第19話 バッドエンドへ
わたしは空くんと付き合うことになった。
空くんとカフェで一日過ごしていた。
「やっぱり僕のこと、忘れているでしょ?」
空くんは悲しそうに眉根を寄せる。
「そんなことないよ。一緒に泥団子を作ったりしたの、覚えているって」
「……それだけ? 最近のことは?」
最近。
空くんは何を言っているのだろう。
最近になって再会した彼とほとんど話していないのに。
ただわたしが初恋で、告白したからこうしてお茶している。
それだけのこと。
なのに、なんで空くんはそんな辛そうな顔をしているのさ。
まるでわたしが悪いみたいじゃん。
「いや、ごめん。僕は……」
言葉尻がすぼんでいく空くん。
「どうしたの? 怖い?」
震えている空くんを気遣うが、笑顔を見せる。
どうやら深入りして欲しくないらしい。
「大丈夫。何度でも会いに来るよ。キミに」
「うん。ありがとう」
何度でも、か。
そりゃわたしも会いたい。
肯定するようにうなずくわたし。
「会おう。また会おう」
わたしは今までの思いを吐露するように彼に歩み寄る。
「うん。そうだね。また会おう」
空くんも嬉しそうにわたしに駆け寄ってくる。
ギュッと抱きしめ合う。
意外と引き締まった身体をしていて、なんだか男の子って感じがした。
それから香ばしいようないい匂いがする。
心の底から彼を好きみたい。
多幸感に包まれつつ、甘えた声を上げる。
空くんはそんなわたしの頭を柔らかく撫でる。
心地良いと感じた。
わたしは今までの中で一番、幸せだ。
でも彼は切なそうな顔をしている。
「これで二度目、だけどね……」
小さく呟く彼。
「空くん。恋人、いたんだ」
距離をとるわたし。
ふるふると小さく首を振る彼。
「違うよ。キミとハグするのが二回目だよ」
「どういう意味?」
「輪廻の輪が乱れているんだ。ここに僕はいない」
悲しく、そらんじる彼の顔はどこか儚い。
訳が分からず、わたしは混乱する。
「ごめんね」
わたしを後ろからハグする空くん。
ええ。これってバックハグ!?
前からのハグもドキドキしたけど、それ以上に近く感じる。
ドキドキとする鼓動を聞かせまいと身を縮める。
「ううん。あなたがわたしを見つめてくれるならいいの」
「そう。なら一生をかけて僕はキミを幸せにするよ。絶対に……」
ギュッと強めに抱きしめる彼。
「本当?」
「ああ。本当だよ」
「なら、このままずっと抱きしめてよ」
回した彼の手にわたしの手を重ねる。
耳元が近いせいか、余計にドキドキする。
イケメンの彼の顔が近い。
整った顔。
真っ直ぐなキラキラとした瞳に、清潔感のある髪。
緋色の瞳がすーっと嬉しそうに細まる。
すべてが思い出の中へ消えていってしまう。
嗚呼、なんと奇怪な。
「僕は、ずっとキミが好きだ。一緒にいてほしい」
「うん。そうしよう」
ふと気がつくと目の前には大河が流れていた。
キミとわたしの間に流れる大きな河一つ。
「やめてくれ。キミはまだこっちに来てはいけない」
「ハグもできないの?」
「……」
「なんとか言ってよ、空くん!」
言葉を紡ぐことなく、彼は大河から離れていく。
わたしは追いかけようと前に進む。
が、足下を掬われ、砂に沈んでいく。
「まだ、こっちに来てはいけないよ」
彼の言葉がようやく理解できた。
できてしまった。
わたしはゆっくりと瞼をあける。
視界には白く綺麗な天井が見える。
わたしの家だ。
周囲に目をくべらせると、いつも大事にしていたウサギのぬいぐるみや、小さい頃に彼からもらった小石が見つかる。
なんてことない川辺にあった小石。まん丸で少し変わった形をしているだけのそれをギュッと抱きしめる。
「わたし、彼ともう一度会いたいな……」
できるだけの願いを込めて、わたしは独りごちる。
空には虹がかかっていた。
「楓、ごはんよ」
お母さんの声が聞こえてくる。
「わかった。今行く」
