夕暮れ
3月。眩しい光が降り注ぐ、卒業式の朝。健太は、
真新しい制服に身を包み、少し緊張した面持ちで
学校の門をくぐった。美咲と翼もまた、
それぞれの学校で、同じように卒業の時を
迎えている。彼らの胸には、未来への希望と、
そして、
あの日、旅立っていった悠斗への、
募る想いが交錯していた。
あの日以来、健太たちは、悠斗の「夢」を胸に、
それぞれの道を懸命に歩んできた。
健太は、より一層サッカーに打ち込み、
美咲は、キャンバスに向かう日々の中で、
心温まる絵を描き続けた。翼もまた、
自分ならではの表現を模索し、
創作活動に没頭していた。彼らの夢の根底には、
いつも悠斗の存在があった。
彼の「生きたかった」という強い思いが、
彼らの情熱の源となっていた。
卒業式のサプライズ
健太が体育館の自分の席に着き、式典が厳かに
進んでいく中、彼のスマートフォンが
ポケットの中で微かに震えた。同じ頃、
別の学校の体育館にいた美咲と翼
のスマートフォンも、同時に通知を告げていた。
彼らが画面を開くと、そこに表示されていたのは、見慣れた、しかし少し痩せた悠斗の顔だった。
数ヶ月前、彼が入院中に密かに撮影していた、
ビデオメッセージだったのだ。
健太は、息を呑んだ。美咲は、思わず口元を
押さえた。翼は、画面を食い入るように
見つめた。そこには、卒業式を迎える
彼らへ向けた、悠斗からの、最後のサプライズが
込められていた。
画面の中の悠斗は、少しはにかんだように笑った。
「健太、美咲、翼、卒業おめでとう。このメッセージが届いているってことは、俺はもう、お前たちの隣にはいないってことだよな」
悠斗の声は、以前よりも少しだけかすれていたが、その瞳は、いつか夢を語った日のように、
力強い光を宿していた。
「このビデオは、俺がまだ元気な頃、お前たちに内緒で撮ったんだ。みんなには、最高の卒業プレゼントを贈りたくてさ。俺からの、最後のサプライズだ」
悠斗は、ゆっくりと話し始めた。
彼の言葉は、まるで彼ら三人の心に
直接語りかけるように、静かに、しかし確かな
響きを持って届けられた。
「僕たちが過ごした日々は幻なんかじゃない」
「健太、美咲、翼。僕たちが過ごした日々は、幻なんかじゃない。お前たちと出会って、俺は本当に幸せだった。Jリーガーになる夢を諦めて、どん底にいた俺を、お前たちは救ってくれた。美咲の優しい絵、翼の深い表現、健太の真っ直ぐな情熱。お前たちと語り合ったあの時間は、俺にとって、何よりも大切な宝物だった」
悠斗は、深呼吸をした。その表情は、
少しだけ苦しそうに見えたが、すぐに
強い意志に変わった。
「俺は、お前たちみたいに、病気を克服することはできなかった。もっと生きたかった。みんなと、一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に悩んで、一緒に成長したかった。大人になって、お酒を飲んで、バカな話をしたかった。健太がワールドカップで優勝するのを見たかったし、美咲の絵が美術館に飾られるの、翼の作品が世界を感動させるの、本当に見たかった」
悠斗の声が、少し震えた。彼の目には、
涙がにじんでいたが、それを拭うことなく、
真っ直ぐに画面を見つめていた。
「俺は、なんとなく生きてる。今、お前たちが立っているこの現実を、俺も生きたかった。夕焼けよりももっと赤い、この血が身体に流れてるんだってことを、俺は最後まで感じたかった。生きたかったんだ。どんなに苦しくても、痛くても、絶望しても、俺は生きたかった」
生きることの喜びと苦しみ
悠斗の言葉は、彼の命を懸けた、切実なメッセージとして、健太、美咲、翼の心を強く揺さぶった。
そして、もし、このメッセージが、
自ら命を絶つことを考えている誰かの目に
触れることがあるならば、その心にも
深く響くことを願う。
「もし、今、誰かの心が、真っ暗なトンネルの中にいるのなら。もう生きていけないって、自分なんか必要ないって、思ってる人がいるのなら。聞いてほしい。生きることは、本当に、楽しいんだ」
