Ⅰ-Ⅳ 日常
*四月六日 土曜日 学生寮
「ん……」
チリチリと鳴る目覚まし時計の音で目が覚める。
昨日のことを教訓に、部屋に備え付けられていた目覚まし時計を使ってみることにしたのだ。
強制的に起こされることに不快感は覚えるけれど、定刻に起きられるようにはなった。
僕はまだ布団のぬくもりを求める身体にムチを打ち、クローゼットから制服を取り出す。
臙脂色のそれは、とても格好いいのだけれど。
「昨日みたいに、絡まれてしまうは困りますね……」
面倒でもやはり出かける時は、私服に着替えてから行くべきかもしれない。
あーあ、僕がもっと強かったら良かったのに……。
あの先輩のように……。
僕は勉強机の上に置いてあったタブレットで、予定を確認する。
今月は、今週の土曜日……つまり今日だけ半日授業があるらしい。
去年まではほとんどの土曜日が半日授業になっていたみたいだけど、世の中の完全週休二日制の流れに沿い、月初以外の土曜日は休みになったのだ。
しかしその分長期連休が短くなってしまったため、生徒達から文句の声が上がっているとかいないとか。
僕は予定が入っていてくれた方が嬉しいので、学校へ行くのは苦ではなかった。
*四月六日 土曜日 並木道
学校の正面玄関の前に、汚れ一つない真っ黒な車が停車していた。
太陽光に反射してギラギラとメタリックに光っている。
正面のエンブレムとタイヤのホイールの中心には鳥……瑞鳥のマークが描かれていた。
すぐに運転手が降りてきて、後部座席の扉を開く。
そこから出てきたのは、浅倉くんだった。
奥には、藤色の着物を着た女性が上品に座っているのが見えた。
しゃんと伸びた背筋に細い首筋、真っ黒な髪を一つにまとめている。
浅倉くんのお母さんだろうか。
少し上がった目尻が、浅倉くんによく似ていた。
一言二言何かを伝えると、浅倉くんに軽く会釈をする。
浅倉くんはいつもの面倒くさそうな表情で、相槌を打つと、車の扉を自ら乱暴に閉めた。
「浅倉くん!」
「え、あ……宮守くん……!?」
僕の登場に驚いたのか、浅倉くんは片目を大きく見開く。
「おはようございます」
「あ……うん、おはよ……」
「車で登校しているのですか?」
「そう……なんだよね。うち、すごく過保護だから……」
ため息混じりに去っていく黒い車を目線で追う。
そして何か言おうとした言葉を飲み込むと、複雑そうに笑った。
*四月六日 土曜日 教室
「あ、四季くん、響くん。おはよー」
教室に入ろうとしたところで、小鳥遊くんとバッタリと遭遇した。
「おはようございます」
「おはよ」
僕達は三人揃って室内へと入る。
「土曜授業とか、超ダルいよねー。しかも半日」
「わかりみー……」
クラスメイト達の間を抜けながら、ぽっかりと空いた自分達の席へと向かう。
「あのー、ちょっとお訊きしたいことがあるのですが」
自分の席についたところで、僕は二人に向かって問いかける。
「なあにー?」
「この辺りって、いくつか高校があるんですか?」
「あるよー。ここ含めて四校」
小鳥遊くんは指を折りながら教えてくれる。
そんなに大きな街ではないと思ったのだけど……高校だけでも四つもあるのか……。
「んとね。黒い詰め襟が
小鳥遊くんが各高校の事情を詳しく解説してくれる。
「この地元ネタを知らないってことは……四季くん、もしかしてこの辺りの人じゃないの?」
「は、はい……えと、ここよりも更に地方出身といいますか……」
「へえ、ますます凄いね。それで編入で入ってきたんでしょ?」
「そうですね……勉強は、たくさんしました」
少し照れながら返事を返す。
「なになにー? 他校に気になる子でもできたとか?」
「いえ。恥ずかしながら、昨日路地裏で絡まれてしまいまして」
「あー……もしかしてその高校って……」
「たぶん、榎田高校です」
「この制服、目立つからね。エリートぶってるのが気に食わないとか言って、アイツらに目の敵にされてるっぽいし。大丈夫だった?」
「はい。この学校の先輩に助けてもらいましたので、僕は平気です」
