第32話 可愛い番犬②

ほぼ調理道具ばかりの荷物を持って生まれ育った街を出ていくときに、あのときからずっと疎遠だった幼馴染アーベルが声をかけてきた。


「あの、俺……その、ごめん!!俺、ずっと誤解していて!ひどいことを言った!ごめん!!」


久々に話しかけられたと思ったらいきなり頭を下げられてミディアはきょとんとした。


「どうしたの?アーベル」

「俺、ずっとアデルに騙されてたんだ」

「ああ……」


確かにアーベルはずっとアデルの取り巻きというか親衛隊みたいなものだった。

アデルを盲目的に信じていたというか。

アデルがミディアをひどく言うのでそれを彼も信じていたのだと思う。

アーベルは案外現実主義で、高嶺の花のアデルとどうこうなることもなく、既に結婚している。けれどアデルのためなら奥さんを置いてでも出かけてしまって仲が悪くなっていると噂では聞いていた。


それが今回の件でようやく目が覚めたと言うことなのだろう。


「………なんだこいつ」

「ひっ」


ラーダがミディアと同じくらいの年の青年に耳を逆立てて牙を向いた。ぐるぐると唸り声が聞こえる。粉屋の主人のときとは比較にならないくらいの威嚇であった。


「ラーダ落ち着いて。幼馴染よ。最後だからわざわざ話に来てくれたんだわ。ごめんね、アーベル」

「落ち着けるか。こいつは…」

「ラーダ。私は彼と話をしたいと言っているのよ。落ち着けないならあっちに行ってもらうわ」

「………うぅ」


大概のことは許すがここはピシャリと言った。

ミディアと離れるのは絶対に嫌なのだろう。ラーダはまだ唸ってはいたが、それ以上は何も言わなかった。


「あのさっ、ミディアからナヤンに言ってくれよ。俺が昔からあの性悪に騙されていたって。ナヤンのやつ、アデルに俺が貯金から金を貸していたことを知ってもう離婚だって大騒ぎしててさ」

「お金まで貸してたの?」


ナヤンはアーベルの奥さんだ。ミディアは目を丸くした。


「か、貸して……っていうか、困ってるからって頼まれてちょっと立て替えたというか……」

「ご夫婦で貯めたお金を?黙って?」

「それは……だからさ、ちゃんとあとから補填はするつもりで。そもそもアデルが何でもかんでも俺に買ってくれって言うから…」

「アーベル、それはアデルのせいじゃなくて自分が決めたことでしょう?」


人にお金を無心したアデルは良くないが、夫婦の貯金に手をつけてまで肩代わりすることを決めたのはアーベルだ。


「それは……。でもアデルがあんな嘘ばかりを言わなければ俺だって金を渡したりしなかったんだ!俺は被害者だ!なあっ、ミディアだって散々あの女に嘘の噂ばかり流されて、酷い目に遭わされてたじゃないか!それを言ってくれるだけでいいんだよ。アデルがどんなに酷いやつかって」


アーベルが必死に言い募ってくる。


それを聞いて、ミディアの胸の中で何かが凍った。

それはおそらく、少女だった頃の淡い恋心で。


もちろん、昔に信じてもらえなかったときにミディアはアーベルをひどいと思ったし裏切られた気持ちになった。

でもだからと言って何故か嫌いにまではなれなかった。いつだって見かけると誤解なのにとキュウと胸が痛くなって、なんとなくソワソワと落ち着かなかった。

どれほど大人になっても自分からは話しかけられず、でも街の若者たちの集まりがあるとなんとなく視線で追って、悪口を言われているのを確認してしまい傷ついた。

いつか、目が覚めてアデルに騙される前の仲が良かった彼に戻ってくれるんじゃないかと、一言も話さないまま、そんなありえないことを夢見ていた。


でもこの目の前で薄っぺらい言い訳を並べているアーベルに昔に戻って欲しいとはもう思わなかった。


なんでこの人は人のせいにするのだろう。

なんで自分で責任を取ろうとしないのだろう。

いい大人なのに都合のいいことだけ言うのだろう。


(………なんだ、こんな人だったのか)


親に優しくするように言われた、とは言っても実際にミディアに一番優しくしてくれたのは彼だったから目が覚めて欲しかった。


でも、たぶん、ミディアが思っていた「友達」は「初恋の人」は最初からいなかった。


寂しかったミディアが必死で縋り付き、作り上げた幻想でしかなかったんだろう。


「悪いけど、それはできないわ」

「は?なんでだよ?」

「人の悪口を言うと自分に返ってくるから。妹を悪様に語る人をナヤンは信じるとも、それで許してくれるとも思えないし」

「だって……いや、頼むよ友達だろ。まだ怒っているのか?でもあれはアデルが悪いんだ。騙されてて……ひどいこと言って悪かったよ」

「……………」

「いい加減にしろ!」

「ヒッ!!」


往生際悪く両手を顔の前で揃えて謝ってきたアーベルをラーダが一喝した。

ミディアの体が熱いほどの温もりに包まれる。

無意識のうちにほっと息が漏れた。


「ミディアが黙れと言うから黙っていたが、さっきから聞いていたらくだらないことをぐだぐだ言いやがって!ミディアを利用するな!!薄汚いニンゲンめ!殺すぞ!!」


ガルルルと、ラーダが威嚇している音が響いた。

アーベルが尻餅をついて青ざめた顔をしている。抱きしめられているから見えないが、多分怖い顔をしているのだろう。


ミディアはポンポンとラーダの肩を叩いた。


「ラーダ、殺すとか言ったらダメよ」

「………っご、ごめん。乱暴者は嫌いだよな……」


きゅぅんと今度は子犬のような哀れな声。

しょんぼしてミディアを見下ろしてくるのでヨシヨシ、とミディアは頭を撫でてあげた。


「私のために怒ってくれたのね。ありがとう。でも大丈夫」


ミディアはいつも流されてばかりで、自分の気持ちを言うのはひどく苦手だった。

でも今は真っ直ぐにアーベルを見て言い放った。

"なんでも許すミディア"じゃなくても絶対的に自分の味方でいてくれる存在が隣にいるから。


「アーベル、私にできることはないわ。都合がいい時だけ頼ってこないで。私、貴方が昔に信じてくれなかったこと、悪口を言われたこと、ずっと傷ついていたわ」

「だ、だからそれは謝って……」

「謝ればいいだなんて独りよがりね。私が貴方を許す理由なんてないわ。じゃあね。ナヤンにはきちんと自分の口で説明すべきだわ」


それでも、ピシャリと言った後にドキドキと心臓が強く跳ねていた。


そんなミディアの頭にラーダはすりすりと頬ずりしている。

まるでよくできました、とばかりに。


「帰ろう、俺たちの家に」

「うん」


迷うことなく頷き、この辛いことばかりだった街にもう未練はない、とさよならした。




蛇足であるが、アーベルがミディアの初恋のようなものだったとラーダに酔っ払って話したその少し後、アーベルは気が狂ったように怯えて外に出られなくなり、働きもしなくなった結果、離婚したらしいと風の噂で聞いた。

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