わたしは返事をし、彼を想い続ける。
わたしにはそれしかできない。
そうでありたい。
二階の自室から出ると、リビングのある一階へと降りる。
キッチンと一緒になったリビングにある食卓へと腰をかける。
まだ覚えている。
だが、目の前にシチューを配られると、ついさっきまで何を祈っていたのか、忘れてしまう。
どうして。
どうしてこんなにも悲しいのだろう。
わたしはただ……。
そこまでこみ上げてきたのに、まったく思い出せない。
なんだろう。
わたしの望みは。
つーっと流れていく涙。
「楓? どうしたの?」
お母さんが心配そうに訊ねてくる。
その隣にいたお父さんも新聞を畳み、こちらを気遣っている。
「シチュー。あなたの大好物でしょう?」
それは昔の話だよ、とは言い返せなかった。
「ごめん」
わたしはそれだけ言うと、スプーンを手にする。
いただきます。
そう告げると、ごはんの上にシチューをのせる。
嫌いな人もいるらしいけど、うちではいつもこうして食べている。
彼も確かしない派だったけ。
でも、彼ってだれだろう。
思い出しかけた記憶。
その道しるべは甘いミルク味のシチューによって流された。
時を同じくして、彼を想う人がいた。
彼女もまた、彼に思いを寄せていた。
でももう帰ってはこない。
彼は最大の禁忌を犯し、最大の報いを受ける。
あたしには彼を幸せにはできない。
彼の望みを叶えてあげられない。否、叶えるべきじゃない。
あたしは結果として彼を支えてあげることなんてできない。
今のままがいい。
触れることすら許されない。
彼を想い続けている。
彼と楓ちゃんとの恋愛が成就することを嫌って。
彼をただここに呼び止めている。
分かっている。
あたしが巫女で、神様への祈りを聞き届けている。
それがあたしの使命だって。
でもこの願いだけは叶えたくない。
「ただいま」
空君と楓ちゃんの仲が良くなればなるほど、二人の間にある境界線は消えていく。
そんな気がする。
あたしはなんでこんなことをしているのだろう。
彼に行って欲しくない。
彼はあたしのために生きて欲しい。
そんなあり得ない妄想をして、あたしはただ祈った。
「めぐみちゃん、今日の夕食はなにかな?」
「ビーフシチューだよ。タンと召し上がれ」
めぐみちゃんはそう言い空君を迎え入れる。
これが巫女としての務め。
彼はまだ、この世界に思いを寄せていた――。
あたしはこの因果を変えなくてはいけない。
そろそろ彼があの子への愛情を、未練を断ち切ってほしいのだけど。
ううん。あたしが決めることじゃないよね。
彼を成仏させるには、やっぱり手伝ってもらうしかないのかな……。
でもそれってあたしが本当にしたいことなのかな。
あたし、辛いよ。
助けて神様。
巫女が舞う。
神楽舞だ。神楽鈴を鳴らしながら湖畔の小さな島で演舞する。
舞う。
舞う。
舞う。
こんなことをしても彼は成仏できない。
彼の気持ちの整理がつかない限りは。
そして彼がこのままとどまり続ければ、悪霊となり人々を襲うやもしれない。
あたしは彼のそんな姿を見たくない。
誰よりも平穏を望み、誰よりも平和を誓った彼を。
そんな彼の心が壊れてしまう前に、あたしは彼を成仏させたい。
でも本当にそれでいいの?
彼と一緒にいたい。その時間が欲しい。
そう思っているのは楓ちゃんだけではない。
あたしだってそうだ。
だからこそ、あたしは動かなくちゃいけない。
彼のために彼女を利用してでも。
空君の背中に黒いもやが見える。
四の五の言ってられない。
彼はもうじき悪霊になってしまうのだから。
この世界に絶望と混乱をもたらす悪霊に。
そうであっては欲しくないとあたしも思うから。
だから変える。
たとえ小さな力であっても。
あたしは一番汚い手を使うことにした。
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