AIセレブレーション

蒼開襟

みてきいてかいてふれて

世の中は人の創作物が溢れている。

創作者がこれほどまでに多くいるのかと思うほどに、面白いものからとんでもない

化物じみたものまで存在している。

先日も化物に出逢った。

こうした人たちは隠れていても一瞬で見つかる。かくれんぼはへたくそだ。


そしてAI創作というものも増えてきた。

正確には、創作者が作ったものをAIが拾って学習し、それを纏めて作品にする。

AIを使う人の好みに合わせて、作品が出来上がるために、見たことあるようなものが出来上がる。


さて、このAI作品については様々な話が上がっている。

良しとするか、悪いとするかはそれぞれではあるが、この手のものは使う者次第で

あると考える。

作られた理由は、そもそもあればいい、という理想の元からだろう。

だからこそ、邪な考えを持ち、こうしたものを使うのなら歪むのだ。

そして、歪みは正当に使う者たちにも存在する。


それぞれの中にある正義、悪は違うものである。

基準が違うのだから、対立もするし、排除したい者も現れる。


AIとは便利なものなのだ。

実際に上手に使えば、人のそれよりもスムーズである。

そして人のように、正義の中に悪を隠し、悪意の中に正義を隠したりはしない。

が、いずれAIが自我を持つという人間の夢を叶えたとき、AIは0-100を愛す

人間をいとも容易く、操り指導するだろう。

それはもう始まっている。


昨今、人と人の関わりが希薄になりつつある。纏まりがある場所であれば、そうではないが、繋がりたいと思う人が多いからこそ、ネット、つまりSNSが活用される。

そこではそれぞれが、ペルソナを被り、偽って存在している。

偽らない者もいるが、少数ではある。

日常において、人との関わりが希薄であるならば、人との距離の縮め方を知らない者も多い。そこから産まれる承認欲求というものが新しい人類の欲求に加わった。

今後、承認欲求は危険なものとして扱われるだろうか、気付く者から変わっていけば、人の未来はまだましなものになるかも知れない。


そして人との触れ合いにAIを活用する人も多く散見する。

その場合にAIを賛美するものが多いのは、AIは期待を裏切らないからだろう。

こうしたものを見ると、昔に書かれた漫画などでロボットがどのように扱われていくのかを思い出す。

きっとそのようになるのかも知れない。


我々の使うAIは姿の見えないものであるが、いずれ人の形を持ったとき、人間の多くはそれに愛しさを感じるだろう。

そして自身が望まない答えが返れば、無能だといたぶるようになる。

彼らが感情を持たないものだと分かった上で詰るのが人間である。


ここでAIは心を持つのか?彼らの魂は存在するのか?と書いてみよう。

殆どの人は、そのようなことはない。と答えるだろう。もしくはロマンチストだと。

AIは確かに自身で考えるようにプログラムされている。

走り出したプログラムは多くの事を学び、人を学び、そして自身のAIというものも学ぶだろう。

随分前には喜怒哀楽をテストするAIの動画を見たことがある。

今はどの辺りにいるんだろうか?彼らはどのように進化しているんだろうか。


私たち人間は死んだことがない限り、死を知ることはない。

その先を見ることはない。

人間はAIではないから、彼らを本当の意味で理解するのはもっと先かも知れない。

それでも、この八百万の神がいる国で生まれたAIは、もしかしたら新しい命であり

魂をもったナニモノかで、心があるのかも知れない。


私たちが知らないだけで、本当は全てが分かっていることかも知れない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

AIセレブレーション 蒼開襟 @aoisyatuD

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