第五章 第四節 潮が満ちる
挿絵 5-4
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「課長、フリー記者の山城さんがいらっしゃったそうですが…」
「ああ、そこに通して」
大手メディア、日開メディアの本社オフィス。
小さな応接スペースに、一人の男が招かれる。
「やあ、どうも、お久しぶりです」
「こちらこそ。出世したね。梶原さん」
「いやいや、山城さんたちのようなベテランが抜けたからですよ」
「そんな謙遜して、梶原さんの実力だよ」
「山城さんが辞めてから、五年でしたっけ? 早いですよね」
談笑する中年男性二人に、若い女性がお茶を出す。
「山城さん、あんまり古巣とは仕事したくないって言ってたのに。今日はどうしたんです?」
「実は、梶原さんに見てもらいたいものがあってね」
山城という男が、封筒を鞄から取り出す。
「なんでしょう。拝見しますね」
梶原が封筒から書類を取り出そうと引き上げる。
封筒から覗く書類を見て、梶原がはっと驚いた。
「え、山城さん、これ! これどこで手に入れたんですか?」
山城が苦い表情をする。
「実は、昨日ポストに入っていて…。どこからかもわからんのです」
「…防衛省の内部書類に見えます。どうしてこれを?」
「私にもさっぱり…」
梶原が書類に釘付けになる。
「本物…。ですよね?」
「梶原さん、私はこの書類、捨てるにも惜しい気がしましてね。どうだろう、記事にできませんか?」
「…探りを入れないといけませんね。裏取りが必要です」
「ええ、もちろん。…こういうネタ好きでしょう?」
山城が苦笑いする。
書面の見出しには、空間崩壊への適合者出動記録と記載され、
人口の少ない過疎地は見事に“未派遣”と記載されている。
「過疎地への空間崩壊対応に、軍は派遣されないとは、昔から言われていましたが…。ここまであからさまだったとは…」
「信ぴょう性はわかりません。誰かのいたずらかもしれないですからね」
「ええ…。ですが、とても興味深い書類です」
梶原がじーっと書類を見つめ続ける。
「こんばんは。こんなところに女性を呼び出すなんて、今夜は何かあるのかしら」
雑居ビルの中のある小さな暗いバー。
カウンターに、日開メディアの梶原が座る。
「桐ケ谷さん、冗談はよしてくださいよ。週刊誌のネタにされたくないでしょ?」
「ふふ。一度、言ってみたかっただけです」
梶原の隣へ座る。
マスターがドアに掛けられた小さい看板を、“CLOSE“に裏返す。
「安心してください。馴染みの店です。何を飲まれます?」
離れた位置で、コップを拭いているマスターを横目に見る。
「そうですね…。では、マティーニを」
「いいですね。すいません、マティーニをこちらに」
マスターは笑顔で黙って頷き、棚から瓶を取り出す。
「梶原さんとお会いしたのは、二年ぶりかしら」
「ええ、私が記者クラブにいたとき以来ですね」
「ご出世なさったとお聞きしております」
「はは、内勤に変わっただけですよ」
梶原がグラスを持ち上げる。
ウイスキーの氷が溶けて、カランと音を鳴らす。
「突然のご連絡には驚きましたわ」
「僕も連絡を入れてよいか迷いましたがね。個人的な連絡先が生きていて助かりましたよ」
梶原がウイスキーに口をつけ、口角を上げる。
カシャカシャカシャ
マスターがシェイクを始める。
「ところで、私を呼び出された理由はなんでしょう…。ナンパですか?」
梶原がハハっと笑う。
「そんな恐れ多いことが出来ますか。歳も離れていますし、私にも妻がおりますしね」
梶原が後頭部に手をやる。
「ふふ。これも言ってみたかったんです」
「勘弁してください」
梶原が鞄から封筒を取り出す。
「元防衛省のご意見を頂きたくてね」
「それは?」
「何と言いますか…、怪文章…とでもいいますか」
マスターがシェイクを終え、カクテルグラスをくるりと回す。
手渡された封筒。
そっと開けて、中の紙を取り出す。
「……」
黙って書類を見つめる。
「驚いてはいないですね?」
「…そう見えます?」
