第11話 日常に戻って……?

◇◇◇

「母さーん、ブルベリーが安かったの、砂糖の買い置きがまだあったと思うんだけど、どこにしまったか知らない?」


「あら、ジャムを作るの? それともコンポート? この間、甘い卵焼きが食べたいって山盛り作ってたじゃない、お砂糖、食べ尽くしちゃった?」


「ブルベリーのタルトだよ! 母さん好きでしょう? さすがにわたしでも卵焼きで砂糖一キロは使わないって。そういえば母さん、この間クッキー焼いてたけど? わたしの口にはちょっとしか入らなかったやつ!」


「ああ、あれ。そうね、確かに……お砂糖、使っちゃったわ」


「どれだけ焼いたのよ。じゃあまた市場に行ってこなきゃ……あれ、でもここにちょっと残って……」


 母さんとの、何気ない会話が嬉しい。

 まるで半年前に戻ったようだけれど、今のわたしはもう、このさりげない日常が、どんなにキラキラしていて、かけがえのないものなのかを知っている。

 それなのに。


「庶民に砂糖は高価だと聞いているよ。僕が手配しよう」


「クレアのクッキーとは、この間ご馳走になったやつかね。クレアの作るものはどれも絶品だ。また食べられるなら、材料くらい私が買ってこよう」


 戸棚をのぞいていたわたしの後ろから、ひょいと王太子殿下が顔を出し。

 背後のダイニングテーブルには、母さんが淹れた紅茶のカップをくゆらせるサイゼル子爵が座っている。


「な・ん・で、王太子殿下やサイゼル子爵がここにいるんですか! ルミカーラ様とクマ先生も!」


サイゼル子爵のさらに後ろのソファには、母さんの仕事道具の布や糸に埋もれるようにして、ルミカーラ様とクマ先生がちょこんと座っている。ルミカーラ様はもっさり仕様だ。

 わたしの怒声に、ルミカーラ様がふふふと笑う。


「だって、わたくしはクレアをあきらめないと言ったでしょう? 口説きにきているのよ。それに、リヴィアったら魔法学園を辞めるなんて言うんですもの。わたくしは卒業してしまったし、公爵家から近い魔法学園の行き帰りでも捕まえられないとなったら、リヴィアのおうちにお邪魔するしか会えないじゃない」


 うぐっ、とわたしは言葉に詰まる。

 ルミカーラ様にはとてもお世話になったし、親友と自称するほどには仲良くなった。それなのに、母さんが戻ってきたとたんにほぼ会わなくなったのは、さすがに薄情だった自覚がある。


「いや、でも、魔法学園は母さんを助けるために入学したわけで、母さんが助かった以上、母さんと暮らしたいですし、全寮制の魔法学園はちょっと……学費とかも厳し……っていうかルミカーラ様の言い分は分かりましたし、クマ先生はそのオマケなんでしょうけど、サイゼル子爵は!? 収監されたんじゃないんですか!?」


「ああ、それなんだけどね」


 王太子殿下が取り出しテーブルに置いた一枚の辞令書に目を落とし、わたしは素っ頓狂な声をあげた。


「サイゼル子爵が、学園の講師に!? 正気ですか!?」


 王太子殿下はニコニコと微笑んだ。


「もちろん、外患誘致は重罪、情状酌量の余地はあるにしても、無罪放免とはいかない。でも、これほどの人材、ただ殺すのはもったいないからね。魔法契約の上で、ルヴァンの代わりに召喚用魔法陣の研究をしてもらうことになったんだよ」


 確かにサイゼル子爵はルヴァン先生も認めるほどの魔法の天才だったらしい。

っていうかそもそもこの世界『レイつま』を書いたのは、別のペンネームを用いた白花先生だったらしい。前世の母さん――橘黄花に戻って欲しくて、橘黄花の絵に合う小説を書いたと。それで紅花先生と蒼花先生の初めての共作が『レイつま』で実現したのかと腑に落ちた。

 白花先生が中の人なんだから、サイゼル子爵はこの世界の理とか魔法の真理とか全部知ってるんだろうし、天才と呼ばれていても不思議はないんだろうけど。

それにしても甘すぎないか。

 王太子殿下は褒めて欲しそうな大型犬のような笑顔で説明を続ける。


「だれか死者が出たら、こうはいかなかったけれどね。リヴィアのおかげで、騎士たちの怪我は後遺症もなく治ったし、むしろ慢性的な四十肩とかまで治って前より調子がいいなんて評判だよ。僕の権限で、表向きは召喚用魔法陣の実験と模擬戦、あと老朽化していた講堂の解体? ということにして」


「……正気ですか」


 もう一度同じ台詞を繰り返したわたしに、王太子殿下は全開にしっぽを振っていそうな笑顔で答えた。


「だって、君の実家を反逆罪の上取り潰しなんて真似、させるわけにはいかないでしょ」


「……は?」 


 ダイニングテーブルの椅子に座り、こちらを見つめたままニコニコと笑う王太子殿下は、あざと可愛く首を傾げた。


「だって、君は僕の婚約者でしょう?」


「…………は?」


「あれだけ大勢の前で宣言したじゃないか。フォルゲンシュタイン公爵令嬢ではなく、君を僕の婚約者にするって。義父上の許可ももらったしね」


「あれは、サイゼル子爵にボロを出させるための演技では……?」


 それと、口には出せないけれど、王太子殿下がわたしに好意的だったのは、『レイつま』という物語の強制力のはずだ。王太子殿下の死を回避して物語を改編したのだから、その強制力は消えているはずでは……?

