隣
ささかま
第1話
「そういえばさ〜アパートの隣の部屋から囁き声がするんだよね、なんて言ってるのかわからないけどさ、まあ迷惑ってほどでもないけど…なんとなく気になるぐらいだし
気にしなきゃいいかなって最近割り切ってるんだけど、そんな気にしてないし」
目の前の友人はあっけらかんと言っているが、顔はいかにも悩んでいますと言うように頬は痩せこけ、顔色も悪いからまるで"ごぼう"のようだった。
そもそもなぜいきなりそんな話をするんだよ
何回気にしてない言うんだよ、やっぱり気にしてるだろ、と内心思ったが、ここはあえて話を聞いておくことにした。
「いつから声がするんだよ」
「う〜ん1ヶ月くらい前かな、女の人っぽい声かもしれない」
「お前の部屋の隣って一人暮らしのおっさんじゃなかったっけ」
「そうなんだよ、いやでも女性と同居しだしたかもしれないし…あ〜あんまり変なこと考えたくねー」
やっぱり気にしてるじゃないか、強がりめと思わず喉元まで出そうになるのを飲み込んだ
「そんな気になるなら引っ越せよ」
「別にそんなでもねーし、金ねーし」
気にしていると思われたことが不服だったのか、そいつは貧乏ゆすりをしながら親指と人差し指を擦っている。
苛ついている時によく出る癖だ。
「一緒に泊まってやろうか」
「え」
あまりにも唐突すぎた。
でも自分でもわからない、なぜかつい、言葉が出てしまった。
だが、先週まで成人男性の健全な体をしていた彼がものの1週間でごぼうのような姿に変貌を遂げていたことに、不謹慎ながら興味が湧いてしまったのだ。
「録音してみようぜ、その声」
彼の揺すっていた足がピタリと止まってしまった、代わりに擦っていた指先が少し震えていた。
聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか、今更引くつもりはないが。
「…………うん」
そいつの諦めと、ため息の入り混じった返事を聞きながら彼の家に向かった。
部屋をみて驚愕した。
お前の部屋は本来掃除一つもしてない、いわゆる汚部屋状態であったはずだろ。
だがそこにあるのはゴミ一つない。
いや、家具もない、本当に「何もない」のだ
「このほうが声、声がより大きく聞こえるんだよ…何いってるのかどうしても気になるんだよ…」
彼の住んでるマンションは壁と天井がコンクリートで出来ている。
防音性が高い方がいいという理由で彼はこのマンションを借りたことを俺は忘れていた。
隣の声など、ましてや囁き声など聞こえないのだ。
「早く、早く録音してくれよお、何言ってんのか聞きたいんだよお」
情けない声で急かされたので、ためしにスマホを壁に近づけ、録音してみた。
だがそこに聞こえるのは俺らの息遣いと多少のノイズ音だった。
彼はいつのまにか壁に向かって立っていて
「気になる…気になるんだよ…何言ってんだよ…いつもいつもいつもいつもずーーーーっと聞こえてくるんだよ声が、へばりついて取れないんだよ」
いわゆるキマってる目というやつなのか、ギラギラした目つきで何度も壁を引っ掻いていた。
その姿が獲物から必死に逃げる動物のようだなあとぼんやりとした頭でそう思った。
聞こえる〜まだ聞こえると叫ぶように言ったかと思うと、いきなり窓ガラスを足で破り、その破片を耳に突き刺した。
狂行を目の当たりにし、さすがに怖気付いた俺は一目散にマンションを抜け出していた
家に戻った俺は、すぐにそいつの家に救急車を呼んだ。
命に別状はなかったが、鼓膜を突き破っていたためしばらくは何も聞こえないのだろう。
見舞いにいったときも痩せてはいたが元気そうに見えた、ときおり顔を真横に向け、無表情で「なにか」に喋っていること以外は。
彼はあの後マンションを引っ越したらしい。
あんなことがあってから住み続けようとは思わないだろう。
俺は特に何もなく、日々を過ごしている。
変わり映えもない。
少し悩みがあるくらいか、最近隣の部屋の声がうるさい気がする。
なんて言ってるのかわからないけどさ、まあ迷惑ってほどでもないけど。
隣 ささかま @osasa110323
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