“悪役令嬢”承ります。〜《ヴィランズ・レディの事件帖》〜

ひだまり堂

第1話《Case0》婚約破棄をありがとう。では悪役令嬢、始めますわ


「シャルロット=フィオナ!貴様のような女とはここに婚約破棄を宣言する!」


 その言葉を告げられたのは、王家での晩餐のタイミングだった。


 国王陛下と王妃、王太子も食卓を囲むなか、第二王子アデル=グランフェルトは声高に宣言し、シャルロットの頬に向かって冷たくワイングラスの中身を放った。


 真紅の雫が彼女のクリーム色のドレスに滴り落ち、まるで処刑の地獄絵のようだった。


 王宮のメイド達は息を呑み、誰もが彼女の表情をうかがっていた。泣き崩れるか、怒りをあらわにするか。だが、シャルロットは静かにワインの染みを見下ろし、薄く笑った。


「……あら、ようやく言ってくださったのですね。殿下の口から。」


「なっ……!」


「ずいぶん遅かったですわね。

 “可憐で聡明な公爵令嬢”を、よくぞ“卑劣な悪役令嬢”に仕立てたものですわ。

 ありがとうございます。アデル殿下」


 嘲笑を含んだ声に、場の空気が凍りつく。


「……下劣な嫉妬に駆られて、ミレーユのドレスを切り裂いた罪。舞踏会でミレーユを階段から突き落とそうとした件。毒入りの香水――全部、お前の仕業だと証拠が上がってるんだぞ!否定など無意味だ!」


「否定? あら、何のために? あなたは、真実より“演出”がお好きでしょう?」


 シャルロットの瞳が、凍てついたように光った。


「なんてことを!許さん!」


 怒りに震え出すアデルに対し、シャルロットは見下すように告げた。


「まぁ……それならば、私はその“演出”に最後まで付き合って差し上げますわ。“悪役令嬢”を演じて差し上げますとも――完璧にね」


* * *


 ――その日の夜、王宮の執務室。煌々と灯る暖炉の前、シャルロットは国王アルベール三世と、王妃アナスタシアの前に静かにひざを折っていた。


「まさか、あの愚かなアデルがあそこまでわかりやすく動くとは……」


 国王は眉間を押さえ、重たく嘆息する。


「ですが、陛下。筋書き通りでしたね」


「むしろ、よくぞ堪えてくれました、シャルロット」


 女王が席を立ち、シャルロットの肩にそっと手を置いた。


「ご自身の名誉を傷つけてまで、国のために尽くしてくれて……あなたには頭が上がりません」


 シャルロットは軽く首を振った。


「陛下方から頂いた“密命”を、果たしただけです。

 変化(へんげ)の魔法で国外逃亡中の反乱貴族を騙し討ちにした件も、辺境の暴動を貴族令嬢に化けて収めた件も、これまですべて……私なりの責任を果たしてきただけですわ」


「お前は、王国にとって唯一無二の“変化の魔法使い”だ」


 国王が真っ直ぐに彼女を見据える。


「アデルには悪いが、私の血を引いていないことがわかった以上、王位継承権を渡すわけにはいかない。

 まさか、婚約者であるシャルロットが変化した“ミレーユ”と浮気していたとは思いもよらないことだろう。……同一人物だと気が付かないものなのだな……

 よくやってくれた。

 ――お前が望む未来があるのなら、それを全力で支えよう」


 王妃も言葉を継いだ。


「まさか隣国から側室で入られたナバーラが、謀反を企む王家の指示ですでに妊娠した状態で来られたとは……危うく騙されるところでした。

 そして、王太子の暗殺まで企てているとは……。“ミレーユ”に証拠を渡してくれて、本当に助かったわ」


 シャルロットは静かにうなずき、懐から一通の書簡を差し出した。


「それでは……この文面に、陛下と女王陛下のお名前を頂けますか?」


 書簡には、こう書かれていた。


――王国貴族における特殊免許認可:

 グランフェルト国王は、シャルロット=フィオナが“変化(へんげ)魔法を用いた救助活動”を生業とする独立機関ヴィランズ・レディを創設することを許可し、王国としてその活動に関与しない。

 ただし、その活動が王国の利益に資するときは、国王は必要とあらば支援を与えるものとする――


 国王アルベール三世はペンを取り、迷いなく署名した。


「これは、あなたの自由と盾よ。堂々と、自分の道を歩みなさい」


 王妃もまたペンを走らせると、冗談めかして言った。


「……あの場で“婚約破棄を望んでいたのは私の方です”と暴露しようかと思いましたが、やめておいて正解でしたわ」


「ええ、それでは芝居が台無しですから」


 くすっと笑うシャルロットの目には、冷ややかな光と、ほんの少しの安堵が宿っていた。


* * *


 ――3ヶ月前の出来事――

 シャルロットは静かに衣擦れの音を響かせながら、姿見の前に立っていた。


「……今日の私は、ミレーユ=ダブロイ。放蕩癖のある貴族令嬢。アデルのお好みにぴったりの、わかりやすい愚かな女」


 変化の魔法で別人になったシャルロットは、紅茶色の髪を揺らし、わざとらしいくらいに濃く施された香水の香りを纏う。唇は艶やかに彩られ、露出の多いドレスの裾がわざと乱れている。