悠斗は、かすかに微笑んだ。
「もちろん、苦しいことも、悲しいことも、たくさんある。理不尽なことも、どうしようもないことも、俺も山ほど経験した。でも、その苦しみを乗り越えた先には、必ず光がある。健太、美咲、翼。お前たちが、俺に教えてくれたように、必ず、支え合える仲間がいる。どんなに小さくても、諦めない理由が、自分の中に見つかる日が来る」
彼の声は、静かだが、その言葉一つ一つに、彼の生きたかった証が込められていた。
「僕らは旅人。どこまで旅をするのか、いつ旅が終わるのか、誰にも分からない。でも、だからこそ、今日という一日を、精一杯生きるんだ。朝起きて、太陽の光を浴びて、風を感じて、美味しいものを食べて、笑って、泣いて。その一つ一つが、命の輝きなんだ」
「夕焼けよりももっと赤い血」
悠斗は、ゆっくりと右手を持ち上げ、その手のひらを見つめた。かすかな震えはあったが、
その手は、力強く、そして温かく見えた。
「俺の体には、夕焼けよりももっと赤い血が流れてる。お前たちにも、同じように、熱い命の血が流れている。その血は、お前たちが生きている証なんだ。その血が流れている限り、お前たちは、何だってできる。どんな夢だって、追いかけることができる」
彼の言葉は、自ら命を絶とうとする若者たちに、生きることへの強いメッセージを送っていた。命の尊さ、生きる意味。彼自身が、どれほど生きたかったかという、魂の叫びだった。
「俺は、もうみんなと、新しい夢を追いかけることはできない。でも、お前たちの夢を、ずっと、空の上から見守っている。だから、俺の分も、生きてくれ。俺が、生きたかった分まで、たくさん笑って、たくさん悩んで、たくさん経験して、お前たちの人生を、最高の旅にしてほしい」
悠斗の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
しかし、その涙は、悲しみの涙ではなく、
深い愛情と、未来への希望に満ちた、
温かい涙だった。
「健太、日本代表になって、世界の頂点に立て。美咲、お前の絵で、たくさんの人の心を温かく包んでやれ。翼、お前の作品で、世界中に新しい感動を巻き起こせ」
「そして、いつか、またどこかで会えたら…その時は、みんなで、最高の『パーティー』をしよう。それまで、みんな、元気でな。さよなら…」
悠斗の映像は、そこで途切れた。健太は、
スマートフォンを握りしめ、顔をくしゃくしゃに
して泣いていた。美咲も、嗚咽を漏らしながら、
画面の中の悠斗の笑顔を指でなぞった。
翼は、静かに涙を流しながら、悠斗の言葉を
噛み締めていた。
卒業式を終え、健太は、母校のグラウンドの
隅に立ち、西の空を見上げた。夕焼けが、
空を赤く染めている。それは、悠斗の言葉のように、血の色よりも深く、しかし温かい赤色だった。
僕らが過ごした日々は幻なんかじゃない。
健太の心の中で、悠斗の声が響く。あの日の夕暮れ。悠斗と共に過ごした、かけがえのない日々。
それらは、決して消えることのない、彼の魂に刻まれた記憶だ。
なんとなく生きてるんだ。
健太は、悠斗の分まで、この現実を生きていく。苦しくても、悲しくても、諦めずに、前へ進んでいく。
その夜、健太、美咲、翼は、それぞれが悠斗からのメッセージを胸に抱きしめ、それぞれの場所で、空に輝く星を見上げていた。悠斗は、もう彼らの隣にはいない。しかし、彼の命の輝きは、彼らの心の中で、永遠に灯り続けるだろう。
夕焼けの色が、夜空へと溶け込んでいく。
その色の中に、悠斗の「生きたかった」という、
強い思いが、確かに息づいていた。
彼の物語は、ここで完結する。しかし、彼が残したメッセージは、健太、美咲、翼、そして、この物語を読んだ全ての若者たちの心に、生きる希望の光を灯し続けるだろう。
ハーツの欠片 light forest @lightforest
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