第53話 外伝 怪談師の異界漂流記 ④
異世界に転移してから、早いもので四ヶ月が経過しようとしていた。
北の果て、凍てつく「静寂の塔」を目指す道中、只見誠二の肉体には劇的な変化が訪れていた。かつて大阪のスタジオで「恰幅のいいイケボ怪談師」として親しまれていたその体躯は、今や見違えるほど引き締まっている。
「セージ、あんた……本当にかっこよくなったな。最初はタンスみたいな体型だと思ってたけど、今はシュッとした熟練の戦士みたいだぜ。肌もいい具合に焼けて、目つきまで鋭くなっちまって」
隣を歩くホビットのディンが、感心したように只見を見上げた。
「……そりゃあ、これだけ毎日歩かされればね。しかもあの乗合馬車、ありゃあ拷問器具だよ。サスペンションなんて概念がないから、内臓が攪拌されて、日本にいた頃の不摂生が全部削ぎ落とされた気分だ」
只見は、少し緩くなった黒のセットアップのウエストを締め直しながら苦笑した。
この四ヶ月の旅路で、只見はこの世界の理(ことわり)を深く理解するようになっていた。
この地には「聖教国エリュシオン」「魔導帝国ゾルディ」「連合王国ガリア」という三つの大国があり、百五十年前の凄惨な「三界大戦」を終結させて以来、危ういながらも安定した平和を保っている。文明の進み具合は中世に近いが、魔石を用いた「魔導技術」が生活の各所に浸透しており、夜の街灯や簡易的な通信機など、一部では現代に近い利便性も持ち合わせていた。
信仰の対象は、空にまします絶対神「
種族は多岐にわたり、社会の中心を担う人間、森に住まうエルフ、工芸に長けたドワーフ。そしてディンのような、小柄だが鼻の利くホビット族。彼らは本来、定住を好む種族だが、ディンには旅を続ける理由があった。
「ディン、あんたも大変だな。村を立て直すために『賢者の知恵』を借りようとしてるんだろ?」
「ああ。俺の故郷はここ数年、魔力の枯渇で畑が全滅しちまってな。長老から『次元を渡る賢者様なら、大地の魔力を戻す方法を知っているはずだ』って言われて、村の期待を背負って出てきたんだよ」
そんな会話をしながら二人が辿り着いたのは、深い霧に包まれた山あいの村「ヴォルフ」だった。
広場に入ると、一人の少年が血相を変えて叫んでいた。
「みんな! 逃げて! 森に『銀灰の
しかし、村人たちは冷めた表情で作業を続けている。
「またか、ピーター。嘘も休み休みにしなさい」
「この前もそう言って、みんなを避難させてる間に食糧を盗み食いしただろう」
只見はその光景に、地球の寓話「オオカミ少年」を重ね合わせた。だが、只見の耳には微かな、しかし確かな「違和感」が届いていた。大気を震わせる不吉な唸り声。
「ディン、鼻を利かせろ。少年の言葉は『真実』か?」
ディンが鼻をヒクつかせ、顔を真っ青にした。
「……血の匂いだ。それも、猛烈な野獣の……セージ、本物だ!」
その直後、霧の奥から輝くような銀色の毛並みを持つ巨大な狼たちが、音もなく姿を現した。村人たちの表情が、一瞬で恐怖に凍りつく。
「ぎゃあああ! 本当に出たぞ!」
「逃げろ! 噛み殺される!」
パニックに陥り、我先にと逃げ惑う村人たち。狼たちはその混乱を楽しみ、一匹が逃げ遅れた子供に飛びかかろうとした。
「——そこまでだ、獣(けだもの)。」
只見の声が、村全体を物理的な衝撃波のように包み込んだ。
彼は【精神攻撃:静止と畏怖】を声に乗せた。ただの一言だが、その響きは飛びかかろうとした狼の脳幹を直撃し、空中で硬直させて地面に叩きつけた。
「一度裏切られたからといって、目の前の現実から目を逸らすな。そして少年、お前もだ。」
只見は少年の前に立ち、群れのリーダーである一際大きな狼を見据えた。喉の奥を震わせ、かつて演じた「暗黒騎士」の冷酷なトーンで告げる。
「失せろ。ここにお前たちの食い物はない。あるのは、魂を凍らせる『死』の調べだけだ。」
言霊の重圧。狼たちは、只見の背後に巨大な「死神」の幻影を見た。本能が「勝てない」と絶叫し、銀色の群れは一斉に尻尾を巻いて、深い霧の奥へと逃げ去っていった。
静寂が戻った村。只見は、震える少年の頭をそっと撫でた。
「……少年、嘘はいつか自分の首を絞める。だが、今日お前が叫んだ勇気は本物だ。次は、信頼を取り戻すためにその声を使え」
そして、恥じ入る村人たちを一瞥すると、少し痩せて軽くなった足取りで再び北へと歩き出した。
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