先輩に蹴られた人は、あまり平気ではないかもしれないけれど……。
「それは良かったよ。あそこ、荒れてるからねー……ね? 響くん」
「……なんで俺に振るの」
「え? だって、あの学校にお兄ちゃんいるじゃん?」
「いる……けど……」
浅倉くんの口数が、珍しく少くなった。
「色々と目立つ人だからねー。ボクの恋人も色々と手を焼いてるみたい」
「それは……うん。そうだよね」
浅倉くんは小さく頷くと、そっと自分の腹部に触れ、そして少しだけ安心したような表情になった。
*四月六日 土曜日 放課後
半日の授業が終わるチャイムが鳴った。
教室中の緊張が一気に緩み、皆がバラバラとこれからの予定の準備を始めようと席を立つ。
土曜日のため、今日の授業はここで終わりだ。
さて、今日はどうしようか。
せっかく半日自由時間があるというのに特に用事もないため、予定がぽっかり空いてしまっている。
「あーもう、半日のために学校くるのダルすぎるよー」
「同意。まあ、今年からだいぶラクになったけどね」
「こんだけ時代が進んでるんだから、全部オンライン授業になればいいのに」
「それな」
小鳥遊くんの嘆きに、浅倉くんは小さく頷く。
「皆さんはもうお帰りになるのですか?」
「俺は……迎えが来るから」
「ボクはデート」
「え、何……毎日毎日。自慢?」
「これが自慢に聞こえちゃうなんて、コンプレックス持ってる証拠だよ、響くん」
「うわ、めっちゃムカつく」
二人共、ちゃんと予定が決まっているようだ。
「四季くんは、もしかしてあの怪しげな部活、見に行くの?」
小鳥遊くんの言葉で、忘れかけていた木曜日の出来事を思い出す。
制服の右ポケットに手を入れれば、水晶のついたネックレスの感触が伝わってきた。
そうだ……これを返さないといけないんだった。
「ああ……そういえば、土曜日の午後が活動日って書いてあったっけ」
浅倉くんも覚えていたようだ。
「いやー、でもやめた方がいいんじゃないかなぁ。あの先輩、とんでもない自己中で有名だし。コネ作りたいとか、下心無ければ近付く意味ないと思うよ」
「コネですか……」
小鳥遊くんがそこまで言うってことは、そんなに凄い先輩なのだろうか。
「そ。たまにいるよ。ここの学校、入学金も偏差値も高いじゃん? 資産家の子供とか政治家の子供とか結構いるんだよ。生徒会長の周りなんて、そんなのばっかだよ」
やれやれ、と小鳥遊くんは両手を上げる。
確かに僕が思っていた普通の学校のイメージとは少し違っていたけれど……。
そんなものかと簡単に考えていた。
「だからさ、この高校入るのって結構大変なわけ。小さい頃からお受験して、エスカレーターでここまで来る人達がほとんどだから。それなのに編入できた四季くんって、凄いんだよ?」
小鳥遊くんは自分の解説にしきりにうんうんと頷いている。
「じ、自分ではそんな自覚はないのですが……」
確かに頑張って勉強はしたけれど……。
「あ」
そこでふと気が付く。
「も、もしかして……それこそお二人も、すごいお家の出身だったり……?」
もしかしたら、失礼な態度をとってしまったりしていないか急に不安になってきた。
「全然」
小鳥遊くんは笑顔で首を横に振る。
「うちはパパが美容院をいくつか経営してるだけ。で、ママが絵に描いたような教育ママ。ここに入れたのは、小さい頃からの英才教育の賜物だね。あ、でも浅倉くんの家は由緒ある家系だよね。あの辺りで浅倉って言ったら大地主だし」
「別に。落ち目になると優秀な子供が産まれるラッキーが起こったおかげで、取り潰しになってないだけだよ。一族みんなして過去の栄光に縋ってるんだ」
「それでも、うちみたいな成金よりはずっと格好いいよー」
二人とも、自分の環境にはさして興味がないようだ。
それでも何も持っていない僕よりは、ずっと凄い家に生まれていると思う。
「あ。電話来ちゃった。ごめん、二人共……また月曜日にね」
「あ……俺もだ。じゃ、またね」
「はい!」
二人は一緒に教室を出ていく。
急に教室が静かになってしまった。
「さて……」
