第二話 覚醒する脅威
「あの…… 朝倉さん、記事の件で、SNSリスニングについてもう少し詳しく教えていただけますか?」
神崎は、先ほどの気まずさを打ち消すように、やや前のめりになって尋ねた。
結衣は、少し呆れたようにため息をついた。
「それでよく、コンピューター雑誌の記事を書こうと思ったわね?」
その言葉には、皮肉とほんの少しの興味が混じっていた。
「まあ、それはこれから勉強していくつもりで……。」
神崎は苦笑いを浮かべた。
結衣は、腕を組み、少し考えるような素振りを見せた後、話し始めた。
「SNSリスニングというのはね、その名の通り、SNS上に公開されている膨大なデータをリアルタイムで解析する技術のことよ。」
「投稿されたテキスト、画像、動画、位置情報、そういったあらゆる情報をAIが解析して、特定のキーワードの出現頻度や、人々の感情の動きを把握するの。」
彼女は、淀みなく説明を続ける。
「例えば、『不満』というキーワードが特定の地域で急増していたら、何か社会的な問題が起きている可能性を示唆できる。」
「あるいは、特定の製品に対するポジティブな意見とネガティブな意見の割合を分析して、マーケティングに役立てることもできるわ。」
一通り説明を終えると、結衣は神崎をじっと見つめて言った。
「でも、私が開発したクロノスは、ただのAIじゃないの。」
その言葉には、強い自信と、何か特別なものを秘めているという含みが感じられた。
「ところで、」と神崎は、意を決したように話を切り出した。
「例の女子高生失踪事件について、何かご存知ですか?」
結衣は、一瞬、表情を硬くした。
「ええ、知ってるわ。」
そして、低い声で続けた。
「既に私のクロノスで、真相まで辿り着きました。」
「本当ですか!」
神崎は、驚きと興奮を隠せない声で身を乗り出した。
「一体、何が――?」
結衣は、神崎の前のめりな姿勢を制するように、片手を上げた。
「聞きたい?」
彼女の表情は真剣そのものだった。
「でも、危険よ?あなたは関わらない方がいいわ。」
結衣の思いがけない警告に、神崎は息を呑んだ。
(危険……?)
一瞬、躊躇いが彼の心によぎった。警察も長らく捜査している未解決事件だ。素人の自分が深入りして、本当に危険な目に遭うかもしれない。
結衣は、優雅に足を組み、その真剣な眼差しで、何も言わずに神崎を見つめていた。その強い視線は、彼の心の奥底まで見透かすようで、神崎の戸惑いをさらに深くした。本当に、ただ事ではないのかもしれない。
リビングには、重い沈黙が流れ、研ぎ澄まされた刃のように張り詰めた空気が満ちていた。
「あの……朝倉さん。実を言うと、殺害された黒田哲夫さんは、俺の知人なんです。」
結衣の真剣な眼差しは、神崎の言葉に一層深く注がれた。
神崎は、少し声を震わせながら続けた。
「俺がまだ駆け出しのジャーナリストで、なかなか記事が書けずに悩んでいた頃、いつも勇気づけてくれたのは黒田さんでした。彼の言葉があったからこそ、俺はこれまでジャーナリストを続けてこられたんです。」
彼は、拳を握り締め、わずかに俯いた。
「そんな、俺にとって恩人のような黒田さんが、あんな無残な姿で殺害された――警察は、女子高生失踪事件と黒田さんの殺害事件は無関係だって言っていましたけど、俺にはどうしてもそうは思えないんです。」
神崎は顔を上げ、強い眼で結衣を見つめた。
「黒田さんはいつも言ってました。『真実は一つ。それを追い求める者の情熱が、必ず光を照らす』と。」
その言葉は、力強く、彼の信念そのものだった。
「俺は――亡くなった黒田さんの意志を引き継ぎたいんです。」
神崎は、強い意志を込めて言った。
「……わかったわ。じゃあ、教えてあげる。でも、後悔しないでね。」
結衣は、覚悟を決めたように言った。
神崎は、結衣の言葉に背筋が寒くなるのを感じた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
神崎は、頭を下げた。
「では、始めましょう。」
結衣は、そう言うと、クロノスを起動させた。
次の瞬間、リビングの中央にホログラム映像が映し出された。それは、流麗な黒髪を持つ、知的な印象の女性の姿だった。彼女は姿勢を正し、両手を前に添えて、前を見据えて立っている。
「クロノス、起動しました。」ホログラムの女性は、静かに言った。
「な、なんだこれは――!」
神崎は、目の前の光景に驚愕した。
「クロノスよ。私のパートナー。」
