第9話「アルカディアの誓い」

 玉座の間を満たしていたのは、死そのものよりも深い、絶対的な静寂だった。

 全ての貴族の視線が、まるで槍のように、ただ一人、ハイゼンベルク公へと突き刺さっている。リアーナが魔法の光で映し出した、動かぬ証拠。彼の領地からしか産出されぬはずの『影水晶』が、帝国の装置に使われていたという、逃れようのない事実。

 ハイゼンベルク公の顔から、余裕という名の仮面が剥がれ落ちていた。その下に現れたのは、驚愕と、焦りと、そして追い詰められた獣のような獰猛な光だった。

「……そ、それは捏造だ!」

 彼が最初に絞り出したのは、ありきたりな否定の言葉だった。「王女は、あの素性の知れぬ異邦人の妖術に惑わされているのだ! その光る絵など、奴が見せている幻に過ぎん!」

 しかし、その言葉に同調する者は、もはや誰もいなかった。貴族たちは、ハイゼンベルクではなく、その隣に映し出された、あまりにも緻密で、論理的なデータの方を信じていた。

「あるいは!」ハイゼンベルクは、さらに声を張り上げた。「私の領地から、帝国が密かに盗み出したものやもしれん! そうだ、そうに違いない! 私もまた、帝国の卑劣な罠に嵌められた被害者なのだ!」

 見苦しい悪あがきだった。その時、リアーナの耳にだけ装着された、真珠のイヤリングが微かに震えた。アレンが、ソラリスを通じて、次なる一手となる情報を送ってきたのだ。

 リアーナは、哀れむような視線をハイゼンベルク公に向けると、静かに、しかし議場の隅々まで響き渡る声で言った。

「では、公爵。あなたの紋章が刻まれた密書を使い、ここ数年にわたって帝国と極秘の鉱物取引を行っていたという、この記録については、どう言い訳をなさいますか?」

 リアーナの言葉に呼応し、ホログラムの隣に、新たな光の図表が映し出される。それは、ソラリスが帝国の交易記録の中から探し出した、ハイゼンベルク公の署名と紋章が記された、生々しい取引の証拠だった。

 これが、決定打となった。

 彼を最後の最後まで擁護しようとしていた貴族たちでさえ、その顔から血の気を失わせ、ゆっくりと彼から距離を取り始める。味方は、もういない。

「おのれ……おのれ、小娘がああああっ!」

 完全に理性を失ったハイゼンベルク公は、絶叫と共に、その指にはめていた禍々しい指輪をリアーナに向けた。最後の、そして最も愚かな抵抗だった。

「闇よ、彼女を喰らえ!」

 指輪から、凝縮された暗黒の魔法弾が放たれる。それは、命を喰らう呪いの塊だった。

 貴族たちが、悲鳴を上げて逃げ惑う。

 だが、その凶弾がリアーナに届くことはなかった。彼女の前に、銀色の壁が立ちはだかった。騎士団長ガレイドだ。彼は、その身を盾とし、魔法弾を自らの胸で受け止めた。

「ぐ……おおっ!」

 ガレイドの屈強な鎧が、黒い稲妻に打たれたかのように砕け散る。彼は深手を負い、膝をつきながらも、決して倒れはしなかった。

 その一瞬の隙を、アレンは見逃さなかった。議場の隅、柱の影から、カドゥケウスの銃口が火を噴く。放たれた青白いパルスは、ハイゼンベルク公が次弾を放とうとしていた右腕を、正確に撃ち抜いた。彼の腕は、まるで主人の意志を失ったかのように、だらりと垂れ下がる。

 そこへ、我に返った衛兵たちがなだれ込み、ついに、王国を裏切った大貴族は、床に押さえつけられた。陰謀の首魁が、その醜態を完全に白日の下に晒した瞬間だった。


                     ※


 嵐は、去った。

 数日後、王都アストリアには、偽りではない、穏やかな平和が戻っていた。ハイゼンベルク公とその一派は、反逆罪で断罪され、幽閉の身となった。侵攻の大義名分と、内通者という手引き役を同時に失ったグリムロック帝国は、沈黙を守ったまま、国境から軍を引かざるを得なかった。

 王の執務室。国王は、アレン、リアーナ、そして左腕を聖布で吊ったガレイドの三人を前に、深く、深く、その頭を下げた。

「……余は、間違っておった。法と秩序に縛られ、真実から目を背けるところであった」王は、顔を上げると、アレンをまっすぐに見た。「アレン・クロフォード殿。そなたは、このアルカディアの救い主だ。王国を代表し、心からの感謝を申し上げる」

 それは、一人の王として、最大の謝意を示す言葉だった。

「そして、そなたを、もはやただの異邦人として扱うことはできん。地球統合政府からの特使として、正式にそなたの滞在を許可する。我らアルカディアと、そなたの故郷との友好を築くため、必要な支援は、何一つ惜しまぬと約束しよう」


 王都からほど近い、静かな森の一角。アレンは、国王から、その土地を拠点として借り受けることになった。

 リアーナとガレイドが見守る中、アレンは空に向かって合図を送った。やがて、雲の上から、巨大な黒い影が、音もなく降下してくる。恒星間外交船オデュッセウス。これまで、その姿をステルス機能で完全に隠していたアレンの母艦が、初めてその荘厳な全身を現したのだ。

 森の広場に、巨大な船が、まるで羽毛のように静かに着陸する。リアーナとガレイドは、その圧倒的な存在感と、自分たちの世界の常識を遥かに超えた光景に、ただ息を呑むばかりだった。

「ここを、僕らの新しい始まりの場所にします」

 アレンは、二人を見て微笑んだ。

「『ベースキャンプ・オデッセイ』と、名付けましょう」

 彼は、船のナノ・ファブリケーターを起動させ、拠点となる居住区画や分析ラボの建設を開始した。何もない場所に、自分たちの手で、未来のための礎を築いていく。その純粋な創造の喜びに、アレンの心は、かつてないほど満たされていた。


 その夜。

 建設が始まったばかりのキャンプ地で、三人は、静かに燃える焚き火を囲んでいた。ガレイドが負った傷は、アレンが提供した医療用ナノマシン・ジェルによって、魔法でもありえないほどの速さで治癒に向かっている。

 見上げれば、二つの月が、まるで彼らを祝福するかのように、優しく、そして明るく輝いていた。

「一つの嵐は、去った。だが……」

 ガレイドが、焚き火の炎を見つめながら、静かに言った。

「ええ」リアーナが、その言葉を引き継ぐ。「本当の戦いは、これからです。ヴォイド、他の異世界、そして……アレン、あなたの故郷のこと」

 やるべきことは、まだ山のようにある。彼らが乗り越えた危機は、これから始まる壮大な物語の、ほんの序章に過ぎないことを、三人は理解していた。

「一人ではありません」

 アレンは、大切な友人たちの顔を見て、微笑んだ。

「僕たちなら、きっと乗り越えられます」

 もはや、多くの言葉は必要なかった。彼らの心は、固く、そして確かに結ばれていた。この世界の未来を、そして、まだ見ぬ二つの宇宙の未来を守るために、共に戦い抜くことを。

 三人の胸に灯った誓いの炎を、二つの月の光が、いつまでも見守るように、優しく、静かに、照らし続けていた。

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