二人に別れを告げたところで、僕の頭に三つの選択肢が現れる。
学生寮に戻るか、一人でどこかに遊びにいくか、それとも――――。
*四月六日 土曜日 部室
「…………」
文化部の部室棟にやってきた僕は、ドアに貼られたコピー用紙に『WRA部』と書かれてあることを確認する。
書かれた文字といい、その簡素な作りの表札といい、なんとも怪しげな部屋であることがひしひしと伝わってくる。
あの、先輩に渡されたプリント用紙へ改めて視線を落とす。
やっぱり『WRA部』で間違いない。
先程確認したが、こんな名前の部活は部活一覧表に載っていなかったのだ。
「うーん……」
でも、落とし物は届けなければいけないし……。
「……よし」
ここで立ち止まっていても何も始まらない。
自分自身に気合を入れて、ドアをノックしてみる。
返事はない。
けれど曇りガラスになっている覗き窓から、部屋の中で誰かがいる気配があるのはなんとなく分かった。
僕は意を決して、ドアを開く。
「失礼しま……」
顔を上げ、室内の人物を確認したところで言葉が止まる。
陽の光を浴びながら、座って本を読んでいる人物と目が合ったのだ。
「あ」
その瞬間。
僕達は同時に口を開いていた。
「え……あの、どうしてここに……」
そこにいたのは、僕を桜の木から受け止めてくれた三年生の先輩だったのだ。
「…………」
目が合った人物は小さく舌打ちすると、心底面倒くさそうに前髪をかきあげる。
窓から入り込んだ春風が、後ろで一つに結われた三つ編みの毛先を揺らした。
明るい伽羅色の髪が、太陽の光に当たり更にキラキラと輝く。
「……なんでここが分かった?」
「え……?」
その人はゆらりと立ち上がると、僕をまっすぐに捉えながら近づいて来る。
立ち上がった姿は僕よりも二〇センチは高く、肩幅もずっと広い。
まるで肉食動物にロックオンされた草食動物の気分だと感じる。
「テメエがここに来るってことは、爺さんに何か言われたのか? それとも……」
ジリジリと迫られ、僕は数歩ずつ後ろに下がっていく。
しかしついに背後の壁に背中が当たってしまう。
三つ編みの先輩はそれでも歩みを止めることなく、後ろの壁にドンと手をついた。
「そういう魔法も持ってるのか?」
そう言って目を細める。
「えっと……」
突然の出来事に、一体何を答えたらいいか分からず、言葉に詰まる。
人違いをしているのなら、それを正さないといけないと思ったのだけれど……。
先輩の真剣な瞳は、僕であることを肯定しているようで、何も言えなくなってしまった。
二人の間に流れる沈黙。
近すぎる二人の距離。
着崩した制服から、がっしりした胸元が見える。
童顔で小さくて細身の僕とはまるで違う、男らしい顔と身体に思わず見入ってしまう。
しかし。
次の瞬間、すぐ横にあった教室のドアが勢いよく開いた。
「はいはい、お疲れさまー! 部長参上ー! ……って。ちょっとちょっと、どういう状況よ。あーや……なんで壁ドンしてるわけ?」
「壁……?」
入って来たその先輩の指摘に、パッと手を離す。
緑色のネクタイをしたその先輩は、木曜日の放課後、迷子の僕を助けてくれた人だった。
「別に不純同性交友禁止じゃないけどさ、場所は選んで欲しいな。ここ、僕の
「バッ……! そんなんじゃねーよ!!」
「おやおや。よく見たら一昨日の迷子くんじゃないか」
慌てふためく三つ編みの先輩の後ろを通り過ぎ、その先輩はじっと顔を覗き込んできた。
僕よりもずっと身長が高いのだけど、腰を屈めて目線を合わせてくれる。
あの日の放課後と同じく、藤紫色の長い前髪を斜めに流し、銀色のヘアピンで留めている。
スッと通った鼻筋が、誰かに似ている気がした。
「なんだ……テメエの知り合いかよ」
「知り合いっていうか……助けた迷子?」
「は? なんだそれ」
三つ編みの先輩は、怪訝な顔で僕を見る。
お互いに敬語は使用していないが、三つ編みの先輩が三年生で、ヘアピンの先輩は二年生……だよね?
「あ」
そこで僕は、ここに来た目的を思い出す。
落とし物を返さないと……!
