第2話 元勇者のおっさんは国王と契約を結ぶそうです
屋敷を出発してから7時間。馬車に揺られ続け、
「あー……」
長旅でノルバは生気を失い抜け殻となってしまっている。
そんなノルバにリッカは元気付ける様に声をかける。
「王都だぞ。久し振りだろう。過去の光景と見比べて見たらどうだ」
「いい。それより早く馬車から降ろしてくれ。もう限界だ」
そう言うとノルバは抜け殻のままズルズルと座席をずり落ちていく。
久しくしていなかった長旅だ。加えて連行でもされる様な状況。
体力的にも精神的にも本当に限界だった。
「もう少し待て」
「早くしてくれぇー!」
「うるさい!」
こんなのが世界を救った勇者などと信じられない。
リッカは
人の声が賑やかになっていく。王都の中心に近付いてきた。
王族も利用する馬車だ。物珍しさに人々が集まってくる。
だが王都に入った際に二人の警備員がついている。
故に何者にも阻まれる事なく馬車は進んでいく。
そうして力尽きたノルバを乗せ、遂に馬車は王宮へと到着する。
「おい起きろ。着いたぞ」
「あぁ……やっとか」
あの後から大人しく座っていたノルバはフラフラと立ち上がると外へと歩いていく。
16年ぶりだ。遂に、遂にノルバは外の大地を踏みしめる。
光が目に痛い。ノルバは手で目を隠す。
ずっと室内にいたので景色が白む。
だが目が慣れてくると、白んだ景色が徐々に色を取り戻していく。
「どうだ? 久し振りの王都は。素晴らしいだろう」
続いて降りてきたリッカが聞いた。
「あぁそうだな」
返事を返すがその言葉に心は籠っていない。
王宮の建つ場所からは王都が一望出来る。
かつての寂れた空気は消え、活気に溢れている。
人も物も16年前の面影はない。
しかしノルバの知る光景は16年前に取り残されている。
だが仕方がない事。時の流れとはそういうものだ。
ノルバはそっと目を瞑り踵を返す。
そしてリッカ達に連れられ王宮へと続く階段を登っていくのだった。
王宮も様変わりした。
魔族と戦争をしていた頃は質素で陰鬱とした空気が漂っていたのに。今やきらびやかな空気に満ちている。
喜ばしい事だ。恐怖に怯え暮らす必要がなくなった証拠なのだから。
だがノルバは居心地の悪さを感じていた。
変化した光景に目をやる事もなく、ポケットに手を突っ込みながら歩いていく。
そして二人の男兵と別れて王宮内に入り、一本道の通路を進んで行くとノルバ達は王室に繋がる扉の前に到着する。
「今から王の間に入る。変な事をするんじゃないぞ」
「分かってるっての」
ノルバはポケットから手を出して返事をした。
衛兵により扉が開かれる。
慎重に開いていく扉の先には、王の元へ続く道の両脇を守る何人もの兵がおり、剣を携えて導線を作っている。
そんな中を堂々と歩いていき、ノルバは玉座に座る王の前に立つ。
「リッカ・アルトカント及びノルバ・スタークス。リーヴェル国王陛下の御前に到着致しました事をここにご報告申し上げます」
膝をつき
当然ノルバも続くべきなのだが、リッカはノルバの行動に度肝を抜かれる事になる。
「久し振りだなリーヴェル。いや、リーヴェル国王陛下……だったか?」
「キ……キサマ! 何をしているんだ!? 早く頭を下げろ!」
予想外のノルバの言動。それでも大きく取り乱しはせず、リッカはノルバにのみ聞こえる声量で指示した。
だが隣に立つノルバはガン無視。王を見上げたまま微動だにしない。
慌ててリッカが頭を掴み、膝をつかせようとすると王が腰を上げ制止する。
「よい。手を放してやれ。お主も楽にしろ」
「だとよ。リッカ・アルトカントさん」
嫌味な態度を見せるノルバに、しかしリッカは返事だけをして落ち着いた様子で立ち上がり後ろ手を組む。
「久しいな。ノルバ・スタークス」
「16年ぶりだ。でかくなったな。何歳だよ」
「今年で22になる」
「あの生意気なガキが偉くなったもんだな」
