旅人

6月の終わり。梅雨の晴れ間は、時折、容赦ない

日差しを教室に投げかけた。悠斗は、

目の前の数学のワークシートに目を

落としながら、心の中でため息をついた。

来週から始まる期末試験。彼の心は、

スポーツ心理学への情熱と、Jリーガーへの未練、

そしてこの期末試験への憂鬱で、

常にせめぎ合っていた。 


「僕らは旅人」


ふと、心の中で響く。人生とは、旅のような

ものだ。しかし、今の悠斗にとって、

この期末試験は、目の前に立ちはだかる

大きな山のように感じられた。

彼の右手は、まだ完全に自由ではない。

ペンを握るたびに、微かな震えが残る。

それでも、彼はノートに文字を書き連ねる。

スポーツ心理学の専門用語だけでなく、

英単語や歴史の年号。どれもこれも、

今の彼にとっては、まるで見たこともない風景

の中に投げ出された、異国の言葉のように思えた。


期末試験という名の道のり


放課後、悠斗は図書室で勉強していた。

英語の教科書を開く。


「次の英文を日本語に訳しなさい」 

という問題が目に入った。


”Yuto decided to pursue a new path after his injury. He found hope in supporting other athletes mentally. Even though it was a difficult journey, he never gave up his passion for soccer.”


悠斗は、その英文を読みながら、まるで自分自身のことが書かれているようで、胸が締め付けられた。


「行くしかねえだろ」


彼の内なる声が囁く。どんなに辛くても、

前に進むしかない。それは、サッカーが

できなくなったあの日に、彼自身が心に

誓ったことだった。

歴史のページをめくると、

「次の出来事を年代順に並べなさい」

という問題があった。

* 大政奉還

* ペリー来航

* 日清戦争

悠斗は、年号を思い出しながら、必死に頭を

巡らせる。しかし、頭の中は、先日の

健太の試合の光景や、美咲の描く絵、

翼の言葉でいっぱいだった。勉強に集中

しようとすればするほど、雑念が湧き

上がってくる。


健太の自信と、悠斗の焦り


休み時間、健太が悠斗の席にやってきた。


「悠斗、期末試験の勉強どう?俺、全然ダメだわー。数学とか、もうわけわかんねぇし」


健太はそう言いながら、どこか楽しそうだった。

彼にとって、サッカーが一番であり、

勉強は二の次といった感じだ。しかし、

悠斗の心は、そんな健太の余裕に、

焦りを感じていた。


「俺は…まあ、ぼちぼちかな。健太はさ、試験とか、あんまり気にしないタイプだよな」


悠斗は、無理に平静を装って言った。


「そりゃそうだよ!俺はサッカーで勝負するんだから。でもさ、悠斗は頭いいじゃん。スポーツ心理学とか、あんな難しい本読んでるんだろ?余裕だろ!」


健太の言葉は、悠斗の胸に深く突き刺さった。

確かに、自分はスポーツ心理学の本を読んでいる。しかし、それは学校の勉強とは全く別物だ。

成績が悪ければ、進路にも影響する。

そして何より、周囲からの「期待」という

プレッシャーが、悠斗を押し潰しそうに

なっていた。 


「一体僕らはどこまで旅をするんだろう?」


悠斗は、未来への不確実性に、不安を感じていた。自分はどこへ向かっているのだろう。

この先の道は、本当に正しいのだろうか。


美咲と翼との会話


その日の放課後、悠斗は健太と共に、

美咲と翼とオンラインで話していた。

期末試験の話題になった。


「期末試験、どう?美咲は絵が上手だから、美術は満点だろ?」


健太が冗談交じりに言うと、美咲は苦笑した。


「美術は得意だけど、他の科目はいつもギリギリだよ。特に理科と数学が苦手で…」


翼は、静かに言った。


「俺は、まあ、それなりかな。でも、今回、英語は結構自信あるんだ。新しい単語を覚えるのが、ちょっと楽しくなってきたから」


健太が、意外そうな顔で翼を見た。


「へえ、翼が英語得意って、なんか意外だな!絵だけじゃないんだな」


悠斗は、二人の話を聞きながら、自分自身の成績に対する不安が募るのを感じていた。美咲は絵という表現の道、翼もまた芸術の道を目指している。

彼らは、たとえ学校の成績が振るわなくても、

自分たちの「居場所」が明確にある。

しかし、悠斗は、まだその「居場所」

を確信できずにいた。スポーツ心理学は、

まだ漠然とした目標であり、それが彼を救う

確固たる道筋なのか、まだ判断が

ついていなかった。


「世界はこんなにも素晴らしい」のか?