慌ててポケットに手を入れた瞬間、再び部室の扉が開いた。
「おつかれっと」
また新しい先輩が、部屋に入ってきた。
「!」
二年生の……とても綺麗な顔立ちをした先輩だった。
僕はすぐに昨日の路地裏での出来事を思い出す。
肩まで伸びたふわふわウェーブの髪の毛が歩くたびに揺れる。
ピンクベージュの髪が、その先輩の女性のように整った顔にとても似合っていた。
「お疲れ、とーや」
「やっぱりここにいたか。東郷……クラスメイトからオマエにって渡されたぞ。わざわざ俺のクラスまで届けに来た」
とーやと呼ばれた先輩は持っていたカバンを、ヘアピンの先輩へ渡す。
「あ、カバンの存在忘れてた。まあ何も入ってないんだけどね。それでも助かったよ、ありがと、とーや。愛してるっ」
「い、いや……」
少しだけ頬を染めながら顔を背ける先輩の、猫のような大きな目と目が合った。
「あれ、オマエ……」
目が合ったのと同時に、その先輩が口を開く。
「何? とーやも知り合いなの?」
「いや、知り合いっつーか……昨日、
「あはは。何、キミ助けられてばっかだねえ」
ヘアピンの先輩は僕を指差しながら、楽しそうに笑った。
「よっしゃー! 一番乗りー……じゃねーし! オレ以外全員集合してんじゃん」
「あ……」
次に入ってきた先輩の顔を見て、再び声が漏れる。
僕より一〇センチほど身長が高いが、このメンバーの中では特に目立っているわけではない。
しかしこの学校の中では目立ち過ぎるメッシュのたくさん入った髪型……。
間違いなく、あのライブでベースを演奏をしていた人だ。
僕の様子を見て何かを察したヘアピンの先輩が、僕の両肩を掴み、ぐいとメッシュ頭の先輩の前へ押し出す。
「こーよう、キミもこの子の知り合い?」
「え、誰だコイツ……」
メッシュ頭の先輩は、首を傾げながら僕をジーッと見つめる。
「だよね、さすがにこんな偶然――――」
「あーっ! あの時千円入れてくれたヤツじゃん!」
と、嬉しそうに大声を上げた。
どうやら先輩は、あのライブの日のことを覚えていてくれたみたいだ。
そのまま両手を掴まれ、ブンブンと振られる。
ステージ上で演奏していた時よりも、ずっと幼い笑顔だった。
「ちょうど金欠だったからさー、めっちゃ助かったぜ!」
「なんだ、こーようは助けられた方ね」
ヘアピンの先輩は少し何かを考えた後、軽い足取りで教壇に立つ。
あ……水晶を返すタイミングを逃してしまった。
どう話を切り出すか悩んでいると、先輩は横から持ってきたホワイトボードに文字を書き始める。
そして、一本締めのように手を叩いた。
「はい、みんなちゅーもーく! 役者も揃ったことだし。部活見学に来てくれた新入生に、我々『WRA部』の紹介でもしようかね」
と、突然の部活紹介が始まってしまった。
どうしようかと辺りを見回すと、ふわふわパーマの先輩が僕の肩を優しく叩く。
どうやら諦めて、解説を聞けということらしい。
「ちなみに『WRA部』っていうのは、『わいわいルンルン遊ぼう』部の略でーす!」
「へ……?」
まさかの部活名に、聞き間違いかと……思わず聞き返してしまう。
その反応を見て、ヘアピンの先輩はニコニコ笑いながら言葉を続ける。
「別に深い意味はないのさ。ただ集まって、自分の好きなことをやる部活」
そう言って楽しそうに笑う。
どうやら小鳥遊くんの言う通り、本当に好き勝手やっている部活のようだ。
目的のない僕にはぴったり当てはまる部活だけれど……。
「おい、
「ああ、自己紹介が遅れたね。僕は『WRA部』部長、
メッシュ頭の先輩の言葉を遮り、東郷先輩は僕に手を差し出す。
ひとまず僕も、挨拶を返すことにした。
「えと……はい。よろしくお願いします。僕は宮守四季と申しまして――――」
「ちょっと待て! おい恭次、無視すんじゃねーよ!」
自分の名前を言ったところでストップがかかる。
「それに一年! いいのかよ、よろしくしちまって!」
「え?」
「ちょっと、こーよう。止めないでよ。せっかく丸め込もうとしてたのに」
「ほら出た本性。こんな部活に入ったら、どんなコマ使いさせられるか分かったもんじゃねーぞ?」
