第9話



 ――おかしなことになってしまった。


 病室で自分の手を握っただけなのに、タスク草士に密かに恋をしていると、甘神に勘違いされてしまった。


 断じて俺はゲイではない。

 大事なことなので、もう一度言おう。


 断じて、俺はゲイではない。


 普段は無口でクールぶってるが、俺だって女子にモテたい。ちやほやされたいという願望はある。馬鹿にされたくないからわざわざ口に出して言わないだけだ。当然、甘神に告白することも友人らには黙っていた。「高望みしずぎ」「絶対に振られるからやめとけ」「冷たくされて再起不能になるぞ」となんやかんやで止められるのがオチだから。


 ――あれって、お前みたいなモブが高嶺の花に近づくんじゃねぇよって、牽制も入ってるよな。

 

 とりあえずタスクになりきって、「こいつに恋愛感情は一切ない、教師に頼まれて仕方なく見舞いに来てやっただけだ」と断言したのだが、甘神がそれで納得してくれたかは怪しいところだ。


「分かりました、そういうことにしてあげます」


 ――なんだよ、そういうことって。


 ともあれ、これで甘神の件は片が付いたと思いきや、


「こんにちは、志伊良さん。またお会いしましたね」


 タスク草士の病室へ行くたびに、そこに甘神がいて、困ってしまう。

 もちろん彼女に会えるのは嬉しいが、彼女がいると都合が悪い。


 元の身体に戻るための実験ができないし、何より、


「御伽さん、聞こえていますか? 志伊良さんがまた、お見舞いに来てくれましたよ」


 そう涙ながらに昏睡状態の草士に話しかける甘神を見ていると、なんとも言えない気持ちになる。

 

 俺はここにいるのだと、全力で彼女に伝えたい。

 いっそ本当のことを打ち明けてしまおうか。


 けれど彼女が俺の話を信じてくれる保証はなく、最悪、頭のおかしい男だと思われて警察に通報されてしまうかもしれない。

 そんなことをうだうだ考えているうちに面会時間は終わってしまい、

 

「では、志伊良さん。さようなら」


 結局何も伝えられないまま、むなしく甘神の背中を見送るのだった。





 ***





 翌日の放課後、



「タスク、今日も病院へ行くの? あたしも付いて行っていい?」



 気づけば塩沢に行く手を阻まれていた。


 ――ってか、なんで俺が病院に行っていることを知ってるんだ?


 疑問はそのまま口に出していたらしく、塩沢は軽い口調で答える。


里香りかに聞いたの。あの子なんでも知ってるんだから」


 誰だ、リカって。

 ああ、情報通と噂の目黒めぐろ里香のことか。


 実際に話したことはないが、一年の時は同じクラスだった。

 大人しく真面目そうな見た目の女子で、他人のゴシップに興味があるようには見えなかったが。


「御伽のお見舞いに行くなんて、タスクも物好きだよねぇ。そういえば同じ中学だっけ?」


 恐るべし女子の情報網……というより暇なのか? 暇なんだな。

 まさか病院で甘神と鉢合わせしたことまでバレているのではと内心ひやひやしていたが、さすがの塩沢もそこまでは把握していないらしく、


「ねぇタスク、御伽の心配する余裕があるなら、サッカー部に戻りなよ。あたし、好きだったな。タスクがサッカーしてるとこ見るの」


 すぐに話題が変わり、ほっとする。

 しかし、草士に対して何気にひどいこと言ったな、こいつ。


「うるさいな、余計なお世話だよ」


 だからこっちもキツめに返すが、塩沢は傷つくどころか、むしろ怒ったようにタスクを見返してくる。何も言わず、ただ黙ってこちらを睨みつけてくるので、次第に薄気味悪くなって、俺は足早に彼女の横を通り過ぎた。


