第2話

 スピーカーの音が再び響き渡った。


「きょーも元気に……」


 一拍の間が空いた。

 そして。


「死にましょうっ♪」


 ——死にましょう?


 その言葉が耳に届いた瞬間、由紀子の全身から血の気が一気に引いていった。


 心臓が氷の中に閉じ込められたかのような冷たさが、背骨を這い昇った。


 それは「冗談」ではなかった。

 それは「演出」でもなかった。


 音の奥に滲んでいたものは命令だった。

 疑いようのない、明確な「命令」。


 次の瞬間だった。

 生徒たちが一斉に、異様な速度で教室を飛び出していった。


 その動きは、もはや「走る」という生物的なものではなかった。


 跳ね飛ぶように、滑るように、床を蹴り飛ばしながら教室の扉へと殺到していく。


 机や椅子を薙ぎ倒す音が炸裂し、狂気の嵐が教室内を駆け抜けた。


「あははははははははははは!」


 叫びとともに、生徒たちは狂った笑い声をあげながら、廊下へと雪崩れ出ていった。


 その声は甲高く、異様な興奮に満ちていた。


 それは「喜び」の声ではない。

 破滅へと身を投じる歓喜だった。


 由紀子は、ただその場に凍りついたまま、乾いた喉で息を飲んだ。


 ——何が始まったのか。


 理解するには、まだ一瞬の時間が必要だった。


 だが、ひとつだけ確かに分かっていた。

 この「狂気」は、もう手の届かないところまで進行しているのだ。


 全員が——。

 不自然なまでに甲高い笑い声を撒き散らしながら、廊下へと雪崩れ出ていった。


 理性の一片も宿さぬ、空洞の歓喜。


 狂気という名の濁流が、教室という枷を打ち破り、外へと奔り出ていった。


 教師もまた、何の疑念も浮かべぬまま、満面の笑顔を貼り付けたまま駆けていく。


 歯を剥き出しにしたその顔は、もはや人間の仮面すら剥がれ落ちた、歪んだ表情の塊だった。


 狂ったような足音が、校舎中に響き渡っていた。

 やがてそれは、二年A組のみならず——。


 廊下の彼方からも、上の階からも。教員室からも。

 全校生徒が、教師全員が、狂喜乱舞しながら屋上へと向かっていた。


 その足音は異様に早く、滑るように床を駆け上がっていく。


 階段を昇る音が轟き、鉄の手すりに何度も身体が激突する鈍い衝撃音が木霊した。


 屋上、全てはそこへ収束していた。

 全校生徒が、全教員が、大声を上げ、階段を駆け上がり、みな等しく屋上へと雪崩のごとく押し寄せる。


 そしてーーーーとうとう屋上に集結する。


 雪崩のごとく扉を飛び出した人々は、皆一様に、喜色満面の笑みを浮かべて、異常な力で飛び降り防止のフェンスをよじのぼる。


 不思議な力が溢れ出ていると言うよりは、命令により無理やり体を動かされていた。


 彼ら彼女らの指は、限界と可動域を超えて折れ曲がっていた。爪が剥がれ、血が滴っても止まらない。


 そこに躊躇は無い。笑みも消えない。


 フェンスが重さで歪んでも構わず、嬉々としてのぼり、のぼり、勢いよくのぼる。


 そして1番初めに頂上に到達した女子生徒が、まるでかけっこの1番をとった子供のように、眩しい笑みを浮かべ。


 制服のスカートをひらめかせ、フェンスのてっぺんに意気揚々と立ち、大きく左手で空を指さして笑いながら叫んだ。


 空を指さしていた、指先が下を向く。


「いっけええええええ!!」

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