期末試験の最終日。最後の教科は理科だった。

悠斗は、問題用紙をめくり、最初の問題を見た。


「水と油を混ぜるとどうなるか、その理由を含めて説明しなさい。」


悠斗は、頭の中で水と油が混ざり合わない光景を

思い浮かべた。まるで、今の自分と、

かつてのサッカー選手としての自分のように

。あるいは、自分の夢と、現実の間の壁のように。


「世界はこんなにも素晴らしい」


脳裏をよぎる。本当にそうなのか? 

自分にとって、世界は、時に残酷で、

理不尽な場所だ。怪我によってサッカーの夢を

奪われ、それでもなお、この世界を素晴らしい

と心から言えるのだろうか?

ペンを握る右手が、微かに震える。しかし、

彼は、その震えを抑え込むように、懸命に答えを

書き始めた。


期末試験の結果


そして、期末試験の結果が発表された日。

悠斗の心臓は、いつも以上に激しく

脈打っていた。

悠斗の成績は、平均点ど真ん中だった。

特段良いわけでもなく、悪いわけでもない。

特に苦手だった数学は平均以下で、

スポーツ心理学の知識が活きる体育の理論や

保健は満点に近い成績だったが、

全体の点数を引き上げるまでには至らなかった。

彼は、自分の成績を見て、正直、

少しがっかりした。もっと頑張れたはずだ

という後悔と、それでもどうしようもない

諦めのようなものが、彼の心を満たした。

その夜、悠斗は健太たちに、各自の試験結果を報告し合うことにした。


健太は、案の定、全体的に平均以下だった。

特に、苦手な数学と理科は壊滅的だったらしい。


「ま、俺はサッカーで勝負だから!こんなの、通過点だって!」


健太は、そう言って笑い飛ばしたが、

どこか悔しそうな表情も見せていた。

美咲は、予想通り美術は学年トップだったが、

他の科目は平均を大きく下回り、

特に理数系科目は赤点ギリギリだった。


「やっぱり、絵ばっかり描いてるからかなあ…でも、絵だけは誰にも負けたくないんだ」


翼は、意外なことに全体的に平均より少し上だった。特に英語は、健太の言う通り、学年で上位に入るほどの好成績を収めていた。


「英語は、なんか面白くなってきたから。色んな国の言葉で、自分の気持ちを表現できるって、すごいなって」


旅は続く


悠斗は、それぞれの成績を聞きながら、

自分の心の中で、彼らとの差を測っていた。

健太はサッカーという絶対的な強みがあり、

美咲と翼もそれぞれの「表現」の分野で突出している。自分は、スポーツ心理学という新たな道を歩み始めたけれど、まだ、これといった「強み」と呼べるものを見つけられていない。


「行こうぜ、旅人」


再び、心に響く。この試験の結果が、

彼らの次の物語にどう影響するのか。

悠斗は、自分の成績が平均点だったことに、

焦りを感じていた。このままでは、

彼は彼ら3人の「夢」の隣を歩くことはできても、

彼自身の「夢」を、彼らと並んで輝かせる

ことはできないのではないか。


彼は、まだ旅の途中だ。そして、この期末試験の

結果は、彼が旅をする上で、向き合わなければ

ならない現実の一つを示していた。

彼らは、それぞれ違う道を歩む旅人。

しかし、互いの夢を語り合ったあの日の集合写真が、悠斗の心を強く支えていた。


悠斗は、もう一度、手元にある試験結果の

紙を握りしめた。これから、どんな困難が

待ち受けているとしても、彼は、

旅を続けるしかない。そして、いつか必ず、

自分自身の「強み」を見つけ、彼らと共に、

未来へと歩んでいくことを、

改めて心に誓った。


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