 ニコニコと笑う王太子殿下の大型犬のような笑みが、すぅっと深まった。


「四肢欠損すら治す、国内随一の治癒魔法使い。その上、ほんのかすり傷から傷を悪化させ、魔獣ならほぼ完璧に、召喚獣にすら大ダメージを与えうる反転治癒魔法の、発案者であり唯一の使い手。踏んだら破裂する、などといった凶悪極まりない魔道具や、一般人でも弓騎士より強い矢が放てる武器の開発、所持者。失われたはずの隔絶結界を蘇らせ、その上、王太子である僕を身を挺して庇った。――これだけのことをやらかしておいて、このままお気楽に一般人に戻れるなんて……まさか思ってないよね?」


 細めた目、吊り上がった口元。

 犬じゃない。イヌ科はイヌ科でも、狼の笑みだ。


「ねぇ、君、あの時、自分に防御壁張ってなかったよね? 自分の身を顧みず、全力で僕に隔絶結界――防御壁を張った。そうでしょ? 僕、生まれて初めてだったんだよね……王太子なんて身分だから、騎士に守られるのは仕方ないとしても。魔法の腕は学園始まって以来の天才といわれる僕がだよ? 令嬢を庇うどころか庇われて、閉じ込められた防御壁を内から解くことも出来なかった。屈辱だなぁ……」 


 ぞくり、と背筋が震えた。

 大型犬のようだと思っていた、いつもニコニコと笑っていた王太子殿下。その牙を喉元に突きつけられて初めて、この人が猟犬か狼――いや王族だったのだと、本当の意味で理解した。

(なのに、なんでわたしはドキドキしてるの……?)

 戸惑う心の奥の奥とは裏腹に、わたしの口は思わず言い訳を発していた。


「それはですね……! 召喚獣は魔獣よりずっと危険なんです。ああでもしないと、王太子殿下が傷ついたり死んじゃうかもしれないじゃないですか。殿下はまだ若いし、国にとっても大切な方ですし」


「そう、それだ。君は希少な治癒魔法適性が見つかり、魔法学園に編入してきただけの庶民の女の子だったはず。それなのに半年前から、急に魔獣討伐に行きたがり、反転治癒魔法を開発し、剣や弓の鍛錬を始め、魔道具を開発し、フォルゲンシュタイン公爵令嬢と懇意になり、僕を遠ざけようとするようになった。まるで、あの日、あの場で、サイゼル子爵が召喚獣を呼び出し――僕が死ぬ未来が見えてでもいたかのように」


 サァーっとわたしは青ざめた。

 卒業パーティを乗り切れなければ、わたしと母さんに明日はない。

 だから、なりふり構わず全身全霊を持って対策に当たってきたわけだけれど……ちょっと、後先考えなさすぎたかもしれない。

 反転治癒魔法も、地雷も、クロスボウも、この世界にはなかったものだ。

 サイゼル子爵をハメるために必要で、さらに蒼花先生に乗せられたとはいえ、婚約破棄&断罪劇はやり過ぎだった。王太子殿下に役者を頼んだのも、転生者ではない彼に手の内をさらすまねだった。

 正直、あの卒業パーティで八割方死ぬかもしれないと思っていたわたしは、生き残れた後のことを全く考えていなかった。


「そ、そそそそ、それはですね、わたしは子爵の養女ですからっ、ある程度の事情 は……」


「王家の影が探っても、フォルゲンシュタイン公爵家の影が探っても、まったくしっぽを掴ませなかったサイゼル子爵が、君には手の内を明かしたと? 召喚用魔法陣は神聖国に通じたこれ以上ない証拠だ。たとえ身内であっても、利害だけで結ばれていた君にさらすような危険は侵さないだろう」


 サイゼル子爵当人が、王太子殿下の横でうんうん頷いている。

 どっちの味方だ。

 ってそうか、魔法契約を入れた以上、王家の味方なのか。

 王太子殿下はサイゼル子爵をチラリと見ると、テーブルの上に両肘をのせ指を組んだ。


「ということは、予知能力でないなら、君は王家の影より優秀な隠密ということになる。治癒魔法、反転治癒魔法、強力な武器、古代魔法、隠密か、ひょっとしたら予知能力。どれかひとつとっても、他国に渡ったらこの国を傾けかねない大きな脅威だ。為政者として、脅威は取り除かねば」

 

 王太子殿下は、狼のような目でにっこりと笑った。


「さぁ、選んでもらおうか、リヴィア。簡単な三択だよ。処刑か、魔法契約か、王妃。君が賢い選択をしてくれることを、僕は心から期待している」

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