君の声で僕の名を呼んで
@ugougo0614
1.戴冠式の前々日に
「お待たせステラ。さ、帰ろうか」
国家魔法使いであるシアンは、2日後に開かれる戴冠式の打ち合わせを終えて城の図書室に現れた。いつもと違う香りに、ステラは本から顔を上げる。彼がまとうのは、白樺の樹皮を思わせる、冷たくも清々しいウッディな香り。出かける際にだけ使われる香水だった。
「先生、お疲れ様です。ここにいると時間を忘れますね」
ステラは指先で本の背表紙をなぞってからゆっくりと本を閉じ、丁寧に書架に戻した。何度も訪れている図書室の配架場所は、ステラの指先がすべてを記憶していた。まるで自宅のクローゼットに手を伸ばすように、迷うことなく目当ての本にたどり着くことができた。
二人は図書室を出て、日の当たる廊下を歩き始めた。
「待たせてごめんね。帰り際にイセラ先生に呼び止められてしまったんだ」
「イセラ先生、先日学校にみえましたよ。お忙しい方ですね」
イセラは国家防衛を担う翠星庁の長官だ。シアンが属する国立技術研究所との関連が強く、行き来することもあった。ステラの通う魔法学校で公演が催されていたばかりである。
「僕も卒業式のスピーチを頼まれたよ」
「本当ですか?」
ステラは訝しげに長身の師を見上げた。
「弟子の前でスピーチなんて、光栄だよ」
「遅刻だけはしないでくださいね」
窓から見える庭には様々な種類の花が植えられている。今は春の花々が所狭しと咲き誇っていた。
けれど窓の外からも廊下ですれ違う人々も、思わず振り向いてシアンを目で追った。手入れされた美しい庭も、彼の前では色褪せて見えた。
深い藍色の丸いサングラスに隠された瞳は青く怪しげな空気を孕んでいる。透き通る白い肌と、しなやかな体躯を包む長い髪。彼はただそこに立っているだけで、周りの空気は張り詰め、誰もが息をのんだ。
さらに、シアンは30歳で一級魔法使いになったエリートである。12歳で魔法学校に飛び級入学、15で卒業後、国家魔法使いサイタフの下、研究や防衛に当たっていた。24の時サイタフが亡くなり、以後は一人で職務をこなしている。現在はステラと二人暮らしだ。
魔法使いの数が減少している近年において、美貌と才能を兼ね備えたシアンは界隈の希望の光なのだ。自身も価値があることを充分に把握し、利用している。若くして上り詰めた地位も無関係では無い。
「先生、今って恋人いますか?」
ステラがそんなことは意に介さず、唐突に尋ねた。
「いるよ、って言ったら誰かが安心するのかな?」
サングラスをずらして、シアンは弟子に微笑みかけた。
「はい。ゆっくりと控え室で紅茶を楽しめます。」
ため息混じりでステラがぼやく。
「今日も何人かが入れ替わり立ち替わりで先生の話を聞きに来るので、図書室に逃げ込んだんです。すぐに帰ろうと思っていたのに先生が待っててっていうから」
「一緒に帰ろうと思って。僕と一緒なら扉から直で帰れるでしょ?」
「そうですけど、ちょっと天秤にかけても不足です」
「今日は僕が夕飯を作るからさ、許してよ」
「それで、恋人はいるんですか?」
話を元に戻し、ステラはシアンの前に立ち塞がる。
「僕には育ち盛りの弟子がいるから、そんな暇ないよ」
「育ち盛りって…私はあと2日で18になる大人です!」
18で成人となるのがこの国の法律だ。魔法学校を卒業後、国家試験を受けて就職するか、さらに進学するかで未だ悩んでいた。
「さ、帰ろう」
「またはぐらかして!先生、ちょっと待ってください」
階段を下ると、出入り口の前で1人の青年が待っていた。
「お疲れ様です」
クルークは25の若さで二級魔法使いになった、国の指定魔法使いだ。師であるイセラの推薦もあるが、仕事の実直さと魔法能力の高さが評価されて現在の職についている。
