まやま先生がいらっしゃいました

尾八原ジュージ

まやま先生がいらっしゃいました

 その日の昼休み、ぼくはひとりで図書室に行った。

 人がいないときを見計らって、近くの棚からてきとうな本を一冊ぬいて、ノートの切れはしに書いたメモをはさんだ。

『まやま先生がいらっしゃいました』

 ノートはよくあるやつだし、メモは利き手と逆の左手で書いた。だから見つかっても、たぶんだれがやったかなんて、わからない。

 それに、みんなやってることだ。

 その証拠に、南校舎三階西のそうじロッカーを開けると、とびらの内側にポストイットが貼られている。

『まやま先生がいらっしゃいました』

 って、ピンクのポストイットにはそう書かれている。


 断っておくけど、この小学校に「まやま先生」ってひとはいないのだ。

 この小学校では、不審者がやって来たとき、校内放送で「まやま先生がいらっしゃいました」と流す。とはいえ、まだ本当に不審者が入ってきたことはないらしいけど、そういう決まりになっている――って、ある日校長先生が、全校集会でそう言った。ついでに言えば、この学校は「間山第二小学校」って名前なので、おもいっきり学校名からとった、ぜんぜんひねりのない名前なのだった。

 そしたら、だれかがふざけた。

 その日、北校舎一階のげた箱の近くのかべに、「まやま先生がいらっしゃいました」と、えんぴつで書かれていた。

 だれのしわざかわからなかったけど、みんなこわがった。だって、

「あやしい人が校舎に入ってきた」

 っていう事件が本当におこった、その証拠みたいに見えたのだ。

 こわがるのは、けっこう楽しかった。

 次の日、今度はだれかが南校舎一階のげた箱に、「まやま先生がいらっしゃいました」って書いた小さなメモ用紙を、十枚くらいぺたぺた貼った。

 だれが貼ったかわからないけど、やっぱりけっこう楽しかった。


 それから、そういういたずらを、こっそりしかけることが流行った。

 理科室のつくえに書いてあるのを見つけたこともあったし、友だちのくつ箱にメモが入っていたのを見たこともあった。気持ちわるくて、でも楽しかった。

 で、やっぱりと言うか、何というか、先生たちにしっかりばれた。

 五年生の男子が数人、第一音楽室の黒板に「まやま先生がいらっしゃいました」って書いてるところを、担任に見つかったらしい。

「まやま先生」は禁止になった。全校集会で、校長先生がみんなをしかった。

 それで、だれもやらなくなった。やったら厳しめにしかられるって、みんなわかっているからだ。

 だれもやらないから、そのうち忘れられてしまった。

 ぼくも、図書室の本にはさんだメモのことなんか、忘れてしまった。だれも気づいてないのかもしれないし、気づいた人がだまって捨ててしまったのかもしれない。流行りが終わったので、もうどっちだっていいことだった。

 それで「まやま先生」はお終いになった。はずだった。


 ある日、三時間目の途中に、校内放送がながれた。

『まやま先生がいらっしゃいました』

 ドキッとした。キャッて声をあげた子もいたし、先生もびっくりして黒板に書く手が止まった。

 不審者が入ってきたのか、と思った。でも、ちがう。

「まやま先生」が流行りすぎてしまったので、不審者が出たときの放送は、別の名前に変わったはずなのだ。

 それにスピーカーから流れてくる声は、どう聞いても子どもの、それも一年生とか、小さな子の声だった。

 放送室は先生にカギを開けてもらわないと入れない決まりなのに、変だ。

『まやま先生がいらっしゃいました。

 まやま先生がいらっしゃいました。

 まやま先生がいらっしゃいました』

 放送はぜんぜん止まない。先生が「ちょっと待ってて」と言いながら教室を出ていった。廊下がちょっとさわがしくなって、ばたばた足音が聞こえて、きっとだれか先生が放送室に行ったんだ、と思った。

 少しすると、スピーカーから校長先生の声が聞こえてきた。

『みなさん、さっきの放送はいたずらでした。安心して、授業にもどりましょう』

 みんな、ほーっとため息をついた。担任の先生ももどってきて、授業が始まった。


 それから本当に、よくわからない人が校内に出るようになった。


 北校舎一階のげた箱の近くに、だれかが立っていたらしい。

 次の日、今度は南校舎一階のげた箱の近くに立っていたらしい。

 そのとき、たまたまそこにいた先生が「どちらさまですか」とかって声をかけたらしい。でもすぐに「あれっ?」と言って、首をひねり始めたらしい。

「確かにあそこに人が立ってたのに、消えちゃった」

 そう言ったあと、その先生はとつぜんバターンとたおれたらしい。救急車が本当に学校に来たし、けっこう騒ぎになってしまった。

 みんなが言い始めた。

「それって、まやま先生なんじゃない?」

 だってどっちの場所も、「まやま先生がいらっしゃいました」が書いてあった場所だから。

 だから立っていたのって、「まやま先生」なんじゃないか。

 みんなが「いらっしゃいました」「いらっしゃいました」って言い過ぎたから、本当にそれっぽいものが来ちゃったんじゃないか、って。

 ふしぎなことに、だれかがいたってことは確かなのに、それがどんな人なのか――男か女か、若いのか年よりか、どんな服を着ていたか――を思い出そうとすると、だれも思い出せないらしい。ただ、それもすぐに「あたりまえだよね」ってことになった。

 だって、まやま先生にはそういう設定がなかったから。


 じゃあきっとまやま先生は図書室にも出るんだろうな、と思った。ぼくがメモをのこしてきたからだ。

 そしたら急に気になってきた。だって、声をかけた先生はたおれたらしいし、じっさいまだ休んでるし、ほっといたらまずいかもしれない。

 ぼくは図書室にむかった。

 たしかこれにはさんだはず、と取り出してパラパラめくった本には、もうメモはなかった。きっと図書の先生が捨ててしまったんだろう。

 ほっとして、本をもどして、それからぜんぜんべつの棚のところに行って、本を一冊借りて帰った。

 家にはだれもいなかった。平日だからいつものことだ。自分の部屋にいって、そこで借りてきた本を読もうと思った。学習机のまえのイスにすわって、本を開いた。

 そしたら、紙っぺらが一枚、ひらりと落ちた。

 ノートの切れはしだった。左手でむりやり書いた汚い字で、

『まやま先生がいらっしゃいました』

 と書かれていた。

 きっとだれかがメモを移動させたのだ。だれがそんなつまんないことをしたんだろう。そう思った。そのとき、ぼくのすぐ後ろの床がミシッときしんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

まやま先生がいらっしゃいました 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