 ――見た目ギャルだから中身もあっさりしているもんだと思ったけど、そうでもないんだな。


 草士としては極力関わりたくないタイプだ。

 教室を出た後、やけに人目が気になって、その日は病院に行かずまっすぐ帰宅した。



 翌朝、



「おはよータスク、今日の夕方、雨が降るみたいだよ」



 何事もなかったかのように塩沢が話しかけてきた。

 昨日の気まずい雰囲気を払拭するような明るさで。


 一瞬、答えるべきか迷ったものの、



「そっか、なら自転車で帰るのはやめとこうかな」



 俺も基本は面倒くさがりの事なかれ主義者なので、とりあえず当たり障りのない返事をする。

 これで仲直り成立だ。



 ――女子を敵に回すと陰で何を言われるか分からないからな。



 もっとも外見だけは爽やかスポーツマン系なので、それほどビビることはないと思うが、用心に越したことはない。人気グループの某イケメンアイドルだってグラビアアイドルと密会しただけで鬼の首を取ったように叩かれていたじゃないか。



 少し前の俺なら、俺は俺、タスクはタスクと切り離して考えていたが、自分の身体に戻れない今、そうも言っていられなくなった。下手をすればこれから先もタスクの身体と一蓮托生……となると「石橋は叩いて渡るべし」の精神に切り替える必要がある。



 なので俺は努力した。


 


 その一、女子に話しかけられても無視しない。記憶喪失であることをきちんと説明した上で最低限の会話を試みる。

 その二、とりあえず最後まで相手の話を聞く。

 その三、相手のよって態度を変えない。




 そんな俺の努力が功を奏したのか、




「最近のタスク、変わったよね」

「変わった変わった」

「前はツンツンしてたけど、今はめっちゃ話しかけやすいよね」

「優しくなった?」

「前は俺らのこと馬鹿にしてたよな」

「運動部の連中とばっかつるんでたしな」

「その分、女子同士のけん制がすげぇことになってるけど」


 クラスメイトの評判も上々だ。

 タスクに群がる女子が増えたせいで、塩沢もあまり近づいてこなくなった。


 だからこそ油断していたのだと思う。



 ――今、背中を押されたよな。



 その日は朝から雨が降っていて、俺は駅のホームで電車を待っていた。

 誰も並んでいないからと、黄色いライン手前に立っていたせいだろうか。


『まもなく特急列車が通過します。危ないですから黄色い線の内側までお下がりください』



 アナウンスが流れ、ホームに進入する特急列車が見えた。直後、ぽんっと背中を押されて、前につんのめってしまう。咄嗟に足に力を入れて踏みとどまったものの、顔面すれすれの距離を、ものすごいスピードで列車が通り過ぎていく――風圧で髪の毛が逆上がり、息ができない。


 

 ――っぶねぇ……死ぬかと思った。



 慌てて振り返り、犯人を捜すが、近くには誰もいない。少し離れた場所に人がまばらに立っているものの、皆手元にあるスマホに夢中で、周りの光景が目に入っていない感じだった。今この場で殺人未遂事件が起きたことにも気づいていない。



 ――逃げたか。



 もしや通り魔の仕業だろうか。

 念のためにその日は学校を休み、警察に通報したものの、安心はできなかった。



 そもそも通り魔だったらか弱い女性や老人を狙うはず。なぜよりにもよって、見るからに運動部員である長身の男子高校生をターゲットにしたのか。イケメンに個人的な恨みでもあるのか。




 ――あらためて考えたら、変だよな。




 タスクは一度、階段から落ちて死にかけている。病院で目覚めた時は特に疑問に思わなかったが、次期サッカー部のキャプテンと目された男が――ずば抜けた運動神経を誇る男が、そう簡単に階段から落ちるものだろうか。



 ――もし事故じゃなかったら……?



 タスクが誰かに命を狙われているのだとしたら?



 考えるだけで背中が凍り付きそうになる。

 人気者だからこそ、アンチは必ず存在する。



 本人が気づいていないだけで、逆恨みされることもあるだろう。かつての草士も、その一人だった。イケメン滅びろと心から念じた自分を、今は心から恥じ、悔いている。だから神様、もうこれ以上、バチは当てないでください。


 ――タスクが死んだら、中にいる俺も終わりだ。


 甘神の泣き顔を思い浮かべながら、俺は決意する。

 せっかく彼女と両想いだと分かったのに、こんなところで死んでたまるかと。


 ――必ず犯人を突き止めてやる。



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