「クルーク様、こんにちは。先生がいつもお世話になっています」
「僕がお世話してるんだけど」
「今日忘れ物を届けたのは誰ですか?」
しれっと恩を着せる師を無視してクルークに笑顔を振りまいた。
「クルーク様、いつも先生がご迷惑をかけてすみません」
「シアン様には、我々の方が頼りきりになっている。不甲斐無いばかりだ」
クルークは落ち着いて答えた。戴冠式では翠星庁の精鋭を集めた護衛隊の隊長を任せられている。
「彼を困らせないであげてよ。僕らのために帰りの扉を用意してくれたんだから」
クルークの魔法により城の扉と自宅の扉が接続されていた。城の防犯上限られたものにしか許されていない。
「シアン様、少しよろしいでしょうか。ステラも」
クルークが改まった。彼の様子を見ていると、シアンが相当に高位な魔法使いなのだとステラは実感する。忘れ物をすることが茶飯事な師だ。
「明日、ステラをお借りしたいのです。前夜祭に誘われていたのですが、時間がとれそうなので」
「本当ですかクルーク様!」
ステラは顔を輝かせた。
「でも戴冠式前ですし、お忙しいのではないですか?」
ステラはシアンよりも背が高いクルークを嬉々として見上げている。
2日後、この国で戴冠式が行われる。ステラと同じ18の王女だ。城の外では常にベールを被り顔を隠しているため、一般人には素顔を知るものはいない。明日、前夜祭が城下町で催されるのだ。
「イセラ先生からも、前夜祭の様子を見てくるように、とお達しがありました」
クルークはイセラの元で魔法を学び現在の地位に着いていた。
「先生、もちろんいいですよね?」
「クルークが一緒なら安心だ」
「やったー!クルーク様、よろしくお願いします」
ステラは訪問のたびにクルークを誘っていた。愚直で物静かな彼と打ち解けるのには骨が折れたが、ようやくニ人で会えることになった。表情が変わらないが、少しずつその変化を見分けられてきたところだった。
「シアン様、ありがとうございます」
頭を下げる姿も丁寧だな、とステラは見惚れていた。
「うん、うちの弟子をよろしくね」
律儀なクルークにシアンはウインクで返した。
「クルーク様、それでは明日五時に噴水前で待ってますね」
「分かった」
「とっても楽しみにしています!」
クルークが扉の鍵に手をかざす。鍵穴が光り、ガチャリ、と音が響いた。扉を押し開けると、向こう側は二人の家の玄関だ。
シアンが先に扉を抜ける。ステラはその隙にクルークの耳元で「素敵な日になりそう」と小声で囁きかけた。同じクラスのマニエルに教えてもらったテクニックだ。勇気を振り絞ったにもかかわらず、眉ひとつ動かなかったことを確認して扉をゆっくりと閉めた。
「君が未成年だから、保護者の僕に許可を取ったんだろうね。真っ当な大人で安心したよ。当のステラからは一言も相談がなかったけど?」
シアンはニヤニヤしながら、指先で滑らせるようにサングラスを外した。それを玄関に備え付けたケースに放り込む。
「クルーク様がOKなら言うつもりでしたよ。まさか先生に直接お話しされるとは思っていませんでした」
ステラはそんなクルークの真面目なところにも惹かれていた。
「ということで、先生、明日の夜はお一人でお願いしますね。夕飯の支度はしていきますから」
ステラは荷物を置くとキッチンに入り湯を沸かし始めた。シアンは仕事の後は必ず紅茶を楽しんでいる。
「僕が素敵な前夜祭の夜を一人で過ごすと思ってるの?」
シアンは不服そうな表情を浮かべてリビングのソファに腰掛ける。
「どなたかとお約束が?」
ステラは棚に並べられた茶葉を選びながら、一つ取り出した。カップは最近焼き物展で新調した淡い色の陶器だ。
「約束前に、振られてしまったけどね」
