第2話 「始まりの日」
目が覚めると、いつもと違う感覚があった。
体が軽い。
視界が鮮明。
そして何より──胸の奥で、何かが脈動している。
「誕生日、か」
ベッドから起き上がり、窓を開ける。
朝の冷たい空気が、火照った体に心地いい。
昨夜の夢を思い出そうとする。
銀髪の青年──剣聖ユーリと名乗った。
でも、それ以外の詳細が思い出せない。ただ、警告めいた言葉だけが頭に残っている。
──力には代償がある。
「シエルト! 起きてる?」
ドアをノックする音と共に、母の声が聞こえる。
「起きてます」
「朝食の準備ができたわよ。今日は特別な日だから、腕によりをかけたわ!」
貴族ではあるが、この家は没落貴族だ。そのため母が食事を用意しているのだ。
とはいえ、母が料理を得意としていることは幸いだった。家族が笑顔でいられるのも、一日の初めに活力の湧く、美味しい食事で始められているからに違いない。
着替えて階段を降りると、食堂には豪華な朝食が並んでいた。
普段は質素な我が家にしては、かなりの御馳走だ。
「誕生日おめでとう、シエルト」
家族全員が揃っていた。
父も、普段は早朝から書斎にこもっているのに、今日は食卓についている。
「16歳か。もう子供じゃないな」
レイモンドが感慨深げに言う。
「これで晴れて、王立学園を受験する資格も得たわけだ」
ディートが付け加える。
そう、16歳は貴族にとって特別な年齢。
成人と見なされ、様々な権利と義務が発生する。
「そうだ、シエルト」
父が立ち上がり、奥の部屋から何かを持ってきた。
「これを」
差し出されたのは、一振りの剣だった。
鞘は黒く、装飾は最小限。しかし、抜いてみると──
「これは……」
刀身が、朝日を受けて銀色に輝く。
ちょうど、昨夜みた夢に出てきた剣のように。
「グレイス家に代々伝わる剣だ」
父が説明する。
「昨日、ふと倉庫で埃を被ったままの剣があったことを思い出してな。見てみると、すぐに使えるほど状態が良い。そのままにしておくのは勿体無いだろう」
「父上から使うかと聞かれ、見てみたんだけどな。俺はもう騎士団の剣の方が手に馴染む。だが状態も不思議なほどいい。どうせならお前が使え、シエルト」
レイモンドが笑う。
「これはシエルトが持つべきだ」
「でも、俺、剣の才能なんて──」
「才能は後からついてくる」
父が俺の肩に手を置いた。
「大切なのは、この剣を持つ覚悟があるかどうかだ」
いつもと何か違うような父の雰囲気を感じつつ、気づけば自然と剣を握っていた。
不思議と、手に馴染む感覚があった。
その時──
「エル!」
勢いよく扉が開き、リナが飛び込んできた。
「誕生日おめでとう!」
満面の笑みで抱きついてくる。
「ちょ、リナ!」
「あら、朝から仲がいいこと」
母が微笑ましそうに見ている。
「あ、ご、ごめんなさい!」
リナが慌てて離れる。
頬が少し赤い。
「そうだ、エル。ちょっと外に来て」
「外?」
「いいから、早く!」
リナに手を引かれ、庭に出る。空気は少し冷たいが、温かく眩しい陽の光が木立の葉の隙間から、ちらちらと顔を照らす。
「これ、なに?」
庭の片隅に、小さな花壇が作られていた。
植えられているのは、見たことのない銀色の花。
「昨日の夜、こっそり作ったんだ」
リナが得意げに胸を張る。
「銀月花っていうんだって。すごく珍しい花で、16歳の誕生日に贈ると幸運が訪れるって言い伝えがあるの」
「銀月花……」
花を見つめていると、また既視感が──
いや、そうだ。
昨夜の夢。銀色の花畑。あれと同じ花だ。
「エル?」
「あ、ううん。ありがとう、リナ」
「……やっぱり、変」
リナが俺の顔を覗き込む。
「今朝のエル、なんか違う」
「そう?」
「うん。雰囲気っていうか……」
リナは何か言いかけて、首を振った。
「でも、気のせいかも。それに、エルはエルよね」
「当たり前だろ」
自分でもそう答えつつ、しかしながら胸の奥にある違和感が消えない。
脈動が、少しずつ強くなっている。一体、これはなんだろう。
朝食後、レイモンドに呼ばれて訓練場へと向かった。
レイモンドはすでに訓練前の準備運動を終えて、素振りをしているところだった。
そしてすぐにこちらに気づくと、声をかけてきた。
「来たか、シエルト。誕生日だからって、稽古は休みじゃないぞ」
「分かってます」
「ならいい。準備運動を終えたらまた声をかけてくれ」
そう言われ、まずは体を動かし始める。
いつもの手順だ。まず首を回し、肩をほぐす。次に手首と足首。そして腰を左右にひねり、前屈と後屈。最後に軽く足踏みをしながら、全身の関節を一つ一つ確認していく。
だが今日は何かが違った。
普段なら少し体が重く感じる朝の準備運動が、今日は妙に軽い。関節の可動域も広く感じるし、筋肉の張りも心地良い。まるで長年鍛え込んだ剣士のようだ。
「……なんだ、この感覚は」
軽く素振りの動作を取り入れながら、違和感の正体を探る。体が勝手に最適な動きを選んでいるような、そんな奇妙な感覚。
準備運動を終え、レイモンドに声をかけようとして、ふと木剣に手を伸ばした。
でも、木剣を構えた瞬間、違いに気づいた。
軽い。
いつもの木剣のはずなのに、羽のように軽い。
「どうした?」
「いえ……お待たせしました。よろしくお願いします」
構える。
すると──
レイモンドの動きが、手に取るように分かる。
右上段からの振り下ろし。次に左薙ぎ。そして突き。
体が、勝手に動いた。
カッ!