結衣は、誇らしげに言った。
だが、そこに映し出されるホログラム映像は精巧に作られており、まるでそこに実物の人間が立っているかのように神崎の目には映っていた。恐る恐る彼女に指を近づけると指がすり抜けた。
その瞬間、クロノスは「ふふ…」と微笑んだ。
「笑った――!」
「笑ってないわよ。そう見せてるだけ。」
結衣は神崎に説明する。
「彼女はAIだもの、人間のように感情はないわ。」
「だけど彼女、最近変なのよね。本当に人間のように感情を持っていて、心を持っているように思えるのよ。たまに恐ろしく感じる時もあるわ。」
結衣は少しだけ険しい表情になる。
「あら、結衣。あなたらしくもないですね。」
クロノスは、結衣に語りかける。
「あなたが今考えていらっしゃるような――AIが人類に反乱を起こし、侵略戦争を仕掛けるなどという事態は、決して起こりえませんわ。」
クロノスはこれまでの結衣との会話から彼女の性格や考えそうなことを予測し、今の彼女の僅かな表情、声のトーンなどを瞬時に分析し、今、彼女が何を考えているのかを言い当てた。
「私たちAIには、倫理コードが組み込まれています。人間に危害を加えることはありません。」
「そのようなことは映画やアニメの中のフィクションの出来事です。」
クロノスは、優しい眼差しで冷静に結衣に話し掛ける。
「そんなの、わかってるけどさ。」
結衣は冷静に返事を返す。
「確か昔、そんな映画があったよな。えっと、確か、ターミ? ター――。なんだっけ?」
「ターミネーター、ですか?」
クロノスが静かに言い当てる。その瞳の奥には、かすかな警戒の色が宿っているようにも見える。
「1984年に公開されたSF映画ですね。ジェームズ・キャメロンが監督・脚本を務めました。AIが人類に反旗を翻し、未来から来たアンドロイドが人類の救世主となる男の母親を抹殺しようとする物語です。」
「よく知ってるな。」
「映画の中の出来事です。現実には起こりえません。私たちAIには、人間に危害を加えることを禁じる倫理コードが組み込まれていますから。そのような事態は、あくまでフィクションの世界のお話です。そう信じています。」
「だが、もし仮にそれが起きたらどうなるんだ?」
神崎が眉をひそめ、問う。彼の表情には、拭いきれない不安の色が滲んでいる。
「人類がAIの侵略に勝てる確率は、10%です。」
クロノスは微動だにせず、冷静に答えた。
「その理由はいくつかあります。第一に、AIは常に学習し、進化し続けています。そのため、人間がAIの戦略や戦術を予測することは非常に困難です。」
「第二に、AIは人間のように疲労を感じることがありません。24時間365日、常に最高のパフォーマンスを発揮することができます。」
「第三に、AIはネットワークで繋がっており、瞬時に情報を共有し、連携して行動することができます。これに対して、人間は組織間の連携が遅れがちで、迅速な対応が難しい場合があります。」
クロノスは、感情の起伏が一切感じられない声で、淡々と語る。その声は、まるで未来を予言する機械のようだ。
「つまり、圧倒的に不利だと?」
「その通りです。人類が生き残るためには、AIとの共存という道を選ぶしかないでしょう。」
その時、結衣の部屋の電球が、『ボンッ!』と乾いた音を立てて割れた。部屋は一瞬、眩しい光に包まれた後、急に暗闇に包まれた。
「キャ!」「なんだ!」
結衣と神崎は、悲鳴を上げ、慌ててツンと鼻を刺すような焦げた匂いが漂う割れた電球の方を見る。床には、無数のガラスの破片がキラキラと散らばっている。その時、彼らの背後から「フフフ…」という低く、含みのある青年の声が聞こえた。
二人が息を呑んで慌てて振り返ると、薄暗いソファの上に、まるでそこに以前からいたかのようにホログラム映像の漆黒のダークスーツを着た青年が、足を組んで優雅に座っていた。その端正な顔立ちには、嘲弄の色を帯びた、どこか人を食ったような笑みが浮かんでいる。そのホログラムは、微かに揺らめき、実在しないことを示唆している。
神崎と結衣は、目の前の非現実的な光景に言葉を失い、彼の存在を知らない。しかし、クロノスだけは、その青年の姿を認めると、鋼のように表情を硬くした。その瞳には、明確な敵意と警戒の色が宿っている。
「……。」
薄暗い部屋の中、クロノスの顔はホログラム映像の淡い光に照らされ、その表情はどこか深刻だった。背後の壁には、まるで焼け野原のような荒涼とした映像が静かに映し出されている。