王に対する態度としてあまりにも不適切。
無礼極まりない態度だが王が許している手前、リッカが口を出す事など許されなかった。
怒りを堪えるリッカの横で会話は進んでいく。
「キミを今日呼んだのは他でもない。我が父、エルデルの非礼を詫びたいと思ったからだ」
「別にいらねぇよ」
「キミならそう言うと思っていた。だが自己満足だろうと保身だろうと、私は王として責務を果たさねばならない」
王は赤く分厚いマントをなびかせながら階段を降りてくる。
近付いてくると
まだ王になるべき器ではない。学ぶべき若人だ。
そんな王はノルバの前まで来ると頭に乗る王冠を外す。
そして足元に王冠を置くと両膝を床につき両手も床に触れると額さえも床に触れさせた。
これはこの世界で最上級の謝意を示す姿勢である土下座。
国王の土下座という前代未聞の事態に兵達でさえざわつく。
「何をなさって―――」
「申し訳なかった!」
たまらず声を出したリッカだったが力強い言葉がそれをかき消す。
「父の蛮行を止める事が出来なかった。謝罪だけで済ませようなどとは言わない。望む全てを叶える事を約束する。自由も保証する。私にアナタを救う権利を……くれないだろうか……」
絞り出す様に発された最後の言葉。その言葉に嘘がない事が分かる。
しかしノルバの見下すその目は冷徹そのものだった。
「約束、保証、権利。あの日も聞いた言葉だな」
「あの時とは違う。信じてほしい……」
「いいぜ」
思いが届いた。リーヴェルは顔を上げるが―――
「その首晒すのならな」
一瞬漏れ出た表情はすぐに消える。
「あぁ、約束しよう。だが待ってほしい。父が死んだ今、すぐに私も死ねば国は混乱を極めるだろう。
リーヴェルは真っ直ぐノルバの目を見ていた。
先の言葉と同様、嘘はない。
「だったら―――」
「もう我慢ならん! 国王陛下の御前での無礼お許しください!」
リッカは剣を抜くとノルバの首筋へと当てた。
「おいおい、何してんだよ」
「キサマこそいい加減にしろ。国王陛下の首を晒すなどと世迷い言を! 国賊め……。ここで斬り捨ててやる」
「
止めに入ろうとするリーヴェル。しかしリッカは許さない。
「この者を生かしておく理由はありません! この国を、ひいては御身を脅かす存在。……アナタの言葉と言えど聞き入れる事は出来ません」
「リッカ……」
選択を間違えたのか。こんな筈ではなかったのに。
リーヴェルは無力な自分に胸を痛める事しか出来ない。
「んだよ。そういう事か」
「動くな!」
より強く首筋に刃が触れる。
剣を引けばたちまち血の海が出来上がるだろう。
ノルバにとっては絶体絶命。しかし至って冷静だ。
「お前、人殺した事ないだろ」
「黙れ!」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで斬ればいいんだよ」
「喋るなと言っている!」
刃が首にくい込む。それでもノルバは口を開く。
「戦いってもんを教えてやるよ」
次の瞬間、視界が目まぐるしく回転した。
宙を舞っている。そう脳が理解するまで時間はかからなかった。
背中から地面に落ちる。リッカは空中で体を捻りなんとか着地した。
「へぇ、やるじゃねぇか」
「舐めるな」
リッカはすぐに剣を構え間合いを測る。
平静を
『何をされた。あの状態から抜け出すなど、人間業ではない』
心拍数が上がっていく。
一手で分かった。勇者としての力は健在だと。
「だがそれでも!」
リッカはノルバに斬りかかる。
「おおっと」
しかしノルバは体をずらして容易に避ける。
リッカも止まらず攻撃を続けるが、ノルバは最小限の動きで回避し続けている。
『何故だ。何故当たらない』
大振りの横薙ぎ。ノルバは後ろに大きく跳ぶ。
「来いよ。まだ終わらねぇだろ?」
「無論だ!」
床を蹴るリッカ。
ノルバも走り出すと困惑している兵の元に行く。
そして一瞬の内に剣を盗むとリッカと
