同じ深緑色の瞳、そして木の葉や蔓を編んだような質素だが機能的な衣服をまとっている。エルフ――アキオが地球の物語で知る、伝説の種族そのものだった。

 彼女はアキオとアルトを鋭い視線で見据え、腰に下げた小袋にそっと手をやっている。警戒しているのは明らかだった。

「……申し訳ない。妹が熱を出して苦しんでいるんだ。薬になるものを探していて……」

 アキオは両手を上げて敵意がないことを示し、正直に事情を話した。アルトも隣で必死に頷く。

 エルフの女性――シルヴィアは、しばらく黙ってアキオたちを観察していたが、やがてフンと鼻を鳴らした。

「お前たち人間が森を荒らすから、精霊たちも怒っている。病の一つや二つ、自業自得だろう」

 その言葉は刺々しかったが、アキオはなおも食い下がった。

「どうか、助けてはもらえないだろうか。どんなことでもする。ただ、あの子を……」


 シルヴィアはアキオの目をじっと見つめていたが、やがて小さなため息をついた。

「……お前からは、他の人間どもが持つような強欲な匂いはしないようだな。それに、そこの子供の目も嘘をついているようには見えない」

 彼女はそう言うと、アキオが見つけた植物を一瞥し、「それは違う。お前たちが扱えるものではない」と短く告げた。そして、近くに生えていた別の、何の変哲もないように見える草を指さした。

「その草の根をよく洗い、石臼で潰して汁を搾り、水で薄めて飲ませろ。量は……その子供の指三本分ほどでいい。間違ってもそれ以上飲ませるな。命に関わる」

 それだけ言うと、シルヴィアは踵を返し、まるで森に溶け込むように姿を消そうとした。

「待ってくれ! あなたの名前は……!」

 アキオが呼び止めるが、彼女は振り返らず、ただ「……シルヴィアだ」とだけ言い残し、木々の間に消えていった。


 アキオとアルトは、シルヴィアに教えられた通りの草の根を慎重に掘り出し、急いで小屋へと戻った。半信半疑ながらも、藁にもすがる思いでアヤネと協力して薬湯を作り、ユメに少しずつ飲ませる。

 数時間後、ユメの荒い息遣いが少しだけ穏やかになり、額の汗も引いてきたように見えた。熱も、心なしか下がった気がする。

「……アキオさん、ありがとう……」

 アヤネが涙ぐみながらアキオに礼を言う。アキオは、まだ予断は許さないと気を引き締めつつも、森の奥に消えたエルフの薬師のことを考えていた。

 彼女は何者なのか。なぜ助けてくれたのか。そして、あの冷たい態度の奥に隠されたものは何なのか。

 ユメの小さな寝顔を見守りながら、アキオは、この異世界での新たな出会いが、自分たちの生活に大きな変化をもたらすかもしれないという予感を、強く感じていた。

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