第1章 

第1話 はじまりの木



ここに来て、誰でもない“君”に話しかけるようになったのは、いつからだったろう。

僕の拠り所は、確かに君だった。

あの日から、僕の時間が始まったんだ。



---僕はただの高校生だ。

特別に優れてもいないし、特別に駄目でもない。

長所と言える所も、短所と言える所もそれほど特異でもない。

ただ一つだけ上げるなら少しばかり見た目がいいらしい。本当にそれだけの普通の高校生だ。

 


いつからだろう。僕がこの場所に通うようになったのは。


顔はもう朧げな父のせいだ。

忘れたくても、忘れきれないものが、確かにそこにあった。


思えばあの日から僕の人生はグチャグチャになった。


穏やかだった母も、仕事に追われて。

最近では顔すら合わせる事もなくなった。声なんて二ヶ月は聞いてない。


学校でも上手くいかなくなった。

かつての友人も僕に気を使うようなって、それならいっそ僕を知らない、自宅から離れた高校へ行ってみたけどそれでもダメだった。


僕はあまり人付き合いには向かないみたいだ。

そんな上手くいかない、面白味もない毎日を淡々とこなしている、顔だけはちょっといい高校生。それが僕だ。


なんのために生きているのかわからない。なんて月並みな悩みを持ってるくらいには普通で。

ただ少しだけ、同情される過去があるくらいだ。

 

--それでも。

この世界は、生きていかなきゃいけないらしい。



帰り道。僕は、夕方になるとあの神社へ通っていた。


 


町外れの山の中。

人の気配はなく、木々と風と、鳥の声しかしない場所。

神社というより、ほとんど祠に近い。石段も崩れかけていて、地図にも載っていないような場所だ。


その境内の奥、ひときわ大きな一本の木が立っている。

苔むして、ところどころ幹が割れていて、きっと百年以上生きている木だ。


僕はその木の前に立ち、手を合わせるわけでもなく、ぽつりと話しかける。


「今日も……何もなかったよ。いや、数学のテスト返ってきたけど、平均以下だった。……笑うなよ」


木なんだから、もちろん答えない。

それでも、誰かに言葉を向けるだけで、少しだけ気が楽になる。


「母さん…最近いい人がいるみたいで、あんまり帰ってこないんだ。

まぁ、帰ってきても気まずいだけか…」


葉が、さらりと頬を撫でる。

心なしか僕を慰めている様な葉の動きに少し笑みが溢れる。


「なぁ。聞いてるかどうかなんて、別にどうでもいいんだけど。ただ……」


言いかけて、ふと笑う。

いつからだろう。木と喋ることが、日課になっていたのは。


神様なんて本気で信じてるわけじゃない。

でも、もしいるとしたら--

この木だけは、僕の話を、黙って聞いてくれてる気がした。


 


その日も、いつものように木の根元に腰を下ろそうとした時だった。


 ふわ、と風が吹いた。


 ---風の匂いが、違う。


 湿った空気。春先の花のような甘い香り。

 でも、ここは山の中。花も咲いていない。


「……なんだ?」


 不思議に思って木に触れた、その時--


 視界が、歪んだ。


 足元がぐらりと崩れ、木の根元が光に包まれる。

 頭がぼうっとして、身体が浮かぶような感覚。


「……っ、まって、なにこれ…!」


 叫ぶ暇もなく、光が僕を包んだ。


 

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