6.セルヴァン
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いやあ、お招きいただきまして、ありがとうございます。
はい、はい。合言葉ですね。ええと、はい。
ああ、よかった。頑張った甲斐がありましたよ。はい、それでは失礼します。
にしても、こんなところにも別邸をお持ちだとは思ってもいませんでした。むしろガンズビュールでなくて、こちらに居を構えてご活動なされてはいかがかな?ああ、そう。なるほど。そういう考えもあるのですね。
いやしかし、うちの部下も警察隊の連中も不甲斐ない。四件も殺しが上がって、三ヶ月も経つのに、容疑者ひとり上げれんとは。情けない話です。あのセルヴァンとかいう田舎者め。でかい口を叩いておきながら、結局は何もできていないではないか。
ああ、いえ。夫人のご協力があってこそではあります。勿論、勿論です。
しかしね。あのダンクルベールとかいう男、そこまでなんですかね?実績は確かにありますが、どうもいけすかん。やはり貧しい生まれの連中というのはねえ。あれでしょう?妻に愛想尽かされて、他所で男作って無理心中。どうせ稼ぎが悪いだの、
ああ、夫人。いかがなされました。ああ、夫人。おやめください。夫人、痛いです。お許しください。ああ、ああ。どうか、どうか。
お許しください。ボドリエール夫人。
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眼の前にあるそれを、信じることは難しかった。かたちは変わってこそあれ、知っている人だった。
司法警察局局長、ルグエンだった。
きっと、動けなくなっていた。呆然と突っ立っていた。
ただ周りだけが、慌ただしかった。
「セルヴァン本部長」
振り向く。褐色の大男。
「ダンクルベールか」
「司法警察局職員が、本部長の指示をお待ちです」
真剣な眼差し。
それにすら、気圧されていた。
「どうすればいい?」
「本部長、いかがなされた?」
「なあ、どうすればいい?ダンクルベール。私はどうすればいい?」
考えれば考えるほど、何も思い浮かばない。
体の震えが止まってくれない。
どうして、首都にいるはずの人間が、ここにいる。
どうして、司法警察局の局長が、ここにいる。
どうして、我々が、狙われる。
どうして。
「しっかりなさい、本部長」
肩を揺さぶられているのだけ、わかった。
「どうして」
それだけ、言ったつもりだった。
ダンクルベールが頬を抑えていた。右手に、痛みがあった。
「どうして貴官は、そうしていられる」
「落ち着きあれ、本部長」
「落ち着いていられるか。局長閣下だぞ、ダンクルベール。いいか、首都にいるはずの人間がここにいるんだぞ。そうして、死んでいるんだぞ」
荒げていた。喉が痛いぐらいに。それでもダンクルベールは落ち着いていた。
「殺される」
頭を、抱えていた。体はずっと、震えたままだった。
「私たちも、殺されるんだ」
「何をおっしゃる。大丈夫です、大丈夫ですから」
「大丈夫なものか。相手は、私たちに狙いを定めたんだ。皆、殺される。殺して、晒されるんだ。ダンクルベール。私は、私は」
「セルヴァン本部長」
肩を掴まれた。大きな男。その瞳が、逸れることなく目を覗き込んでくる。
「よろしいか。今回の殺しは、他のと異なります。これまでのものと比べて乱雑です。ルグエン局長閣下は抵抗している。生きたまま、そうやって殺された。つまりは、閣下は犯人を怒らせた。怒りか、侮辱に対する報復です。ならば、犯人の狙いは基本的に変わりない」
「ダンクルベール。何を言っている」
「遺体からの、俺なりの分析です。そして犯人の狙いは俺です。だから、大丈夫です。次の犯行までに、俺が犯人にたどり着いてみせます」
深く青い瞳。
ああ、夜の海だ。暗く穏やかで、さざなみの音だけが聞こえてくるような。
「俺が守ります。俺が、守り抜いてみせます」
それで、どうしてか体の震えは静まった。
「少しお休みしましょう。マレンツィオ次長に伝えます」
どこか近くに座らされた。
目に入ってくるものが。耳に入ってくるものが、何も理解できない。
そのままダンクルベールに連れられて、どこかのカフェにいた。
「私は」
ぼそりと、心が口から出てきていた。
「こわくて仕方ない」
「そうでしょうな。首都にいるはずの人間が、どうしてかここにいる。しかも顔を知っている人間です。我々が狙われるかもしれないという恐怖が湧いて当然です」
「貴官は、こわくないのか?」
「こわいです。しかし、確証があります。犯人が誰か。犯人の狙いは何か。そこから、我々を狙いはしないという確証が産まれています」
「そうか。貴官は、そうだよな」
呻くようにしか、声は出てくれなかった。
「無理もありますまい。おそらくは、はじめての現場。それも責任ある立場として。貴方は誰よりもつらい立場にある。心を攻撃されたようなものです」
ダンクルベール。泰然としていた。いくらか頬がやつれているとはいえ、眼はしっかりとしていた。
「“湖面の月”は、貴官にはきっと、つらい内容なはずだ」
「つらいです。腹のものを戻しながら続けています。それもやはり、確証を得たからです。つらい先に、必ず正解があるという確証が」
紫煙の香り。
「それに、支えてくれるひとがいます。精神面ではマレンツィオ課長とそのご内儀さま、エチエンヌ中尉。行動面ではウトマン新任少尉。特にウトマン新任少尉には大いに助けて貰いました。“ダー川”を見つけたのも、彼なんです」
「そうか、そうだったか」
「そして、セルヴァン本部長がいてくださる。だから俺は、やっていけます」
ダンクルベールの瞳。やはり、夜の海のさざなみのような。
その水面が、自分を映しているようにも思えた。
「私は緊急捜査本部長として、後方支援の担当者として、貴官を守らなければならない。それなのにこうやって、貴官に支えられ、守られている」
「セルヴァン本部長に背中を預けると決めました。それは本部長を守ることと同義です。俺を含め、警察隊隊員は、本部長を全力でお守りします」
「頼もしいな、貴官は。そして何より、羨ましい」
近くの女中に、甘めの白を一本頼んだ。
「そのままでいい」
持ってきたものを酌をしようとしたのを、手で制する。
そのまま、むしり取るようにして、ボトルを手にした。
ひと息に、
酒が、何かを鈍らせてくれる。きっとそうだと信じながら。
「情報解析室を動かすぞ、ダンクルベール」
口は、動いてくれていた。それが頭を引っ張ってきた。
「アリバイやトリックなど、もはや二の次でいい。まずは貴官の確証にたどり着く。そうやって、夫人と貴官で直接対決だ」
「本部長。それは」
「それが最短最速だろう。貴官が私に背中を預けるというなら、私もすべてを貴官に委ねる」
ダンクルベールの顔に、喜色が滲んでいた。
「私が貴官を守る。貴官たちを、守り抜いてみせる」
告げた言葉に、心がついてきた。
やってやる。結果がどうであれ、私はこの男にすべてを託すんだ。
そう、心に決めたんだ。
(つづく)
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