第32話 記憶を持つ街

午前10時。

新宿は静かだった。


ビルのガラスには、今も顔が映っていたが――それはもう“誰か”のものではなく、“誰であろうと構わない”という都市の優しさのようなものだった。


駅の構内、かつて迷宮と化していた回廊には案内板が再設置されていた。


>「この場所は、記憶を抱いた人々が歩いた街です。顔は、すでに自己に戻りました。」


玲央は一枚の記録カードを手にしていた。

そこには名前も日付もなく、ただ一行だけ、こう書かれていた。


>「君がここにいたことを、街は覚えている。」


美咲はホームのベンチに座っていた。

片桐が隣に腰を下ろし、顔を上げた。


空は、晴れていた。


地上と地下はもう“断裂”ではなかった。

記憶と物理のあいだにあった壁は静かに融け、都市は“人間の記憶を肯定する空間”へと変わっていた。


駅のアナウンスがゆっくりと響く。


>「まもなく、あなた自身の時間が到着します。顔は自由に、記憶は大切にお持ちください。」


玲央はノートを閉じ、筆を止めた。


物語の終わりは、誰かがそれを思い出してくれる限り、どこまでも続いていく。


片桐、美咲、そしてかつての“顔なし”たちは、記憶の街でそれぞれの歩みを続けていた。


その街には、看板がひとつだけ立っていた。


>「ここは、あなたが誰かであることを許された街です。」

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