ペットロス

佳宮

1日目

ペットロス、という言葉があまり好きではない。

それでもこの言葉が、私の今の状態を最もよく表すもののように思う。

『ちび』はペットという枠ではなく、家族だったと主張したくなる。

猫か人か犬か猿かなんてどうだってよくて、

私にとって、ものすごく大切な存在だったのだと力説したくなる。

私はそういう面倒くさくて偏屈で、

どうしようもない性格をしたろくでもない人間だ。『ちび』とは真逆だ。


『ちび』のことを綴ったとき、何度も現在進行形で書いては過去形に書き直した。

私の中ではまだ『ちび』はここにいて、過去になどできていない。できそうにない。


1日目の今日の早朝、私は何故か庭に墓穴を掘った。

湿った土を掘るとミミズが出てきたり、驚いたダンゴムシが転がったりした。

それを一匹ずつ傷付けないように避けて逃がしながら、掘り進めた。

最低50cmは深く掘った方がいいらしい。

腐敗臭を防ぐためと、臭いを嗅ぎつけた野生動物などに掘り返されないようにするためらしい。

近くに木がない場所を選んだのに、木の根が四方八方から伸びていて

掘り進めるには木の根を切断しなければいけなかった。

30cmほど掘ったあたりで、「火葬してもらったのだから、そんなに深く掘る必要ないな」と思った。

そもそも埋められる日が来るのだろうか。どうして埋めなくちゃいけないんだろうか。

まだ埋める気がないのに、今掘る意味があるだろうか。

私はシャベルとスコップを放り投げて、家の中に戻った。


頭の中にはずっと『ちび』との記憶が流れ続け、突発的に慟哭し続けていた。

そうしたら、日が暮れていた。

泣き疲れて喉が渇き、冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを飲み、また泣いた。

冷蔵庫の中に『ちび』のごはんとおやつがあったから、それをみて泣いた。

お風呂に入っている間、「早く戻らなきゃ」とせわしなく手を動かした数秒後

もう早く戻る理由がなくなったことに気付いて、泣いた。

二階の自室に戻る前、無意識的にキッチンへ行き

棚から『ちび』のおやつを取り出している自分に気付き、泣いた。

猫用トイレを掃除する時、『ちび』のおしっこした跡が見当たらずに泣いた。

『ちび』のお気に入りの場所に『ちび』がいなくて、代わりに骨壺があるのをみて泣いた。

歯を磨こうとした時、洗面所に『ちび』へ水を飲ませるために使ったスポイトが置いてあるのをみて泣いた。

洗おうと洗濯機に突っ込んでいた『ちび』愛用の毛布をみて、取り出して抱きしめて泣いた。

ボーッとしながら食器を洗っていただけなのに、急に涙がとまらなくなった。

ポストの中を確認しに外へ行き、戻って玄関の扉を開けた時

『ちび』の姿が見当たらず、泣いた。

いないとわかっているのに、「ちび、ちび」と呼んで、泣き崩れた。

ベッドの上に座り込み、わんわんと泣いて、泣いて、泣いて、気を失うように眠った。

起きてすぐ、私の枕横の『ちび』のお気に入りの場所を手で探り、

ひんやりとした骨壺の感触にまた慟哭した。


ずっと胸がひどく痛んで、発作的に幼児退行したような泣き方をしてしまう。

何度も鼻をかむせいで、鼻の頭と人中付近は赤く剥け、瞼は膨れあがっている。

泣き声を絞り出す度に肋骨が軋み、突然手足の力が抜けて虚脱する。

脳が、目に入るすべての物と『ちび』を関連付けて、記憶を手繰り寄せてしまう。

自分自身に記憶の爆弾を投げつけて、自爆し続けている。


私がこうして文章にしているのは、

心にたまった膿のようなものを吐き出すためだと思う。

楽になりたいから吐き出したい…と思っていたが、これを書いている間

涙がとまらないので、やはりこれも自傷行為の一種なのかもしれない。


人には話せない。なぜなら、こんな事を話されても困るとわかっているからだ。

同情してもらえたり、優しい言葉を掛けてもらえるかもしれないが、

私はそれを望んでいない。

相手にも申し訳ないし、馬鹿みたいに慟哭するところを誰にも見られたくない。

でも、これを非公開の場所で書かないのは、どこかで誰かの目に留まって

その誰かに『ちび』という存在を知ってほしいからかもしれない。


1日目は、つらかった。

今も『ちび』を呼び、『ちび』を探してしまう。

まだそばにいてくれている気がする。

見えなくなっただけで、元気な頃のように過ごしているんじゃないかと考えて

「ちび、もう体つらくない?大丈夫?だいすきだよ」などと、虚空に話しかけてみたりする。

骨壺を開けては、頭蓋骨の部分を撫でるように手をかざしてみる。


もう数時間で、1日が終わる。

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