東郷先輩が口を尖らせて抗議するのを、メッシュ頭の先輩が睨みつける。
「オレは二年の
「へえ。こーようの分際で口答えするってこと?」
「一年が騙されそうになってんだから助けるのは当然だろ」
「騙す? この僕が? やだな、これは正当な取り引きだよ」
「対等な立場にいないヤツと、正当な取り引きなんてできるわけないだろ」
「コラコラ、二人共やめろって。その一年が困ってんだろ」
東郷先輩と遠野先輩の言い合いを止めに入ったのは、ふわふわパーマの先輩だった。
「あ、あの……」
二人の睨み合いが均衡を保っているところで、ようやく僕は口を開く。
「今日ここに来たのは、部活見学のためでは無くて……。東郷先輩の落とし物を届けに来たんです」
「僕の?」
僕はポケットの中から先端に透明な球体が付いているシンプルな形のネックレスを取り出す。
「あ! それキミが持ってたんだ! 探してたんだよ」
僕からそれを受け取ると、先輩は切れてしまった鎖の部分を目の近くまで寄せる。
「あー……金具が壊れちゃって、落ちちゃったんだね。あ、でもちゃんと水晶はついたままだ。ありがとう」
ここでは修理できないためか、それを大事そうに小物ケースの中に入れ、机の上に置く。
「それ、もしかして例のアレか?」
遠野先輩が疑いの目で東郷先輩を見れば、先輩はニッコリ笑って頷いた。
「そうだよー。お小遣い入ったからさ、新しいの奮発しちゃった。デザインもスタイリッシュでいいでしょー」
「それ……どんな効果があるんだ?」
「これは千里眼。この前買ったやつの強化版だね。これがあるとね、例のアレが可視化するんだ。つまり、とーやと同じことができるようになるわけだ。他にも、悪いものから守ってくれる効果もあるよ」
「…………」
「何、その疑いの目」
「いや、そのままだが……」
恭次先輩はホワイトボードの横から移動し、その後ろにあったスチール棚から一冊の雑誌を持ってくる。
そしてとあるページを開き、机の上にバンと置いた。
「よく見て。ここに書いてあるでしょ。クリスタルは邪気などの不浄を浄化してくれるって」
「うわ、嘘くさ」
「喧嘩売ってんの?」
「その雑誌自体、眉唾もんだろ」
「僕のバイブルをバカにするとはいい度胸だねぇ……」
二人の間に再び緊張感が走る中、僕はそっと雑誌の表紙を見てみる。
「『月刊
「有名なオカルト雑誌だよ。東郷はオカルト好きだから」
ふわふわパーマの先輩が隣でそっと解説してくれる。
シャンプーか香水か……シトラスのような爽やかな香りがほのかに辺りを包み込んだ。
「そ。本当はこの部活も『世界のオカルトを収集する団』……略して、アレにしようかと思ってたんだけど、ねえ? 怒られそうだし」
「団ってなんだよ」
話を振られていない三つ編みの先輩から声が飛んでくるが、東郷先輩は全く意に介さず話を続ける。
「日々、世界で起きている超常現象……現代の科学を以てしても解決できない事件は、世界に溢れているんだよ……!」
東郷先輩は、まるで餌を目の前にした猫のように目をキラキラさせる。
つまりこの部活は……簡単に言うとオカルト研究部だったようだ。
オカルト研究部、と言えば……。
怪しげな呪術や魔術を、日夜真っ暗な部屋で研究している部活……というイメージだけど。
そう言われてみれば、合点がいく部分がたくさんある。
黒板に大きく書いてある『あいうえお表』や鳥居の絵、その付近にある十円玉、店に並べられている藁人形……。
今まで気付かなかった方がおかしいと言わんばかりのグッズの充実ぶりだ。
どうやら僕は、とんでもないところに迷い込んでしまったようだ。
「ちなみに部長である僕が好きなオカルトは魔法、魔術系」
そう言って先輩は、どこからかタロットカードを取り出す。
「黒魔術って、夢があるよねえ。ちなみに最近の趣味は、
そう言って先輩はスチール棚の扉を開き、綺麗に整理されたコレクションを見せてくれる。
「出た、怪しげなオカルトグッズ」
「怪しげじゃないし。特にこの水晶は間違いなく本物。これを通すとね、不思議な力を持っている人が見えるんだよ」
東郷先輩はそう言って再び水晶をケースから取り出し、あの時と同じようにそれを通して、片目で僕を見る。
