第2話《Case1》ご懐妊、それ本当に彼の子?


 その貴婦人は、ためらいがちに扉を叩いた。


「《ヴィランズ・レディ》……こちらで間違いないかしら」


 事務所の奥から現れたのは、漆黒のレースとリボンをあしらったドレスを身に纏う、美しい女性。


 シャルロット=フィオナは、椅子に腰かけると、紅茶を一口含んで問いかけた。


「ご依頼の内容を。……本気なら、伺いましょう」


「はい。息子の婚約者――ユーフェミア=レニエが妊娠しています。ですが……その子の父親は、息子ではないのです」


「……と、いうと?」


 シャルロットは、紅茶を置いた。


「証拠は?」


「これが……ユーフェミア嬢の侍女が、密かに届けてくれました」


 差し出されたのは、小さな包み。開けると、中には“葉酸強化剤”と“香草師の予約票”があった。日付を見れば、妊娠がわかる前からの通院履歴がある。しかも、その時期――カーティスは北方の学舎に長期滞在していた。


「つまり、時期が合わない」


「ええ。ユーフェミア嬢のご実家の子爵家は没落傾向にあります。わが家の資産目当ての婚約だと思われるのです。子供ができたということで婚約を急ぎ整えましたが、その日、息子は初めてのお酒を飲み、“酔っていて全く覚えていない”と言うのです」


「……だから、私に“悪役”を、と言うことなのですね?」


 夫人はうつむき、頷いた。


「息子の浮気相手になって頂いて、ユーフェミア嬢に慰謝料をお支払いする形でも構いません」


 シャルロットは目を伏せ、思案する。そして、ゆっくりと口角を上げる。


「――わかりました。お引き受けしましょう。方法はお任せください」


* * *


 調査開始から3日。


 まずはユーフェミア嬢の周辺を調査して、何人かの候補が登場した。


「一人目のターゲットに対する変化の準備ができたわ。名前は……そうね、“エルノア=ブラン”とでも名乗っておこうかしら」


 白金の髪に変身したシャルロットは、露出の高いドレスをまとい、ある小さな貴族家の夜会に現れた。標的は、ユーフェミアの元使用人が漏らした“かつての恋人”――下級男爵家の三男、ジュリオ=マルセラン。


 女癖が悪く、酒と賭け事に溺れているが、なぜか“最近”はやけに慎重になっているらしい。


「……なるほど。女性を妊娠させた自覚でもあるのかしら?」


 “エルノア”は、笑みを浮かべながらジュリオに近づく。


「こんばんは。おひとりかしら?」


「……ああ? ああ、いや、ええと……貴女は?」


「“夜にだけ咲く花”、なんて言ったら笑うかしら?」


 肩に手を添え、耳元でささやく。男の瞳が明らかに揺れた。


「あなたのような“秘密”がありそうな素敵な男、嫌いじゃないの」


 ジュリオがニヤリと笑い、“エルノア”の腰に手を回した瞬間、シャルロットの目がわずかに細められた。


(かかったわ。あなた、何か“後ろめたいこと”があるわね……?)


* * *


 “エルノア”は、ジュリオの腕を自然な仕草で取った。


「少し、涼しい場所に移りましょう? ……こういう話は、人目のあるところではつまらないもの」


 ジュリオは、二つ返事で応じた。


 人気のないバルコニー。月明かりの下、ワインを手にしたふたりの姿は、傍目にはただの艶やかな逢引にしか見えない。


「で? 俺に“秘密”があるって、どういう意味だ?」


 軽く笑いながらも、ジュリオの視線の奥には、わずかな警戒の色が見える。

 彼は、知られたくない何かを抱えている。だからこそ、それを“見抜かれているかもしれない”という恐怖に神経を尖らせている。


 シャルロットは、わざと曖昧に答えた。


「ええ、たとえば……あなたのような顔立ちが整った男性なら、そうね……二股をかけて面倒が起こっている……とか?」


「……いまはそれはないな。もう少し若い時ならあったかもね」


「ふふふ。さすがね。

 じゃあ例えば……婚約者がいるにも関わらず、一晩遊んだだけのつもりが子供ができてしまった、とか?」


 ジュリオの手が、ぴくりと震える。


 その反応を見逃すはずがなかった。


「ふふ……あら、図星?」


「……さぁな」


「そんなに緊張しないで。私、貴方の敵じゃないわ。むしろ――味方になれるかもしれない」


 すっと身を寄せ、唇をわずかに耳元に近づける。


「……たとえば、“相手が誰なのか”、ほんの少しだけ教えてくれるなら」


「っ……!」


「その子が産まれる前に、ちゃんと“手”を打っておかないと……大変なことになるわよ?」


 ジュリオの顔が、みるみるうちに青ざめていく。


 “エレノア”は、そこでわざと話題を逸らした。


 ジュリオが飲んでいるワインには“自白の薬”が入っている。それがそろそろ効いてくるはずなのだ。


「最近ね、子供の鑑定が出来るようになったと隣国の研究機関のデータが公表されたのよ。すごいことよねぇ。

 そんな画期的な鑑定ができれば、子供の取り間違えなんて起こらずに済むようになるわ」


「……その話は……本当なのか……」


「ええ。研究機関の論文ですもの。調べてみればすぐわかるわよ」


 少し震え出すジュリオ。


「――たったの一回きりなんだ。でも子供ができたって言うんだ。しかもその女は俺の婚約者にバラされたくなかったら協力しろと……」


「何に協力したの?」


「金のある堅物貴族を紹介しろと。そしてそいつを泥酔させろって言われたんだ」


 ジュリオは、反射的に立ち上がろうとしたが、シャルロットがすっと前に出て、彼の手を取った。


「残念ね。“悪役令嬢”を舐めてもらっちゃ困るのよ」


 その声に込められた凄みに、ジュリオは言葉を失った。


「その女の名は?」


「……それは……」


「……言えないの?

 そう……、あなたの婚約者のマーメルはきっと悲しむわね」


「お前!お前もか!」


「私は“悪役”なだけで“悪党”ではないの。だから、協力さえしてくれたら、あなたの悪いようにはしないわよ」


「……くそっ!ユーフェミア=レニエだよ!」


「いい子ね。紹介した貴族の名は?」


「……カーティス=ローデル」


 その言葉を、シャルロットはしっかりと録画水晶に収めていた。


 静かに微笑みながら、彼女は言った。


「安心して。あなたの名前を公表するつもりはないわ」


「……え?」


「でも、ユーフェミア嬢の“偽り”が暴かれるには、どうしてもこの証言が必要なの。助かったわ。

 ……気をつけて帰って。これに懲りて火遊びはやめて、婚約者のマーメルを大切にね」


* * *


 この録音は、ジュリオにとって“致命傷”ではないが、確実にユーフェミアに届く“刃”だった。


 数日後。


 貴族社交界に、小さな波紋が広がった。


 ユーフェミア=レニエが突然、婚約を“辞退”したのだ。


 理由は語られないまま。しかし、ローデル家が“婚約破棄”ではなく、レニエ家からの“辞退”の形式に留めたことで、彼女の名誉はかろうじて守られた。


 その裏で、“ある令嬢”が動いたことを、誰も知る由はなかった。


 


 その令嬢の名前は、ヴィランズ・レディ。


 “悪役令嬢”を名乗り、真実を暴く者。


 仮面の下で微笑む彼女は、今日も誰かの正義になれなくても、誰かの真実を守るため、静かに動いている――。

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