「先生でもそんなことがあるんですね」
国内のみならず隣国からも縁談は常にあるが、シアンは軽くあしらって断り続けていた。恋人は居なくともそれらしい付き合いの相手がいそうなものだが、朝帰りしたことは一度もなかった。
ステラはずっと、自分のせいで特定の相手を作らないのではないかと思っていた。
家の前に捨てられていた赤ん坊のステラを、今は亡き師匠とシアンで育ててくれた。学校、料理や掃除などの家事、そして魔法を教えてくれた。ステラには魔法の才能があったのだ。一級魔法使いとまではなれないかもしれないが、受けた恩は返したいと、常々思っていた。
自分がシアンの足枷になっているのではないか。自由を奪っているのではないか。ステラの心は時々曇ってしまっていた。
「先生、私…」
「ステラ、今日祝おう」
徐にシアンが立ち上がる。
「え?」
「君の誕生日だよ。当日は戴冠式で難しいから、本当は明日にしようと思ってたんだけど、前夜祭に行くなら今夜しかないからね」
シアンはステラの頭を撫でた。
「先生……」
「僕が一番大事なのは君だよ。さあ、ディナーの準備をしよう。魔法で料理はできないからね」
「ケーキは私が焼きます」
ステラはお菓子作りが得意だった。魔法のように繊細な工程が彼女には向いているようだ。
「僕は買い出しに行ってくるよ。あとはルバンに任せる」
ルバンは大きなクマのぬいぐるみだ。シアンの指が鳴ると、椅子から起き上がり準備体操を始めた。2階の物置へ向かうと、シアンの誕生日にも使った飾りつけを運び始めた。
「先生、ろうそくも買ってきてくださいね」
「はあい」
軽く返事をして、シアンはドアを閉める。
「一番大事なのは、か。この言葉がいつか君を傷つけることになるのだろうか」
深くため息をついた。
リビングの長机に豪勢な料理が並んだ。中央にはチキンの丸焼き、サイドにはオードブル、スープ、パンなどステラの好きなものが並んでいた。すべて街で一番人気のレストランからシアンが扉を繋いで運ばれたものだ。
「僕の大切な弟子が誕生日だからって話したら食べきれないほど用意してくれたんだ」
実際は街中の住人が総出で食材を集めてくれた。ステラはこの街では有名な「魔法使いの弟子」だ。幼い頃からみんなで見守って育ててきた。シアンとステラの師とともに。
「明日、みんなにお礼を言って回らなきゃ」
ステラは人の恩をまっすぐに受け止められる子に育ってくれた、とシアンは安堵した。
「あと、これは師匠から」
取り出したのは年代物のワインだ。
「ステラが生まれた年のワインだよ。師匠が君が18になったら一緒に飲みたいと言って準備していたんだ。」
師匠はステラが12歳の時に病気で亡くなった。どんな魔法も病気は治せないと知った日だ。
「フライングだけど、師匠は許してくれるさ」
「はい。」
コルクを開ける軽快な音で、パーティーが始まった。
「誕生日おめでとう、ステラ」
「ありがとうございます」
グラスにワインが注がれる。3つ目のグラスは、二人の間に置かれた師匠の写真立てに供えられた。それはまるで、遠い過去から二人を見守る、もう一人の存在を招いているかのようだった。
二人は写真を見つめて乾杯をした。ステラは生まれて初めてのお酒だ。
「う、お、あ」
「無理しないでいいよ。師匠も喜んでる」
初めて飲む味にステラは悶えていた。
「大人の味がします」
料理を取り分けながら、二人は師匠の話や子供の頃のステラのいたずら話など思い出を語り合った。