「……うん、間違いない。ね、とーや?」
優しく笑うと、ふわふわパーマの先輩の方を見てアイコンタクトを取った。
その視線を感じ取った先輩は、少しだけ目を細めて僕を見る。
「そうだな……」
「平倉!」
「でしょ? やっぱりこの水晶ちゃん、役に立つなあ」
少し声を荒げる遠野先輩を軽く流し、東郷先輩は嬉しそうに直径二センチ程の透明な水晶に頬ずりする。
「皆さんこの部活に入っているのは、そういう不思議なことが好きだからなんですか?」
「…………」
ふと気になったことを訊いてみるが……少し空気が変わったようだ。
「まあ世の中には好きじゃないけど、その仕事をしている人がたくさんいるわけで」
東郷先輩は、今度は部屋の中心にコの字型に並べられた机の方へと移動する。
真ん中の席へに座ると、少し椅子を下げて足を組んだ。
「人間関係ってさ、長続きさせるにはウィンウィンじゃないとダメだと思うんだ。無償の愛なんてものは存在しないわけ」
「ええと……と、言いますと?」
「要は脅迫されて、いいように使われてるんだよ」
壁に立てかけてあった弦楽器用のケースを持ち出し、そこから――――ベースだろうか。
出しながら遠野先輩は悪態をつく。
「ひっどいなあ。僕が声かけなかったら、メッシュ頭が真っ黒にスプレーされて、担任からキミのこわーいパパへ電話がかかっていたトコなんだからね」
「う……」
遠野先輩は東郷先輩の言葉で何かを想像してしまったのか、顔色が青くなっていく。
「それでね、宮守くん!」
東郷先輩は改めて僕の名前を呼んだ。
「はい……?」
「キミも僕が求める人材に当てはまるから声をかけたんだけど……僕から提示できる条件があまりないんだよね」
「条件……?」
首を傾げる僕に、遠野先輩の声が後ろから聞こえる。
「まだ入学したばっかだから、脅迫の材料が見つからなかったって――――いってー!?」
何かが飛んでいき、遠野先輩の頭に当たった。
勢いが無くなった消しゴムが足元に転がってくる。
「それで、宮守くん。単刀直入に聞くけど、うちの部活に入る気はない? もしない場合は、キミの秘密を見つけるまでは入部を保留にするけど」
「こわっ! 絶対に逃さない気じゃねーか」
復活した遠野先輩が、頭をさすりながら顔を上げる。
「あの……僕なんか入部したって、ウィンウィンにならないと思うんですけど」
「そんなことないよー。キミ自体も入部条件を満たしてるし。ね、とーや?」
「……あー、まあそうだな。なんか妙な感じではあるが」
「平倉、オマエさ……」
遠野先輩が呆れたように唸ると、悪い、と小さな声が聞こえた。
「ねえ、絶対ダメ? 一緒にさ、楽しい部活にしようよ。部室ならいつ使っても構わないし」
「ええと……」
お断りしようと思っていた、僕の心に少しだけ迷いが生じる。
確かにやりたいと思う部活は決まっていないけれど……。
こんなにも熱心に勧誘されてしまっては、嫌とは言いにくい。
「ねえ、あーやも説得してよー」
「…………」
三つ編みの先輩へ、東郷先輩から声がかかるが、返事は返ってこない。
それどころか、小さく舌打ちすると、教室を出ていこうと荷物をまとめ、ドアの方へと歩いて行ってしてしまう。
「あ……」
もしもここで先輩が行ってしまったら、一生お礼を言えないままになってしまうかもしれない。
僕はその大きな背中に聞こえるよう、慌てて声を上げる。
「待ってください!」
「…………」
僕の呼びかけに、三つ編みの先輩の動きが止まる。
「あの……っ! 入学式の時は、助けていただきありがとうございました!」
僕は深く頭を下げるが……しかし先輩は、僕の方を一切見ることはなく、小さくため息を吐いただけだった。
「何? あーやもこの子助けたの?」
東郷先輩が不思議そうに首を傾げる。
「……別に、なんでもねーよ」
「まーた、あーやは秘密主義なんだから。で? あーやと何があったの?」
今度は顔を僕に向ける。
「ええと……入学式の日、子猫を助けようと木に登ったのですが、バランスを崩して落ちてしまいまして……。それを先輩が受け止めてくれたんです」
