第6話 エルフの少女、ピヒラ

 俺のベッドで眠るエルフの少女は、時折うなされているようだった。


 無理もねえ。

 心も体も、深く傷ついてるんだろう。


 俺は結局、一晩中暖炉の火の番をしながら、椅子に座ったまま夜を明かした。


 朝。

 俺がいつも通りに起き出して、台所で物音を立て始めると、ベッドの上で少女の肩がびくりと震えた。


 まだ、俺を警戒している。

 当然だろう。


 俺は何も言わず、いつも通りに朝食の準備を始めた。

 昨日作ったスープの残りを、鍋でコトコトと温める。

 自分の分、クータルの分。

 それに、もう一つ。

 三人分の食器が立てる、カチャカチャという音。

 がらんどうだったこの家に、生活の音が満ちていく。

 なんだか、むず痒い気分だ。


「あーうー!」


 目を覚ましたクータルが、俺の足元で元気に声を上げる。

 俺は娘を抱き上げると、特製の離乳食をスプーンで口に運んでやった。

 その光景を、ベッドの上の少女が、毛布にくるまったまま、じっと見ていた。


 やがて、温め直したスープを木の器によそい、俺はそれを黙って少女の前に差し出した。

 少女は一瞬、ためらうように俺の顔を見た。

 だが、やがておずおずと両手を伸ばし、無言で器を受け取る。


 ふう、ふう、と息を吹きかけて冷ましながら、一口、また一口と、ゆっくりスープを飲み始めた。

 俺はそれ以上何も言わず、クータルの世話を続ける。

 会話はない。

 だけど、昨日までの張り詰めていた殺伐とした空気は、もうどこにもなかった。


◇◇◇


 食事が終わると、俺は少女の足の包帯を新しく巻き直してやった。

 幸い、化膿はしていない。

 俺の荒っぽい処置も、まあ間違いじゃなかったらしい。


「傷の具合は、どうだ?」


 俺の問いかけに、少女はこくりと小さく頷くだけ。

 まだ、自分から言葉を発するのは億劫らしい。


「そうか」


 いつまでも名前も知らねえままじゃ、何かと不便だ。

 そういや、まだ聞いてなかったな。


「なあ。あんた、名前はなんて言うんだ?」


 俺の言葉に、少女の動きがぴたりと止まった。

 唇をきつく、真一文字に結んで、俯いてしまう。


 ……まずったか。


 エルフにとって、名前は特別な意味を持つのかもしれない。

 人間に、そう易々と教えられるもんじゃない、とか。


 まあ、いいか。

 無理に聞くことでもねえ。


「悪かった。言いたくなけりゃ――」


 俺がそう言って話を切り上げようとした、その時だった。


「…………ピヒラ」


 蚊の鳴くような、か細い声。

 だが、それは確かに、少女の口から発せられた言葉だった。


「え?」


「……ピヒラ。それが、私の名前」


 顔を上げた彼女――ピヒラは、じっと俺の目を見て、もう一度、そう言った。


「そうか。ピヒラ、か。いい名前だな」


 俺は照れ隠しのようにぶっきらぼうにそう言うと、少しだけ笑った。


 ピヒラは、驚いたように少しだけ目を見開いて、そして、またすぐに俯いてしまった。

 だが、その耳が、ほんのりと赤く染まっていた。


◇◇◇


 その日の夕食は、少しだけ奮発することにした。

 奮発といっても、干し肉をいつもより多めに使うだけだが。

 コトコトと煮込んだ、具沢山のシチュー。

 俺の自慢料理の一つだ。


 小さな木のテーブルを、三人で囲む。

 俺の正面に、ピヒラ。

 俺の隣には、子供用の椅子に座ったクータル。


「ぱぱ、んま!」


「こら、クータル。こぼすなよ」


 クータルが、きゃっきゃと笑いながらスプーンを振り回し、シチューをテーブルに飛ばす。


 カチャリ。

 ピヒラが、恐る恐るスプーンを器に当てる音。


 ひとりで食事をしていた時には、決して存在しなかった「生活音」。

 騒がしくて、手がかかって、どうしようもなく、温かい音。