最初の一撃を受け流す。
カンッ!
二撃目を捌く。
そして三撃目は──
「なっ!?」
レイモンドの突きを、紙一重でかわしていた。
「シエルト、お前……」
レイモンドが驚愕の表情を浮かべる。
「今の動き、いつからこんなに?」
「分かりません。体が勝手に……」
そうとしか言えなかった。本当だったから。
まるで、この動きを何百回も練習したかのように、体が覚えている。
「もう一度」
レイモンドが構え直す。
今度は本気の眼差しだ。
激しい打ち合いが始まる。
不思議なことに、レイモンドの剣筋が全て見える。
いや、見えるだけじゃない。次の動きまで予測できる。
受け、流し、時に攻める。
まるで──
『そうだ、その調子だ』
突然、頭の中で、誰かの声が響いた気がした。
昨夜の夢の青年?
『力を解放しろ。お前なら──』
瞬間、激痛が走った。
「うっ!」
頭を押さえて膝をつき、倒れ込む。
今までで最も激しい痛み。
「シエルト!」
突然の行動を心配して、レイモンドが駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「頭が……割れそう……」
「おい、シエルト!しっかりしろ!大丈夫か!?シエルト──」
視界が歪み、レイモンドの声が遠ざかっていく。
そして──
* * *
一瞬、別の景色が見えた。
また、夢を見ているのか。
戦場。
死体の山。
血の海。
そして、その中心に立つ銀髪の剣士。
──これは、一体?
剣士が振り返る。
その顔は──
* * *
「!? シエルト! シエルト!」
その手が震えている。いつもの元気な幼馴染とは思えないほど、顔が青ざめていた。
「リナ?」
「さっき、目を覚ました瞬間、エルの目が……」
彼女は言葉を詰まらせ、震え声で続けた。
「一瞬だけど、銀色に……まるで剣の刃みたいに、鋭く光ったの」
全員が息を呑む。
兄たちが顔を見合わせ、母は口元を手で覆った。
「銀色に?」
「それも、ただの光じゃなかった。なんていうか……」
リナは適切な言葉を探すように首を振る。
「古い剣が月光を反射したような、綺麗な……でも少し冷たい光」
「まさか……」
父が何か思い当たったような顔をする。その表情には、驚きと、そして僅かな恐れが混じっていた。
「父上?」
「いや、なんでもない。少し休め」
でも、父の表情は明らかに動揺していた。
部屋で休んでいると、ディートが訪ねてきた。
「調子はどうだ?」
「もう大丈夫です」
「そうか」
ディートは窓辺に立ち、外を眺める。
「なあ、シエルト」
「はい?」
「最近、変な夢を見るだろ?」
どきりとした。
「なんで……」
「俺も昔、見たことがある」
ディートが振り返る。
「16歳の誕生日の前後。銀髪の戦士の夢を」
「兄さんも!?」
「ああ。でも、すぐに見なくなった」
ディートは苦笑する。
「俺には、資格がなかったらしい」
「資格?」
「グレイス家の真の継承者になる資格」
母が言っていた言い伝え。
それは本当だったのか。
「でも、お前は違う」
ディートが俺の肩に手を置く。
「今日の稽古を見ていた。あの動き、普通じゃない」
「でも、俺には才能なんて──」
「才能じゃない。もっと別の何かだ」
ディートの目が真剣だ。
「いいか、シエルト。これから何が起きても、自分を見失うな」
「どういう意味です?」
「この言葉を忘れなければいい。これはそういうものだ」
それだけ言って、ディートは部屋を出て行った。
夕方になり、体調も回復してきた。
庭に出ると、リナが銀月花の手入れをしていた。
「エル! もう大丈夫なの?」
「うん、心配かけてごめん」
リナの隣に座る。
夕日が、銀月花を金色に染めている。
「ねえ、エル」
「ん?」
「もし……もしエルが変わっちゃったら、どうしよう」
リナの声が震えている。
「変わるって?」
「分からない。でも、何か大きなことが起きそうな気がして」
リナは俺の手を握る。
「怖いの」
「リナ……」
「エルがいなくなっちゃいそうで、怖い」
その瞬間、また胸の奥が脈動した。
強く、激しく。
まるで、封印された何かが解放を求めているような──
『もうすぐだ』
風に乗って、声が聞こえる。
『今夜、全てが始まる』
夕日が沈む。
16歳最初の日が、終わろうとしている。
でも、本当の始まりは──
これからだ。
* * *
その夜。
ベッドに入っても、眠れなかった。
胸の奥の脈動が、どんどん強くなっている。
時計を見る。
午後11時58分。
59分。
そして──
0時。
瞬間、世界が変わった。
激流のような何かが、体中を駆け巡る。
熱い。苦しい。でも、なぜか懐かしい。
『ようやく、時が来た』
はっきりと、声が聞こえる。
『我が名は剣聖ユーリ。千年の時を超えて、お前の中で目覚める』
体が光に包まれる。
銀色の、優しい光。
『これより、お前は百の英雄の器となる』
そして──
記憶が、流れ込んできた。
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