「バカが……」
「へ?」
三つ編みの先輩からまさかの悪態が聞こえたような……。
「ふーん」
東郷先輩は楽しそうに口角を上げると、一回だけ咳払いをする。
そして僕の方に向かってニッコリと微笑んだ。
「あんまりこういう言い方は良くないんだけど……」
コホンと、咳払いする。
「ここにいる
東郷先輩から出た名前は、浅倉くんが教えてくれたものと同じだった。
やっぱりこの人が……。
「入学式の時、あーやが助けなければキミは重症、もしくは命がなかったかもしれない。つまり、その命はこの部活の部員であるあーやのモノ。つまり、キミの命は僕のモノであるのです!」
「た、確かに……!?」
「なんだよその屁理屈!? オマエも納得すんな!」
見かねた遠野先輩が、止めに入ってくれた。
しかし東郷先輩は文句を言いたげに遠野先輩を睨みつける。
「こーよう、煩いんだけど」
「こういうのは脅して入部させるもんじゃねーだろ」
「脅してないもん。正当な取り引き」
「ほんっとうに自分勝手だよな。さすが大企業のドラ息子」
「へー……自分が正義のつもりなの? 宗教法人のボンクラ息子」
バチバチと二人の間に火花が散る。
「だーから。二人とも、やめろって」
再び、とーやと呼ばれた先輩が二人の間を取り持とうと口を挟む。
「何、とーやはどっちの味方なわけ?」
「味方とかそういうんじゃなくて……。今回は孔洋の言うことが正しいと思うぞ。そういうのは強制するもんじゃ……」
「イヤ! 僕、欲しいものは絶対に手に入れる人間なの! 宮守くんもちゃんと納得してくれたでしょ」
そう言って、さっきよりも強く両手を握られた。
しかもいつの間にか名前呼びになっている。
今まであまり人に触れられる機会がなかったため、たったそれだけのことで心臓がドキドキしてしまう。
手に汗をかき始めたことを感じ、慌てて話題を変えようと必死に頭を回転させる。
「た、例えば……っ」
「ん?」
「普段はどんな活動をしているのか、詳細を簡単に説明していただくことは可能でしょうか……!?」
「そうだよね! 僕としたことが失念していたよ」
先輩は僕の両手から手を離し、ポンと手を叩く。
まるで演劇の一場面のように、ゆっくりと部屋の中を歩き始めた。
「そうだなぁ。ちょっと前までは都市伝説を調べたりしてたよ。意外とね、この街にもあるんだ。去年は心霊スポットやパワースポットを調査したことあったっけ。まあ普段は部室で『月刊
「え……『なんでも願いが叶う絵』……ですか?」
「そ。これも都市伝説みたいなものなんだけどね。あるらしいんだよ、そう言う絵が。まあ作者も、どこにあるかも不明ってことで、かなりの眉唾物なんだけど」
東郷先輩は興奮した様子で口調を早める。
「それは……どうやったら見つかるのでしょうか?」
「あ、興味ある? まあ『何でも願いが叶う』なんて誰でも見てみたいよね。もちろん、そんな簡単に見つかるもんじゃないよ。……でも」
東郷先輩はすぐ隣に立っていた、とーやと呼ばれる先輩の両肩を掴むと僕の目の前に立たせた。
「ここにいるとーやが、それを見つけられるんだよね!」
「見つけられる?」
「そ。簡単に言うと、目利きみたいなもんだよ」
「目利き、ですか……」
「ふふ、気になる? 気になるよね? でも残念。ここから先は企業秘密でーす」
「そうなんですか……えと、それじゃあ気になるので入部します」
「ちょっと待てぃ!」
「テメエはバカか!?」
突然大声を上げた遠野先輩と綾織先輩が二人で叫ぶ。
遠野先輩は、僕と東郷先輩の間に凄い勢いで身体を滑り込ませた。
「オマエ、世間知らず過ぎないか!? そんな嘘くさい情報を簡単に……」
「さっすが宮守くん! 話が分かる! んじゃ、さっそく来週の月曜日から正式に下っ端……じゃなくて侵入部員として頑張ってもらいましょうかね」
遠野先輩から遠ざけるように、東郷先輩は僕の肩を組み、教室の奥……窓の方へ向かって歩いていく。
「あーもう、オレは知らないからな!」
背後から、遠野先輩の諦めた声がかけられる。
けれど東郷先輩はまるで気にした様子はなく、ニッコリと笑った。