 “ミレーユ”は口角を引き上げた。


「さて、殿下。どこまで“私に夢中”になるかしら?」


 王宮の庭園にて、第二王子アデルは“ミレーユ”に手を引かれながら、笑い声を響かせていた。


「本当に、君といると楽しいよ。シャルロットなんかとは違ってさ」


「まぁ、殿下ったら。シャルロット様の前でそんなことを言ったら、怒られますわよ?」


「大丈夫だ。あいつは、僕の言いなりだしね」


 シャルロットの目が、変化した“ミレーユ”の顔の下で、ひどく冷たく細められた。


(――なるほど。私のことを“言いなり”とね)


 その言葉こそが、婚約破棄を自ら申し出る“きっかけ”だった。


(わたくしは王国のために、命すらかけてきたというのに。この人の隣で未来を築くなど、まっぴらですわ)


 でっち上げの証人を作って、いかにシャルロットにいじめを受けているかを切々とアデルに語る“ミレーユ”


 アデルにしなだれかかりを囁く。


「ねぇ、殿下。シャルロット様が邪魔でしょう? あんな地味な女、退けてしまえばいいのよ」


「そうだな…… ミレーユの方が、ずっと俺の好みに合ってるし、シャルロットなんか……きっぱり婚約破棄してやるか」


 その一言を、シャルロットは録画水晶にしっかりと刻んだ。


 これがあれば、どんな形でも“言質”として残せる。


「ありがとう、殿下」


 低く囁いた声は、もう“ミレーユ”ではなかった。


「……これで、ようやく私も自由になれる」



 ――それから数日後。


 王家の晩餐の場で、第二王子が高らかに宣言した。


『シャルロット=フィオナ! 貴様のような女とはここに婚約破棄を宣言する!』


 だが、その演出はすでに、シャルロットの計算のうちだったのである。


* * *


 《ヴィランズ・レディ》設立を国王に願い出た夜のこと。

 王妃アナスタシアは、シャルロットを私室に招き入れていた。


 ティーカップから漂うラベンダーの香りが、夜の静けさを優しく包み込む。


「……貴女が“悪役令嬢”を名乗り、誰にも正体を明かさずに働こうとしている理由。アルベールは理解していたけれど、私にも、聞かせてくださるかしら?」


 シャルロットは少しだけ目を伏せたあと、ふっと笑った。


「貴族社会では“嘘”によって奪われるものが多くあります。立場だったり、名誉だったり、家や命そのものかもしれません」


「……ええ」


「この特命を受けて私は気づいたのです。この世界は、“本当の悪”より、“上手に嘘をつける者”の方が強いのだと」


 彼女の指先が、冷えたカップの縁をそっとなぞる。


「嘘を暴いた者は“悪役”にされ、隠し通した者が“正義”を名乗る。そんな矛盾に満ちた世界で、私は“裏側”から真実を照らしたい」


「だから、“悪役”になることを選んだのね」


 王妃の言葉に、シャルロットは静かにうなずいた。


「《ヴィランズ・レディ》は、ただの依頼屋ではありません。“王国の秩序を食い破る、目に見えない悪”――それを、名もなき悪役の仮面を被って裁く場所です。

もしかしたら同じような目に遭った者がいて、生きる意味を見失っていたら、共に活動をしたいとも考えています」


 彼女の瞳は揺らがなかった。


「誰かの正義になれなくてもいい。せめて、誰かの真実を守れるなら」



 ――王妃はしばらく黙っていたが、やがてそっと立ち上がり、シャルロットの肩に手を添えた。


「貴女はもう、ただの“公爵令嬢”じゃない。国が背中を預けられる、“悪役の守護者”だわ」


 そして囁くように、心からの声で言った。


「……ありがとう。こんなにも醜さが渦巻く世界だからこその美しい覚悟を、貴女が持っていてくれて」


 夜が、深く静かに、更けていった。


* * *


 数日後。


 “彼女”は小さな事務所を立ち上げた。名前は《ヴィランズ・レディ》。


 受付に貼られた紙には、たった一言。


 ――“悪役令嬢”、承ります。


 その日から、シャルロット=フィオナの新たな人生が始まった。


 貴族の婚約騒動、不倫の調査、財産狙いの婚姻劇、女同士の権謀術数――


 依頼があるところに、彼女は“悪役”として現れ、真実を暴き、陰謀をぶった斬る。


 変身魔法をまとい、誰にも知られぬ素顔で。


 “悪役令嬢”シャルロットが、真実を暴き、嘘を断ち、誰よりも“正しく悪を演じる”物語が、いま始まる。


* * *


 彼女が最初に受けた依頼、それは――


「息子の婚約者が妊娠しています。ですが……その子の父親は、うちの子ではないのです」


 憔悴した貴族夫人が告げた、最初の事件だった。

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