第2話 月草の女御

◆◆◆


 ――秋の世の 月の光は清けれど 人の心のくまは照らさず  


 季節が移ろうのは、早い。

 立后の儀の時は、梨の花が満開だった。

 温かな春を過ごし、蒸し暑い夏を経て、ようやく朝夕が涼しくなってきた秋。

 東宮の御渡りは、用件のみの数回だけだ。

 とりあえず、壮健でいらっしゃることは、報告を受けているので、単純に自分に会いたくないだけなのだろう。


 ――得体の知れない妃など、願い下げだ。


 維月いつき自身、東宮の気持ちは、よく分かる。


「姫様! いい加減、我慢の限界です」

「えっ?」

「この仕打ち、酷過ぎやしませんか?」


 読み飽きた書物から視線を上げて、物憂げに息を吐いたのがいけなかったのか。

 几帳をなぎ倒す勢いで、実家から連れてきた年上の女房・瀬野せのが泣きついてきた。


(すごいな……)


 緋の長袴で、派手に動き回ることができる瀬野の機敏さを、維月は見習いたかった。


「もう秋ですよ。あっという間に半年、一年経ってしまいます。それなのに、東宮さまからは何の音沙汰もありません。絶対、おかしくないですか?」

「そんなに怒らずとも。東宮様はお忙しいのですよ。仕方ありません」


 我ながら苦しい答えを告げ、軽く笑ってみせると、瀬野に大泣きされてしまった。


「それは勿論、私だって、東宮さまがご多忙であることは承知しております。でも、姫様は、後宮で、ご自身がどんなふうにお呼ばれになっているか、ご存知ですか? 泡沫の女御とか、月草の女御とか、いくらなんでも酷すぎますよ」

「ああ、すべて儚い感じのあだ名ばかりですよね。でも、月草って言うのは、私の名前の維月と月草をもじっているみたいだから、名付けた人は、賢い方で……」

「そんなこと、どうだって良いのです! 姫様は東宮さまに、もっと怒って良いと思います」

「怒る? 私が?」


 自分のことのように憤慨している瀬野こそ、維月にとって有難い存在なのだが、彼女にはまるで届いていないようだった。


「直接呼びつけて、叱ってやれば良いのです。いまだに私は後宮内で侮られていると……」

「別に虐げられてはいませんよ。不自由なく過ごさせて頂いているので、東宮さまには感謝しているのです」

「感謝って……。私には姫様が何を考えているのか、さっぱり分かりません。何だか、こうなることを、当然のようにされていて……」

「……予定通りですからね」

「どういう意味ですか?」


 瀬野は、維月の行儀作法の先生だ。

 急きょ入内することになった維月のために、身分は低いものの、高い教養があり、特に和歌の腕は都で一、二を争う名手である瀬野の評判を聞いて、女房に迎えたのだ。

 実家のことは、維月が黙っていても、後宮内で噂になっているだろうと、放っておいたのがいけなかったのかもしれない。

 ……いや。

 実のところ、ここまで瀬野が維月のことを心配してくれるとは、思っていなかったのだ。

 書物を膝に置いてから、維月は真実を口にした。


「……瀬野。こうなることは、最初からすべて決まっていたことなのですよ」

「どういうことですか?」

「私はね……。一時だけの、仮初の妃なのです」


 秋の夜の月は、人の心の奥底までは照らさない。


 ――そう。

 維月の本心など、この世の誰も知りはしないのだ。

 冥府にいる「あの人」以外は……。

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