ステラにとって師匠とシアンは命の恩人でもある。育てると言う決断をしてくれたからこそ、成人になるまで何不自由無く育つことができた。師匠サイタフは若くして結婚し、子どもをもうけていたが病気で亡くなっており、後を追うように妻も亡くなっている。以後は一人で生活していたが、突然赤ん坊のステラが現れ育ての親となった。子育ての経験があったとはいえ、最高峰の魔法使いが弟子とともに赤ん坊の世話をする生活は苦労したに違いなかった。シアンは当時サイタフに教えを乞うために下宿までしていたところを巻き込まれたのだ。二人には感謝しても仕切れない恩があった。
ボトルを空にしたのはそれから2時間ほど経ってからだった。ほとんどをシアンが飲んでいた。
「先生、大丈夫ですか?」
ステラは冷蔵庫から水を取り出して新しいグラスに注いだ。
「ありがとう。つい、飲みすぎてしまったね」
「ケーキ、食べられますか?」
「もちろん」
「紅茶を淹れますね」
ステラが作ったケーキは生クリームたっぷりのスポンジケーキだ。苺がなくて困っていたら、近所の八百屋から届けられた。シアンの口利きだった。
大きい蝋燭が1本、短い蝋燭が8本が狭い面積に建てられた。
「ステラ、明かりを消して」
ステラが照明を切ると、シアンは指を鳴らした。暗闇の中に無数の光の粒が弾け、次の瞬間、蝋燭の炎となった。
「うわあ、虹色ですね!」
炎はまるで彼女の瞳の中の色を映したかのように、赤、オレンジ、青、そして見たこともない玉虫色に揺らめいた。シアンは炎を扱う魔法が得意で、微妙な色合いの調合はお手のものだ。ついでに体内のアルコールを燃料にして、酔いを覚ましていた。
「誕生日おめでとう。さあ、願い事と一緒に火を消して」
ステラは願い事を思い浮かべているのが顔によく現れていた。シアンがそれを見て微笑む。
一気に吹き消すと、部屋が真っ暗になる。
「灯り、つけますね」
「ちょっと待って」
立ちあがろうとするステラを、ふたたび席につかせる。
「ステラの願いが叶うように、もう少しだけ祈らせて」
シアンは暗闇の中、手を組んで祈っていた。
師匠であるサイタフが亡くなった時、シアンは24歳、ステラは12歳だった。シアンは師匠亡き後、彼の仕事を引き継ぎ忙しい日々を送っていた。ある時、ステラが高熱で寝込んだ時があった。シアンは朝までつきっきりでステラの看護をしてくれた。熱が下がって目が覚めると、シアンは座ったまま眠っていたので毛布を掛けてあげたことを思い出した。
あの日から、シアンは見違える様な魔法使いに変貌していき、国家魔法使いになった。師匠のように、大きな催しに呼ばれることが増えた。
しかし、魔法使いは今後どんどん少なくなっていくだろう。魔法が台頭していた時代は徐々に終わりを迎えている。火をつけるにはライターを使えばいい。蛇口を撚ればお湯が出る。交通機関も発達し、大量の人が短時間で移動できるようになった。魔法学校の閉校も相次いでいる。
その中で、魔法使いの仕事といえば国防と伝統の保存である。兵器としての魔法は未だ健在だ。国同士で条約を結び魔法を使用しないとしているが、いざという時には解禁される。だが、兵器の開発技術も目覚ましい昨今では、それもいずれは無くなるだろう。
ただひとつ、脈々と受け継がれる魔法書に書かれた魔法を使用できるのは国家魔法使いのみが許されている。魔法書は城の禁書庫に厳重に保管されている。
2日後の戴冠式で、大厄災から国を守ったとされる魔法使いシェリフ・カーカが使用していた魔法書と魔法石が解禁される。魔法石は王冠に据え付けられていた。
「ステラ、もういいよ」
呼ばれてハッとした。急いで灯りをつけた。
ケーキからろうそくを抜いて、二人で切り分けて食べた。夢のような、甘いひとときだった。
これが二人で過ごした最後の誕生日となった。
君の声で僕の名を呼んで @ugougo0614
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