第8話死ぬなスホーイ!


 帝都大学院の端の端。


 第三十七号館、人文学館・異世界言語研究・詩学研究室は紙の洞穴であり、本の要塞である。


 いくつもの本による塔の中で、今一番窓からの光が当たっているモノを探し、頂上に寝転がり、今日はお腹かと、臍を天に向け喉をグーと伸ばす。


 魔王殺しのつがいに買ってもらった漆黒の高価な生地で作られた魔法使いのローブを埃まみれにして、顔のほとんどを覆う丸眼鏡を手で押し上げ、両膝を折り曲げ両腕で自分の脚を包み込み、十四、五にしか見えない幼い顔と小さな体躯は木の丸椅子の上で睡蓮の蕾のように小さくなりブツブツ呟いているエルフは飼い主で、これから始まる授業の予行演習をしているが、うまくいっていないのだろう、時折頭を掻きむしったりしている。


「よし決まった!!」


 飼い主がいきなり立ちあがり、両手を天に突き立てる。


「やっぱり、意識について話さないといけないと思うんだよ!!」


 ビッと本の塔の上で寝転がる吾輩に向かい人差し指を向ける。


 ひょいひょい吾輩に近づき、両手を伸ばし、つま先立ちになり、高いところにいる吾輩を捕まえ、さっきまで座っていた木の丸椅子に座らせた。


「意識は大したことはないんだよ」


 うむ、そうだな。


「意識より、僕の体はすごいんだよ!!」


 そうだな、吾輩もこの矮小な肉体を得て、よく分かる。


 この体は怠惰だ、なので吾輩も今は日がな一日、体に日の光に当て、惰眠を貪ることにとろけるような快楽を感じてしまう。


 これは、この脳の報酬系がそのようにできているからだろう。


 脳は体の臓器の一つであるのだから、肉体である。


 吾輩の意思決定は肉体がかなり行っている。


 心であり、自我である、意識よりも、脳を含んだ感覚器と共にある肉体は支配力が強い、つまり、意識よりも肉体はすごい。


「〃物自体〃は感覚器で感知される、ここを無意識と呼ぼう。

 言語の門を通過する前、ここで何を言語化し、どれを言語化しないのか、それを決める場所、ここを前意識と言うんだ。

 前意識の検証を受け、言語の関門を抜け、意識に上がる。ここで初めて心は感じ、僕らの世界になる、〃現象〃となる。

 つまり、何を僕の心に感じるものは、体が決めている、僕らは何を見るか、どう感じるかは、肉体が決めているんだ!!」


 うむうむ、ユングか? いや前期フロイトだな。


 寝ていると前意識の検閲が緩み、意識に上がらなかった、肉体が得た情報が上がってきてしまうことがある。これを夢と呼ぶ。


 たしか夢判断とか言う本だったと思う。


 フロイトとカントの融合か、なるほど、面白い。


 つまり、






 〃物自体〃→感覚器→脳{無意識→前意識→言語化}→心{意識}〃現象〃






 と、言うことであろう。


 無意識と前意識の差別化や、前意識で弾かれた感覚がなぜ記憶に残るのか、など諸々気になる点はあるが、印象としては間違いはなかろう。


「僕たちは、〃物自体〃の溢れるような情報から、肉体が限界まで得た情報を、言語の関門を通すことにより、ほんの少ししか得ることができない。

 僕らは常に目隠しをして、宇宙を生きているようなものさ。

 僕の意識は、弱々しい、手のひらの上の、生まれたての雛のように脆弱なんだ」


 うむうむ、つまり物自体の情報量が100だとすると、肉体が感覚器で受け取れる情報量が感覚器の機能の限界により5となり、その中から、言語の関門を通れるものが1ほどであると言うことだな。


 100ある情報の中から、意識に上がる情報は1ほどである。


 実際の数字はもっと少ないだろう。


 脳は一千億の細胞によりできているが、実際意識に上る中枢の神経発火は四十ほどだと言う話しをきいたことがある。


 宇宙は無限で、そこから肉体は一千億の情報を受け取り、意識に上るのは四十ほど。この数はかなり誇張し、正しくはないだろうが、印象としては間違っていない。


「だから僕らは、肉体を見なければいけない。

 具体的に言うと、前意識の状態。

 ここには言語と言う〃意味〃に汚される前の、体が感じた世界があるから」


 そこまで話し終えると、飼い主がじっと吾輩を見る。


 自信があるのだろう。たしかに面白い話しである。


 つまり言語化される前の、意味が確定する前の、料理される前の食材のような世界、そこにこそ文学の芯があると。


 西田幾多郎が言うところの『純粋経験』と言うやつで、カントが言うところの『感性』の世界、サルトルが嘔吐を覚える『実存』と言うやつだ。


 うむうむ、良いぞ。とても良い。


 テクストは記号の集合体である。つまり意味しかない。そこから読者の肉体を使い、情報の通路を逆行させ、脳内にうずもれている前意識の情報を浮き上がらせ、それをテクストと言うシェルに梱包し、無理やり言語のフィルターを押し通り、意識に現前させる。


 材料は読者の脳内にある。前意識内にある情報と言う材料を、テクストと言う記号を纏わせ強引に意識に持ち上げる。


 それが文学であると。








『文学とは、純粋経験を、テキストで包み意識に浮上させることである』








 素晴らしい!! 


 思わずにゃーんと一鳴きしてしまった。


「よし! 今日こそイケる気がする!!」


 うむ! これで分からんなら、それは聞き手の問題である!!