「ええ、まるで知っていたみたいだ」
書類を静かに封筒へ戻す。
「これが、何か?」
「知り合いの元に送られてきたんですよ。スクープになると思いませんか?」
「そうですね…。ですが、御社の上層部は黙っているかしら?」
梶原に封筒を渡す。
複雑な表情を浮かべる梶原。
マスターが近寄って、グラスを私の前に置く。
注がれる透明なお酒。
グラスに入ったオリーブの実が、
透き通ったお酒に沈んでいく。
「世間が食いつくネタだと思うのですがね…」
「…私は与党議員ですよ? もしかして、取引がしたいとは言わないですよね?」
「いやいや、滅相もない。私も珍しく義憤に駆られまして。真実を知りたいなぁとね」
「私ではなく、本職の方に直接お話をされては?」
「…。それは…、この文章の信ぴょう性を、裏付ける言葉と受け取っても?」
「さあ…、どうかしら?」
マティーニに口をつける。
ほろ苦い味わいが口に広がる。
「カナタちゃん、何書いてるの?」
柳原さんが、ソファーのテーブルで何かを書いている。
ミナモがそれを覗き込む。
「み、ミナモちゃん! 恥ずかしいから見ないで!」
紙の上にばっと覆いかぶさる柳原さん。
「えー、なに? なに?」
「て、手紙を書いていいって、陸佐から言われたから」
「誰に?」
「家族…」
「えー!!」
ミナモの目が見開く。
「え、私も書きたい! 書いていいの!?」
「り、陸佐がもうすぐ、手紙を出せるようになるからって。私でテストするって言ってて…」
「そうなの? えー! いいな! いいな!」
ミナモは羨ましそう。
胸の前で、腕をぶんぶんとする。
「もうすぐ、ミナモちゃんも出せるようになるんじゃないかな? 私で試して、大丈夫かどうかチェックしてるんだと思う」
「そっかー。責任重大じゃん!」
「うん。届く前に、偉い人が見てチェックするらしいし、変なこと書かないように気をつけなきゃね」
「うん! カナタちゃん! 頑張って!」
「う、うん! 頑張る!」
ミナモがニコニコと窓の外を眺める。
「そっかー! 楽しみだな!」
「ミナモ、柳原さんの邪魔をしちゃ駄目だよ」
「うん! ハルカちゃん、任せて! いい子にして待ってるよ!」
「え、あ、うん」
一段と明るくなったミナモの表情。
私も笑顔を返す。
「桐ケ谷先生。三隅大臣からお電話が来ております」
日の光が差し込む、議員事務所の電話を秘書が受ける。
「はい。桐ケ谷です」
“三隅だが…。また面倒が起きていてな”
電話口の三隅大臣は疲れたような声。
「声色が優れないようですね」
“こうも立て続けに色々と起きてはな”
「いかが致しましたか?」
“過疎地などへの適合者の派遣基準について、メディアからの問い合わせがあったようでな”
私は口元がにやけてしまうのを、秘書にバレないように、
窓へと振り返って隠す。
「…問題になりそうなのですね」
“ああ、また流出だよ。内部資料のコピーが送られてきた”
「まあ…。どうなさるのですか? また会見を?」
“そんなことが出来るか。前回のリスト流出から、それほど日も経っていないのだぞ”
「そうですわね」
“問い合わせがあったのは、日開メディアだ。親会社は党とも関係があり、話のわかるところだ”
「何かご不安が?」
“ああ、適合者の派遣基準、過疎地域の切り捨ては、システムに組み込まれたものだ。古いものでもあるしな、簡単には変更できない。流出した資料もどこまで広がっているかわからん。次に過疎地で空間崩壊が起きれば、どう荒れるか想像もできん”
「…」
私はデスクに真っ直ぐ座りなおす。
「Z.A.Λからの応対システム。これの改善は、急務なのでは?」
“そうだがね…。山岳部などは軍の派遣も容易ではない。適合者も人員が限られているのでな。損失する可能性は抑えなければならん”
私は机をトントンと指で鳴らす。
「ですが、今のシステムでは、過疎地は切り捨てられてしまいますわね」
“悩ましいところだ。しばらくの間、空間崩壊が起きなければいいが…”
「では一時的に、ご自身がご判断なさるのはいかがでしょうか」
“何?”
