第20話 片桐の帰還

0番線の異形の扉が、ゆっくりと開いた。


その奥から、片桐修太が現れた。


だが――何かが違う。


姿かたちは彼そのものだ。

制服も記憶にあるまま。

だが、目の奥に揺れていたはずの好奇心と混乱が、見えない。


静かすぎる。


山下美咲は彼に駆け寄ろうとしたが、足が止まった。


「修太……?」


彼は静かに笑った。

美咲が知る、“修太の笑い方”だった。


それでも、何かが揺らいでいた。


片桐は、「帰ってきたよ」と言った。

その声は、間違いなく本人のもの。

でも、言葉の重みが、記憶と一致していない。


玲央が彼を見つめる。

片桐のポケットには、駅構内で拾ったらしい乗車券が収まっていた。

券面にはこう刻まれていた。


>「片桐修太/Ver.2.0/乗車完了」


美咲の顔が強張る。


「あなたは……“今の片桐”なの?」


彼は答えない。

ただ、地下で何を見たのかをぽつりぽつりと語り始めた。


「……そこは、記憶でできた街だった。みんな顔が“外”にあって……俺は……俺じゃないかもしれない」


それは告白というより、自問のようだった。


美咲は思い出す。

片桐が地下で出会った“顔なし”は、彼の名前を知っていた。

まるでその存在が、彼の“次”を準備していたように。


玲央が一歩踏み出し、質問する。


「君は片桐修太か?それとも……片桐修太として作られた“誰か”か?」


片桐は静かに、手のひらを差し出した。

その中心には、赤く刻まれた痕があった。


「この痛みは……俺のものだと、思いたい」


その言葉を最後に、片桐は静かに構内を見回した。


駅の空気が凍る。アナウンスが低く鳴る。


>「記憶の整合率:不安定。識別不能」


その瞬間、構内の灯りが一つ、また一つと消えていった。


駅が“判断”を始めた。


美咲は片桐の手を握る。


「君が誰でも――この痛みが、君のものなら、私にはそれが“君”だよ」


そう言って、二人は暗闇の中へと歩き出した。


駅は、彼を「記憶不明乗客」として記録した。


果たして、彼が“帰還”したのか、それとも“別の場所に連れて来られた”だけなのか――誰にも分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る