 吾輩と飼い主は鼻息荒く授業の資料を持ち、意気揚々と研究室に併設されている小さな教室に足を運ぶ。


 勢いよく教室の扉を横スライドさせた瞬間、飼い主のテンションが一気に下降した。


 いつもいる肩に真っ黒なハゲタカを乗せたトマスと言う貴族の生徒と、〃聖女〃の二人以外に、真っ黒なローブと三角帽、手首に二股首の白蛇の使い魔を巻いた老婆、学院長が座っていた。


「が、学院長、何故ここに?」


「職務として、当大学の教師の授業を視察しています、アシモフ先生、何か問題でも?」


「……いえ、」


 しょんぼりした飼い主が、教壇に立つ。


 吾輩を教卓の上に置き、


「授業を始めます……」


 飼い主の授業は最悪だった。


 学院長からの、どうでもいい、本当にどうでもいい、質問に答えるために、飼い主の脳のキャパが裂き続かされ、まともに授業ができない。


「心より肉体が優位? 何を言っているのですか? 神への冒涜ですか?」


「無意識が、行動のほとんどを支配している? 私の肉体は、私が支配しています、全て思い通りに動く、寝言は寝てから行ってください」


「純粋な経験? なんですかその言葉は!! 全ての経験は純粋です!! バカにしているのですか!!」


「目に見えない世界!? これが学問ですか!? ふざけないでください!!」


 とりあえず、この老婆は人の話しをきかない。


 否定から入る。


 自分の世界と、新しく飼い主が提示する世界の、言語記号が同じだと勘違いする。


 まあ、理解しようとする人間の態度ではないので、イライラするが、殺してしまうと、後々面倒なので、使い魔の二股首の白蛇に魔力をジリジリ照射し、イジメて留飲を下げていると、その魔力の波動に当てられたトマスの肩に乗る真っ黒なハゲタカがいきなり泡を吹いてぶっ倒れる。


「スホーイ! どうした!!」


 トマスが立ち上がり、ハゲタカを抱きしめている。


 あのハゲタカ、スホーイと言うのか、良い名だな、すぐに忘れるだろうが。


 うむ、これは心停止だな。かわいそうなことをした。吾輩は教卓からぴょんと飛び降り、ハゲタカの元まで歩き、首筋に噛みつき蘇生魔法を送り込む。


「なんて原始的で、無駄のない魔法……」


 吾輩を覗き込んでいた〃聖女〃がそうつぶやく、ほう、吾輩がしていることが分かるか小娘、中々見どころがある。魔法の才能はあるようだ、詩学の才能は点でないがな。


「ベル、ダメ!! それは食べ物じゃないから!! ペッしなさい!! ペッ!!」


 まったく、飼い主は吾輩のしていることが分からぬようで、大声を出して制止させようとするので、ハゲタカから口を放し、にゃーんと一鳴きしておく。


 このバカ鳥も蘇生したしな。


 ハゲタカが死に、蘇生したところで、授業終了のベルが鳴った。


 今日の授業は学院長の老婆の乱入によりめちゃくちゃだった。


 学院長は、


「あとで教務に来てください! 授業中の事故は、担当教員の責任ですからね!!」


 と、ブリブリ怒りながら、教室を後にした。


 あの老婆だって教員で、現場にいたのだから、あれの責任もある様に吾輩には思えるが。


 飼い主はトマスと使い魔の真っ黒なハゲタカに、


「大丈夫だったかい? ごめんね、スホーイ君の様子がおかしかったらいつでも行って欲しい、できるだけ力になりたい」


 と、言って優しく、ブルブル震えながら吾輩から必死に目を逸らすハゲタカを撫でている。


「先生、スホーイが申し訳ありませんでした」


 トマス、正体は皇帝の甥で帝国国家魔導士序列第三位『血殺し』。


 胸にぶるぶる震える真っ黒いハゲタカを抱き、頭を下げる。うむうむ、使い魔の危機があってもしっかり頭を下げられる礼儀正しさ、吾輩お前の評価がミリ上がったぞ。


「アシモフ先生、もしかして、大学内でお立場がよろしくないのですか?」


 白いローブに頭巾をかぶった〃聖女〃がぶしつけに、飼い主を問いただす。


 お前にはデリカシーがないのか? メートルで評価が下がった。


「う、うん、異世界研究は新しい分野だから、色々軋轢があるんだよ、はは」


 飼い主が渇いた笑いを吐き、授業を終わらせ、吾輩を胸に抱き、重い足取りで教務に向かい、めちゃくちゃ事務員に怒られた。


 途中で喫煙所により、研究室に帰ると、ドアの前に一人のすらっと背の高いフロッグコートを着た男が立っていた。


「アシモフ先生ですか?」


「はい」


 飼い主がそう答えると、一枚の手紙を渡し、男は立ち去る。


 手紙が誰からかは差出人の名を見なくてもよく分かる。


 封筒は白地に金の縁取り、左端に青と赤と緑の三本線。


 皇族しか許されない色の組み合わせだ。


 研究室の中、紙の洞窟に入り、飼い主は乱暴に人差し指を隙間に押し込み、ミリミリと手紙を開ける。  


 手紙を読みながら、飼い主の眉間に皺が寄る。


 怒りと言うよりか、あまりに内容が不可解過ぎて、困惑しているようだ。


「ベル、皇帝陛下の配慮で来週から、僕に助手がつくらしい」


 ほう、『血殺し』でも皇帝に告げ口したか? 


「ジャン・ポール公爵閣下、前皇帝陛下の弟さんだって、凄くお爺ちゃん、話し合うかな?」


 それより部屋の掃除ではないか? お年寄りを、あの木の丸椅子に座らせるわけにはいかないと吾輩は思うが

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