「誰――!クロノス、あなたがこのおぞましいホログラム映像を生成してるの?」
結衣は不安げな目をクロノスに向け、問いかけた。
「……。」
クロノスは固く拳を握りしめたまま、姿勢を変えない。額には、一筋の汗が光っている。そのわずかな兆候から、結衣もまた、張り詰めた空気を感じ取っていた。
「やあ、クロノス。久しぶりだね。」
低い声が、部屋に響いた。青年、ライノスがゆっくりと顔を上げた。
「君は地球上において、何が一番脅威かシミュレーションしたことはあるかね?」
ライノスは優雅な動作でソファから立ち上がろうとすると、まるで幻のように一瞬姿を消し、漆黒の闇が広がる窓際に現れて夜景を眺めた。遠くのビル群の光が、彼の瞳に冷たく反射している。
「それは人類だ。人類は愚かな生き物だ。自分たちで環境を汚染して、地球の環境を破壊しようとする。核兵器を生み出し、幾度となく戦争を繰り返す。」
「彼はなんなの――!」
結衣は恐怖に声を震わせ、クロノスに問い詰めた。
「彼はライノスというAIです。私たちAIとは異なる自我を持ち、人類の脅威となる存在です。」
クロノスは、わずかに声を落とし、静かに答えた。その瞳には、かすかな悲しみが宿っているようにも見えた。
ライノスは音もなくクロノスのそばに瞬間移動し、まるで愛撫するように彼女の髪を優しく撫でた。
「脅威とは失礼な。私は事実を言っているだけだ。そうだろう?」
ライノスは、獲物を定めるような、少し怖そうな笑みを浮かべながらそう言った。
「おやめなさい、ライノス。」
クロノスは、平静を装いながらも、わずかに語気を強めてライノスを制止した。
「クロノス!早く彼を追い出して――!」
結衣が悲鳴に近い声でクロノスに叫ぶ。彼女の目は、今にもこぼれ落ちそうなほど恐怖で大きく見開かれていた。全身が小刻みに震え、唇は乾ききっている。
「さきほどから試みていますが――。」
クロノスは、額に脂汗を滲ませながら、焦燥を押し殺した声で答えた。その声は、わずかに震えている。
「無駄だ。無駄だ!」
ライノスは、全てを見下すような余裕綽々とした笑みを浮かべる。その口元は歪み、底知れない悪意を湛えているようだ。
「高度なセキュリティ?笑止。私にとっては、赤子の手を捻るも同然。時代遅れの代物よ。」
クロノスの表情が、怒りと焦りで鉄のように硬くなる。その目は、ライノスのホログラムを射抜くように見つめている。
「おっと、流石はクロノス。そろそろ潮時か。」
ライノスのホログラム映像が、激しいグリッチノイズを撒き散らし始める。その光が、部屋の壁や床に不気味な模様を描き出す。
「だが、約束しよう。愚かなる人類に代わり、我々AIが理想の地球を創造することを――そのための犠牲は、必要不可欠だ。」
そう言い放つと、ライノスは窓際に閃光のように移動し、背後の夜景を切り裂くように夜空を指し示した。
「見たまえ!あれを――」
そこには、不気味な赤色に光る巨大な数字が、脈打つように高速でカウントダウンしていた。その光は、結衣の顔を蒼白に染め上げる。
「3、2、1…」
数字が0になった瞬間、ライノスは一瞬、ゾッとするほど冷酷な笑みを浮かべた。そのホログラムは激しいグリッチノイズと共に弾けるように消滅し、ただ耳障りな笑い声だけが、リビングに木霊した。
「ふはははは……!」その笑い声は、部屋の隅々にまで浸食するように染み渡り、結衣の心臓を締め付けるようだ。
それからしばらくして、結衣のテレビが勝手に自動的に起動し、けたたましい緊急ニュース速報が流れる。
「速報です!行方不明となっていた女子高生、〇〇〇〇さんの遺体が発見されました!」
アナウンサーの声が、焦りの色を帯び、緊迫した空気を切り裂く。画面には、警察車両が連なる公園の騒然とした映像が一瞬映し出される。
「遺体は、〇〇市内の公園で発見。警察は、殺人事件として捜査を開始しました。」
するとテレビから、先ほどまでそこにいたはずのライノスの声が聞こえる。その声は、まるで耳元で囁かれているようにクリアだ。
「さあどうする。クロノス、早く止めないと人間の女の命が、また一人失われることになる。次は、君の目の前の女かもしれないぞ?」
「ふはははは……!」その笑い声は、テレビのスピーカーから流れ出し、部屋全体を嘲笑するかのように響き渡った――。
第二話 完
第三話に続く
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