忘れられてしまう少女の話
@rna-cargo
プロローグ
少女はいつでも独りだった。それは、周囲の人間が彼女のことを、最終的には忘れてしまうからだった。その時間はまちまちだったが、短くて数日、長くても一週間、それは少女と取り結ばれた関係によって多少は変化する様だった。しかし、少女にとっては、自分が結局は忘れられてしまう存在なのだという衝撃的な事実一点だけが重要なのであって、憶えてもらっている期間にはあまり興味がなかった。忘却は徐々に進んでいくこともあれば、ある日突然、忘れられてしまうということもあった。それを知っているのは少女一人だった。彼女以外の人は、それを知ったとしても、彼女の存在と共にいずれは忘れてしまうのだ。
少女の姿形は何年経っても変わらなかった。だから少女は、自分が幽霊のような存在なのだと思うことにしていた。実際幽霊がどんなものなのかはよく知らなかったが、自分が納得できればそれでよかった。少女の衣装はいつだって制服で、居る場所はいつでも学校の教室だった。たまに外に出てみようとしても、最後には必ず学校のある教室で目覚めるのだ。だから、少女にとっての世界とは、一日で移動できる距離だった。学校を中心とした円の中で、少女は生活していた。家族と呼ばれるものも少女にはいなかったので、自宅も当然ながら存在しない。彼女に帰る家はなかった。それはつまり、決まった寝床を確保できていないということでもあり、少女は眠る場所を様々に変えていた。頻繁に使っていたのは保健室なのだが、いちばんのお気に入りは、学校のすぐ近くにある団地の一角、マンションの一室だった。その部屋には、少女が何度も初めて知り合ったお姉さんが住んでいた。何度も初めて知り合った、というのはつまり、何度も忘れられている、という意味だった。一人であることに慣れているといっても、やはり寂しさに苛む夜は定期的に訪れるわけで、そういった夜に、少女はお姉さんの部屋を訪れた。
お姉さんは一人暮らしだった。少女はお姉さんに会いたいとき、マンションのドアの前で、お姉さんが帰宅するまで待っていた。お姉さんはいつでも帰宅するのが遅かった。あれれ今日は寂しい夜だったのかな、と声をかけてくれるときもあれば、どちらのお嬢様なのかな、と微笑みかけてくれるときもあった。そのどちらであっても、少女は変わらぬ歓迎を受けていた。だから、忘れられる忘れられないは問題にはならなかった。お姉さんは少女のことを家出したのだと思うようで、話していても最後には必ず家族の話になった。お姉さんは仕事に忙殺される中で、なかなか帰省できずにいるといつもぼやいていた。お姉さんの家族は、父、母、それに八歳離れた妹がいるのだという。お姉さんが働き出したのは、妹がまだ中学生のときであったらしい。
「あなたってね、私の妹にそっくりなのよ」
そう言って、お酒の入ったお姉さんはいつも少女の頭を撫でた。頭を撫でるお姉さんの目を見て、少女はお姉さんの目の先にいるのが自分で申し訳なく思っていた。私が本当の妹であったならどんなによかっただろう、しかしそれは叶わぬ夢なのだと、少女は涙を堪えながら黙って撫でられていた。少女はお姉さんの妹を羨んでいたし、もしかしたら、嫉んでいたかもしれない。しかし最後には決まって、一抹の寂寥を胸に抱きながら眠りに就いていた。
この話はさしあたり、忘れられてしまう少女の話には関係がない。ただ、この少女にも、拠り所ぐらいはあるのだということを理解してもらいたいというだけのことである。少女が誰からも忘れられてしまうからといって決して、彼女に同情する必要もないということだ。いくら忘れられてしまうといっても、目の前の楽しさだけを追い求めればそれなりにそれを得ることができた。しかし少女はその機会を悉く見逃し、あるいは意図的に遠ざけていただけのことだ。
悲劇のヒロインは必ず、同情を誘い同情を望むものだが、彼女にはそんな欲望は一切なかった。なので少女は悲劇のヒロインにはあらず、ただ一般的な人間と決定的に違う性質として、忘れられてしまうというただその一点が記述するに値するのだ。だから、このお話を読み終わった後で、この少女のことを生涯憶えていようなどという殊勝な精神を持つ必要もないし、万が一そんな気持ちになってしまったとしても、その気持ちを忘れたからといって非難されるべきでもない。彼女はだから、忘れられてしまう少女でありえるのだった。
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