⑥ 奇跡にサヨウナラ

つい数日前に会った人がテレビに映っているというのは、なんとも不思議な感じだ。


『さあ、残り二周。ここでジャスミン大学の神宮寺エリカが、ロングスパートで後続を引き離しにかかります! プロリーグ勢はこの抜け出しについていけないのか!』


六月最終週の夜。アイリス駅伝部のメンバーは皆、寮のリビングのテレビの前に張り付いていた。そして、楓は目撃者となる。


日本のナンバーワンを決める日本選手権。


5000メートルに出場したエリカさんが、夏の暑さをものともせず、14分48秒29の驚異的なタイムで、並みいるプロ選手たちを抑えて優勝してしまったのだ。


(私、こんな選手と走っていたんだ……)


テレビの向こうで光り輝く姿を見ながら、己のあまりの無知さに恥ずかしくなった。


『放送席、そして会場の皆さんお待たせしました。見事初優勝。実に十二年ぶりに「学生」の日本チャンピオンが誕生しました。神宮寺エリカ選手です。おめでとうございます』

「ありがとうございます」


会場全体が拍手と歓声に包まれる。スタジアムのライトが照りつけ、エリカさんの頬に流れる汗をきらめかせている。鼓動が速くなる。顔が熱い。


急に遠い存在になってしまったように感じる。元から楓の近くになどいなかったのに。素直に祝福できない自分が、嫌になる。


ありえないことだけれど、もし今、「栗原楓さんってご存知ですか」と質問されたとしても、エリカさんは目を丸くしてキョトンとするような気がした。


『率直に、今の心境をお聞かせください』

「はい。思った以上に身体も動いてくれて、念願だった日本一を掴み取ることができました」


嬉しい表情はしているが、白い歯は見せていない。楓にしてみれば、どこかよそ行きのエリカさんである。


でも、どうしてなのだろう。熱狂の渦の真ん中にいながら、その瞳はさっきから、どこか遠くを眼差まなざしているように見えるのだ。


『今季の目標、ぜひ教えてください』

「はい。この夏はアメリカに拠点を置いてトレーニングを積み、現地の試合にも出場予定です」


(アメリカ。やっぱり……)


先日の伊織ちゃんの言っていたことが脳裏をよぎる。エリカさんは本当に、行ってしまう。


「それから秋には、みなと駅伝の5区を走って、キャプテンとしてチームを優勝に導きたいと思います」


(……5区)


楓がなぜエリカさんに対して、これほどまでに強い憧れを抱くのか。繰り返し考えるうちに、最近になってようやく言語化できるようになってきていた。


大きい選手たちの中でも、経験値が上回るプロ選手たちに紛れても、ひときわ光を放つ凛々しい走り。


その堂々たる姿は、まさに楓が描く理想の自分そのものだった。


エリカさんは、逃げも隠れもしない。だからこそ眩しすぎて、見る者の心を焼いてしまう。


(怖い。でも、私は……)


あの宝物のような時間の残像を、もう消すことができない。ほんの一瞬。けれど、楓の世界をすっかり変えてしまうには、それで十分だった。


(このままでいいの?)


——楓、あなたが精霊石にこめた願いは何?


強い人になること。


あの走りは、きっと自分のものじゃなかった。弱さを認めて、信じたい気持ちを一度手放そう。


シルフィードが引き出した一瞬の奇跡に、すがっていてはいけない。その代わり、いつか必ず取り戻す。


(私は、変わりたいの)


足の軌道。力の抜け方。世界がスローモーションになった数秒間。楓はまだあの感覚を覚えている。


ボロボロになってもいい。一秒でも長く、あの人の隣で走らなきゃ。


(憧れだけじゃ、ダメなんだ!)


それは、かつて敗北の中で反響していたはずの言葉だった。エリカさんは待ってなどくれない。早くしないと、どんどん置いていかれてしまう。


みなと駅伝の5区。


そこがどんな場所かなんて、何も知らなかった。


もう一度。今度は自分の力で、エリカさんの隣に並ぶんだ。




【第3話 大胆なリベンジ】おわり




*** 読者の皆さまへ ***


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


本作『天使の隣 ~駅伝むすめバンビ~』は、駅伝を題材にしながらも、あくまで「心の成長」と「心理的安全性」という現代的テーマを軸にストーリーが進んでいきます。


2025年6月現在、未公開の章を含めおよそ25万字に達しています。本稿(カクヨム公開分)は、そのうちのおよそ44,000字。テレビアニメで言えば、ちょうど導入3話分に相当する構成となっております。


スポーツに馴染みのない方でも楽しめるよう、専門的な記述はなるべく抑え、登場人物たちの心の揺らぎや人間関係の機微に焦点を当ててきました。特に、若い世代や女性の方が「自分事」として心を重ねられる作品を目指しております。


もし続編をご覧いただける機会がありましたら、応援していただけると嬉しく思います。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


筆者・鉄紺忍者




※ 編集ご担当者さまへ


お忙しいところ恐れ入ります。


本稿は、導入にあたる三話分(約44,000字)のみを抜粋掲載しておりますが、全体としては長編シリーズとして構成しており、現在すでに約25万字分の原稿を準備しております。

(夏合宿〜みなと駅伝本戦まで、全7区間のレースを含む構成です)


もしご関心をお持ちいただけましたら、ご一報いただけますと幸いです。


何卒よろしくお願い申し上げます。


筆者・鉄紺忍者

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天使の隣 〜駅伝むすめバンビ〜 @tetsukon_ninja

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