web小説書き手によるショートショート集。

あさすずめ

第1話「脚本家」

エム氏の職業は、脚本家である。


とはいえ、映画やTVドラマ、舞台、バラエティ番組やゲームのそれとは少し違う。


彼が書くのは、夢の台本だ。


夢。それは、現実と非現実のあわいに浮かぶ、曖昧な風景。

過去の記憶と直近の出来事が結びつき、脳の奥底で再構成されて、映像としてあらわれる――そう言われている。


エム氏の仕事は、その“夢”に物語を与えること。

書き上げた台本は専門の業者に渡され、眠りについた人の脳へと指示が送られる。脳は記憶を整理しながら、エム氏の書いた脚本に沿って、ひと夜の幻想を演じるのだ。


だがこれは、ただ良い夢や悪い夢を割り振るような単純な仕事ではない。


たとえば、昨夜悪夢を見た社長が、その影響で翌朝から機嫌が悪くなり、部下に理不尽な怒声を浴びせたとする。

そうなれば、たとえ悪夢に意図があったとしても、脚本家としては失敗と言えるだろう。


夢は人の心を揺らす。だからこそ、慎重に書かねばならない。


エム氏は、その人が「どんな夢を見ると、翌日どんな気分や行動になるのか」を記録しながら、夢の内容を少しずつ調整していく。


元気が出るような夢を与える日もあれば、反省を促すような夢を見せることもある。夢が現実に与える“後味”を見極めるのが、腕の見せどころだった。


特に大変なのが、月のはじめ。新しい名簿が届いた直後は大変だ。前月のデータもなく、手探りでその人に合った物語を探る必要がある。






「あー、むしゃくしゃする」



その日のエム氏は、珍しく不機嫌だった。

ずっと想いを寄せていた相手に振られたのだ。それだけでも辛いのに、そのことを親友のエス氏に打ち明けると、彼はあろうことか笑った。


「お前には釣り合わない」と。


怒りと恥ずかしさと悲しみがになって、胸の内がざらついていた。


「6月分の名簿です。本日分、カルテ50人分がこちらに」


事務員が淡々と書類を渡す。


「あ、ありがとうございます」


感情の整理もつかぬまま、エム氏はいつものように台本を書きはじめた。だが、ふと目を通していたカルテの中に、彼の手が止まる。



見覚えのある名前。

――エス氏。



偶然とは思えなかった。





「できた」



エム氏は、あの時のエス氏の笑い声を思い出しながら、少しだけ筆に毒を含ませた。

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