「本気でやれよ? オレは女だからって加減する程出来た人間じゃねぇからよ」
「……国王陛下に害なす存在は……、私が斬り伏せる……ッ!」
火花が散っては消えていく。
攻めているのはリッカ。ノルバはその場から動けず防御に徹している。
怒涛の剣技に為す術なしかと思われたが、一瞬の隙を突きノルバは剣を
大きく反ったリッカの体は無防備。打ち込んでくれば防ぎ様はない。
というのは常人の話だ。
リッカは王国兵。過酷な試験を乗り越え、今も鍛練を続けている。その全ては超人の域に達しているのだ。
『打ち込んで来い! それがキサマの最期となる!』
勝利を確信した次の瞬間―――腹部への強烈な衝撃と共にリッカは吹き飛ぶ。
何が起きたのか。理解しようとするが痛みがそれを阻害する。
床に転がるリッカ。それを嘲笑うかの様にノルバは歩み寄ってくる。
「何が起きたか分からねぇって顔だな。これだから実戦を知らねぇガキはいけねぇ。これは稽古じゃねぇ。実戦だ。殺し合いだ。お堅い剣術一つでやってもらえると本気で思ってたのか? 死んだら終わりなんだ。勝つ事が全て。勝つ為にどんな卑怯な手でも使う。それが戦場ってもんだ」
視線を剣に集中させておいてからの蹴り。
乗せた筈がまんまと乗せられていた。
実戦の差が如実に表れた結果という事か。
血を吐きながらもリッカは剣を杖代わりになんとか立ち上がる。
「
「ふざ……けるな……ッ。私は……負けん……ッ。キサマをこの手で……」
しかしそれが限界。リッカは倒れてしまった。
「ヒーラーを呼んでやれ。死にはしないが相当なダメージの筈だ」
落ち着いた様子で指示を出すノルバ。
だが今のノルバに味方する者などいる筈もなく、周囲の兵士達は剣を構えてノルバを取り囲む。
「おいおい。落ち着けよ」
剣を捨て、両手を挙げて敵対する意思はない事を表示するノルバ。
しかし誰も聞き入れる事はない。
そんな状況の中、二人の戦いを見ているだけだった男が声を上げる。
「皆の者、剣を納めよ!」
「し……しかし、リーヴェル国王陛下」
「私の命令が聞けぬと言うのか! ただちに剣を納め、医者を呼んで倒れた兵の治療にあたらせろ!」
王の有無を言わさぬ堂々たる態度に兵士達は指示通りに動き出す。
「すまなかったな」
リーヴェルはノルバの元まで行くと謝罪をした。
「別に。お前もあの女も冗談を真に受けやがって」
「そうか。冗談であったか。恥ずかしい事を言ってしまった」
苦笑するリーヴェル。だがその表情はすぐに真顔に戻る。
「彼女の事は気にしなくていい。私から説明しておこう」
「そうしてくれると助かる。寝込みを襲われたらたまったもんじゃない」
二人が言葉を交わしている間にリッカは運ばれていく。
そんな姿を横目にリーヴェルは話を続ける。
「アナタは先程冗談だと言ったが私が死んだ程度で償える訳もない。それに元よりこの命、アナタに差し出す気でいた」
「お前、何言って……」
リーヴェルは懐から腕輪を取り出すと左腕にはめた。
「それは―――」
「これは【契約の腕輪】。装着者は王の
銀色の装飾もない質素な腕輪。ただ一つある赤い宝石が反射する光は纏わりつく様な気持ち悪さを醸し出している。
「知ってるよ。そんなもんどうするつもりだ。お前がはめたって意味ねぇだろ」
「いいや、ある」
リーヴェルは左腕を掲げると大きく息を吸い込む。
「我、エルバニア王国国王リーヴェル・エルバニアの名の元に命ずる。リーヴェル・エルバニアがノルバ・スタークスの自由を侵害する事を禁ずる」
リーヴェルの言葉に共鳴する様に腕輪の宝石が光を放ち始める。
光が消えれば契約完了。リーヴェルは自身の命令に従い続けなければいけなくなる。
だがここで予想外の事が起こる。
『何だこれは!?』
赤い光がリーヴェルを包み込む。
そして形を得た様に光はリーヴェルに絡み付き始める。
光が触れた箇所は激痛を引き起こし、そこを通して体内に入ろうとしてくる。