「良かった良かった。これで一件落着だね。ってことで、残りの部員の自己紹介をしようか。あとはとーやとあーやだけだよね。こっちの美人さんは
「……よろしく」
「は、はい! よろしくお願いします!」
僕は平倉先輩から差し出された右手を軽く握リ返す。
「で、あっちにいる三つ編みの無愛想な三年生は綾織黎明。綾織だから、あーやって呼んでるんだ。ねえ、あーや、自分でも自己紹介するー?」
「……しねえ」
「ね、無愛想でしょ。まあ、誰に対してもこういう人だから、そんなに気にしないで」
まるで鼻歌でも歌うかのように、恭次先輩は上機嫌に笑う。
建前ではなく、僕の入部を心から歓迎してくれているようだ。
「さて、早速だけどとーや。期待の新入部員くんと、来週から『なんでも願いが叶う絵』の捜索を頼むよ。目星の場所は、僕が探しとくね。これはとーやにしかできない仕事だから、しっかりやってくれたまえ」
部長が先輩の肩をぽんと叩く。
肩まで伸びたウェーブのかかった髪が、ふわりと風に踊った。
「……ったく」
平倉先輩は困ったように肩をすくめる。
それと同時に、教室内にチャイムが鳴り響いた。
部活動終了の合図だった。
「はい。ということで、今日の活動はここまで。ちゃんと来週の予定も決まったし、幸先いいねえ。それじゃあみんな、気をつけて帰るように」
東郷先輩の音頭により、各々が帰り支度を始める。
「さーて、今日もバイトに励むとするか……来週からよろしくな、宮守」
遠野先輩が僕の頭をぽんと叩き、教室から出ていく。
「は、はい! よろしくお願いします!」
「ま、無理しないようにな」
次は平倉先輩だ。
はにかんだような笑顔で、そっと背中を押してくれた。
「…………」
そして綾織先輩は無言のまま出ていく。
東郷先輩曰く、嫌われてはないようだけど……。
「宮守くんも先行っていいよ。僕は戸締りをしてから帰るから」
先輩の言葉と共に、少しだけ開いた窓から暖かな春の風がふわりと通り過ぎる。
それはとても優しい風だった。
「月曜も、
東郷先輩の言葉に背中を押され、僕は部室を後にした。
*四月六日 土曜日 学生寮
「ただいまです」
楽しかった放課後の余韻を引きづりながら、自室に戻ってくる。
窓から入り込む日差しはすっかりオレンジ色になっていて、部屋の空気が暖かかった。
僕はベッドの上に倒れ込み、枕に顔を埋める。
「まさか、部活に入るなんて思ってもいませんでした……」
独り言が部屋に響く。
しかも重なった偶然により、会いたいと思っていた人達全員に会い……そしてお礼も伝えることもできた。
その件に関しては、本当によかった。
もしもお礼すら言えないままだったら、絶対に後悔してしまうから……。
「ん」
僕は寝転がったまま、少し指先に力を入れて、ベッドサイドの机の上に置いてある、全長一〇センチ程のキジトラ猫のぬいぐるみを見る。
このぬいぐるみは、僕が小さい時におじいちゃんに貰ったものだ。
人間のように手足があり、そこにちょこんと座っている。
年代物のせいか、だいぶ色褪せてしまっているが、それでも僕はそれを今でも大切にしている。
ぬいぐるみはそのまま立ち上がり、数歩だけ歩くと、すぐに電池が切れたように倒れた。
これでおしまい。
これが僕にできる精一杯の魔法だった。
昔よりもずっと弱くなってしまった力……。
こんな少しの力しかないのに、あの水晶を通してそれを見つけることができるなんてすごいなあ。
世の中には便利な道具があるものだ。
おじいちゃんにはそういった類のことは教えてもらったことがなかったため、素直に感心した。
僕はそのまま仰向けになると、カーテンの隙間から薄っすらと浮かんだ月を見上げる。
「……『なんでも願いが叶う絵』ですか」
その魅力的な名前を、声に出してみる。
東郷先輩曰く、それは都市伝説のようだけれど……。
「…………」
僕は不安を拭うように、そして……自分を安心させるように……。
胸のドッグタグに触れる。
直接肌に触れているそれは、僕を安心させるように熱を持っていた。
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