「現在の自動応対システムは一時停止し、システム更新が終わるまでの期間に政治決裁の判断を組み込めば、過疎地も拾えますわ」
“議員で判断しようと言うのかね…。緊急の呼び出しで対応できるか?”
「防衛大臣、副大臣、政務官、また、委員の皆様で持ち回られてはいかがです?」
“うーむ…”
「早急にシステム改善を行わなければ、リークが騒ぎ立てられたときに、言い訳が立ちませんわ」
“…そうだな、省庁に相談させ、なるべく早期に対応しよう。君も、元防衛省として協力してくれるかね?”
「ええ、もちろんですわ。三隅大臣」
受話器を置く。
私の目元が緩むのを感じる。
「ああ…。直ぐに起きなければいいわね…」
「え? なにか申しましたか?」
秘書が手を止め、こちらを見る。
「いいえ、なんでもないわ」
私は目を合わさぬよう、くるりと窓へ振り返る。
「あ、ハルカちゃん、二藤陸佐が…。お疲れ様です!」
警戒室に入ってくる二藤陸佐に、ミナモが気づいて敬礼する。
私と柳原さんも立ち上がって敬礼。
二藤陸佐が私たちへ手を向け、やめるように促す。
「どうしたんだ? ここまで来るとは」
橘先輩が新聞を机に置く。
「出撃の流れが変わるそうだ。現在の自動出撃システムは一時的に取りやめ、防衛省側がZ.A.Λからの情報を精査し、出撃要請が出る流れになる」
「どういうことだ」
橘先輩が不機嫌そうに二藤陸佐を見る。
二藤陸佐が深い溜息をつく。
「どうもこうもない。システムアップデート期間中の一時的な処置だそうだ」
「ああ、そうかい。それで? いつまで続く?」
「不明だ。この期間中に出撃となれば、混乱が予想される」
橘先輩が背もたれに深くもたれこむ。
「…で? 何をしろというんだ?」
「何ということもない。臨機応変に頼むよ」
「…ああ。わかった」
橘先輩が溜息を吐く。
二藤陸佐も部屋を出る。
なんだか疲れているように見える。
「あの、どういうことでしょうか?」
橘先輩に尋ねる。
「さあな。お偉方の考えることはわからん。ロクなもんじゃねえことは確かだ」
バサっと新聞を広げる橘先輩。
「ねえ、なにかあったの?」
「わからない…」
ミナモ達と一緒に、私も首を傾げた。
8月の半ばが過ぎたが、蒸し暑い夜は続く。
グラウンド脇の芝生で、俺はいつものように寝転んで空を見上げる。
「カズキ」
少し離れたところから声が聞こえる。
サングラスをかけた女がフェンス越しに立つ。
むくっと起き上がって、近づく。
「関西に来ていたのか。相川」
相川がサングラスを外す。
いや、今は桐ケ谷と言うべきか。
「帰りに寄っただけよ」
「公式な訪問のようには見えないな」
「ええ」
相川が腕組みをする。
「あなたの顔を見ておきたくてね」
「…変わった趣向だ。防衛省のシステム変更と、何かが関係あるのか?」
「……」
相川が空を見上げる。
「この期間に光体が現れたら、かなりの混乱になるでしょうね」
「見越したような発言だな。それは忠告か?」
「まさか。…顔を見に来たと言ったでしょ?」
こちらを真っ直ぐに見る。
「ねえ。聞いておきたかったの」
「何をだ?」
「どうして、あなたは私の両親を置いて、私を引っ張って行ってしまったのかって」
「……昔話をしにきたのか」
「そうね。いけないかしら?」
俺は空を見上げる。
「…相川の親父さんが、そうしろと言ったからだ」
「…そう」
「それに…。相川のことを、まるで兄弟のように思っていた。二人なら何とかなると、…思ったのかもしれないな」
相川も空を見上げる。
「ねえ、カズキ。あなたには、出来れば、まだ死んでほしくないの」
「……どういうことだ?」
「それだけ伝えにきたのよ」
相川はサングラスをかけなおし、スタスタと去っていった。
フェンスの向こうの林に消えていく後ろ姿。
次第に暗闇に紛れて、見えなくなる。
「言い忘れていた…。ありがとう、相川」
夜空の星は、粒子の煌めきに紛れ、ゆらゆらと揺れている。
※ 次回 2025年8月20日 水曜日 21:00 更新予定
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