魂が覆われていく。息が苦しい。意識が削れていく。
王が自身に命令した結果バグを起こしたのか。
それとも腕輪に王と認められていなかったのか。
何が起きているのか分からないまま痛みだけが増していく。
声も出せず、己が消えていく感覚を味わう事しか出来ない中、光を遮り入って来た手が腕輪を掴む。
「ぐっ……、うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
止めろ。止めてくれと叫びたかった。
だが体が言う事を聞かない。
光は容赦なく侵入してきた手に突き刺さる。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
それでもその手は腕輪を放さない。
肉が骨が溶ける様な痛みを浴びながら尚も力強く腕輪を掴んでいる。
そして遂に腕輪はリーヴェルの元から外れる。
光が霧散し、覆われていた魂は解放された。
しかしそれで解決とはならない。
契約者が腕輪を外す事は契約を放棄するという事。
だが契約の腕輪に放棄という項目はない。
契約は絶対。放棄しようとすればそれ相応の罰が下る。
このままでは腕輪はリーヴェルに再び襲いかかるだろう。
思考すら置き去りにした決断でノルバは腕輪を自身の左腕にはめる。
そして叫ぶ。
「オレに命令しろ! 早く!」
一か八か。
契約の腕輪は異常を起こしている。それならば本来出来ない事も出来るかもしれない。
契約の上書き。それがノルバの策だった。
溢れ出る光はリーヴェルの元に戻ろうと形を為し始めた。
一刻の猶予もない。それにも関わらずリーヴェルは迷っていた。
「余計な事考えてんじゃねえ! テメェが死んだらこの国はどうなる!」
だがしかし、ノルバの怒号がリーヴェルを突き動かす。
「我、エルバニア王国国王リーヴェル・エルバニアの名の元に命ずる! ノルバ・スタークスよ、自由に生きろ!」
その瞬間、リーヴェルに襲いかかろうとしていた赤い光は星々へと姿を変えた。
安堵しその場にへたり込むリーヴェル。
そんなリーヴェルの頭にノルバはそっと手を置く。
「よくやったな」
くしゃくしゃにされる髪。
怒りもない。嬉しさもない。ただただ涙が溢れてくる。
「すまない……。私のせいで……」
絞り出した声は震えている。
取り返しのつかない事をしてしまった。助けたかっただけなのに。
「何言ってんだ。お前はオレをあの牢獄から解放してくれた。充分じゃねぇか」
ニカッと笑うノルバ。
リーヴェルにはノルバの心の内は分からない。しかしノルバの優しさだけは嫌という程伝わってくる。
それ故に更に胸が締め付けられる。罵ってくれれば、殴り飛ばしてくれれば。そんな事を考える程に。
「ここまでしてもらったんだ。命令通り自由に生きてやるよ」
「どこへ行くのだ……?」
リーヴェルは背を向け去ろうとしていくノルバを引き止める。
しかしノルバは顔を向かせるのみで歩みを止めない。
「ま、もう一度人生やり直してみるさ。あいにくと金はたんまりあるからな」
「それならばせめて解呪してから!」
「いいよ。これはオレの自由の証だからな」
視線を前に戻したノルバは扉に手をかけるが思い出した様に踵を返す。
「ちゃんと解呪師に診てもらえよ。後、立派な王だぜお前は。お前なら親父みたいにはならねぇ。この勇者ノルバ・スタークスが保証してやるよ」
じゃあなと手を挙げるとノルバは出ていった。
手を延ばすが大きな背中には届かない。
空を切る手を握り締め、誰にも聞こえぬ声が王室に響くのみであった。
「さぁて、これからどうしようかな。もう一度冒険者でもいいな」
日の光が心地よい。
忘れていた童心が蘇ってくる気分だ。
そよ風に背中を押される様にノルバは階段を降りていくのだった。
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