 そんな何でもない音を聞きながら、俺は、ふと遠い昔を思い出していた。


 ――リーダーが豪快に肉を焼き、仲間が呆れたようにため息をつく。

 ――酒を回し飲みして、みんなで笑い合った。


 『太陽の槍(ソル・ランツェ)』。


 若き日の俺が全てを捧げたパーティ。

 いつも騒がしくて、馬鹿みたいに明るかった、焚き火を囲んでの食事。

 あの光景は、俺のミスであの日、永遠に失われた。


 もう二度と、あんな温かい食卓を囲むことなんてない。

 そう思って、生きてきた。


 だが、どうだ。

 目の前には、無邪気に笑う銀髪の娘がいる。

 おずおずとシチューを口に運ぶ、翡翠色の瞳のエルフの少女がいる。


 寄せ集めで、不格好で、お互いのことなんて何も知らない。

 それでも、これは確かに「家族」の食卓だった。


 じわり、と目の奥が熱くなる。

 やべえ、涙腺が緩んできやがった。

 歳は取りたくねえもんだ。


「……おい」


 こみ上げてくる熱いものを誤魔化すように、俺はピヒラに声をかける。


「おかわりは、いるか?」


 俺のぶっきらぼうな問いかけに、ピヒラは一瞬きょとんとした顔をした。

 そして、空になった自分の器を見つめると、


 こくり。


 静かに、だがはっきりと、頷いた。

 その頬が、ほんのりとシチューの湯気で上気している。


 俺は「おう」と短く返事をして、鍋を手に取った。

 柄にもなく、口元が緩んでしまうのを止められなかった。


◇◇◇


 それから数日。

 ピヒラの足の傷は、驚くべき速さで回復していった。

 エルフの治癒力ってのは大したもんだ。

 まだ少し足を引きずってはいるが、家の中を歩き回るくらいはできるようになった。


 そうなると、現実的な問題が顔を出す。

 食費だ。

 俺とクータルだけでもカツカツだったのに、育ち盛りがもう一人増えたんだ。

 戸棚の食料が、見る見るうちに減っていく。


「ピヒラ、少し出かけてくる。戸締りはしっかりな」


「……うん」


 俺はクータルを特製の背負い籠に入れ、腰に剣を差した。

 稼がねば、始まらない。


 久しぶりに訪れたギルドの中は、相変わらず騒々しかった。

 そして、俺が扉を開けた瞬間、いくつかの視線が突き刺さるのを感じる。


「おい、ダンスタンだぜ」

「赤ん坊だけじゃなく、今度はエルフのガキまで拾ったって本当かよ」

「物好きにも程があるだろ……」


 ああ、やっぱりか。

 噂ってのは、本当に広まるのが早い。


 俺はそんな声を背中で聞き流し、依頼掲示板へとまっすぐ向かう。

 できるだけ安全で、割のいい依頼は……。


 依頼を探すふりをしながら、俺は耳を澄ませ、周囲の会話に意識を集中させる。

 情報収集も、冒険者の重要なスキルの一つだ。


 その時だった。

 酒場で盛り上がっているベテラン冒険者たちの会話から、聞き捨てならない単語が耳に飛び込んできた。


「おい、聞いたか? 奴隷商の連中、どうやらこの辺りに拠点を移して、本格的に『狩り』を始めたらしいぞ」

「ああ。狙いはエルフや獣人みたいな希少種だ。数日前には、市場で売られていた猫の獣人の子が、大暴れして逃げたって騒ぎがあったばかりだ。連中、血眼になって捜してるだろうな」


 奴隷商。


 その言葉が、俺の胸に氷の杭のように突き刺さった。


 ――ピヒラの、人間に対する異常なまでの憎悪と恐怖。

 ――森の奥で、猟師の罠にかかっていた不自然さ。


 まさか。

 嫌な想像が、頭の中で最悪の形を結んでいく。


 ピヒラは、もしかして。

 そいつらから、逃げてきたんじゃ……。


 俺の背筋を、ぞくりと冷たい汗が伝った。


――――――――――――――――――

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