第8話 祝賀会の始まり

王都の夜はまるで昼間のような輝きに満ちていた。


家々の窓辺にはランタンが灯され、大通りは衛兵たちの掲げる松明の列で煌々と照らされている。

僕が潜む木賃宿の汚れた窓ガラス越しにですら、街全体が興奮と祝祭の熱気に浮かされているのが手に取るように分かった。


人々は皆、英雄たちの名を口々に叫び、彼らの武勇伝を語り合っている。

子供たちは勇者ごっこに興じ、木の枝を聖剣に見立てて振り回していた。

その光景は一見すれば平和で幸福に満ちている。

だが僕の目にはその全てが愚かで滑稽な茶番劇にしか映らなかった。


お前たちが称賛している英雄は仲間を平気で見捨てる卑劣な男だ。

お前たちが憧れる賢者は自分より劣る者を見下し、その尊厳を踏みにじることを喜びとする傲慢な女だ。

お前たちが祈りを捧げる聖女は慈愛の仮面の下に、他人の不幸を蜜の味とする醜い心を隠し持っている。


その真実を誰も知らない。

だから僕が教えてやる。

お前たちの信じる光がどれほど脆く醜いものだったのかを。


日が完全に落ち、王城の鐘が祝賀会の始まりを告げた。

その音を合図に僕は静かに立ち上がる。

フードを目深に被り、僕は裏路地の闇から闇へと音もなく移動を開始した。

僕の目的地は王城の裏手、厨房へと続く搬入口だ。

ヤミガラスの偵察によれば、祝賀会のための大量の食材や酒を運び込むため、その周辺は人の出入りが激しく警備も手薄になっている。


予想通り厨房口は戦場のような喧騒に包まれていた。

コックたちの怒声、食器のぶつかる音、食材の匂い。

僕は空になった酒樽を運ぶ業者の一団に紛れ込み、誰にも気づかれることなく王城の内部へと潜入することに成功した。


城の中は迷宮とはまた違う複雑な構造をしていた。

だが僕の頭の中にはヤミガラスがもたらした完璧な地図がインプットされている。

僕は使用人たちの通路を使い人目を避けながら祝賀会が開かれている大広間を目指した。

途中何度か衛兵の巡回と鉢合わせそうになったが、そのたびに僕は物陰に潜む。

僕の気配を彼らが感知することはなかった。

奈落の底でモンスターの気配を殺す術は嫌というほど身につけてきたのだから。


やがて僕は目的の場所へとたどり着いた。

大広間を見下ろすことができる二階の小さなバルコニー。

ここは楽団が休憩するために使われる場所で今は誰もいない。

僕は大理石の柱の影に身を潜め眼下に広がる光景を見下ろした。


そこはまさに光の世界だった。

天井の巨大なシャンデリアが金色の光を振りまき、着飾った貴族たちの宝石やドレスをきらびやかに照らし出している。

テーブルには見たこともないような豪華な料理が並び、楽団が優雅な音楽を奏でていた。

誰もが笑顔で誰もが幸福そうにこの栄光の夜を楽しんでいる。


そしてその中心に奴らがいた。

アレク、リリア、セラ。

国王の隣に立ち得意げな顔で貴族たちの賞賛を浴びている。


「勇者アレク殿の武勇、まことに見事であった! この国の誇りじゃ!」

肥え太った国王がしわがれた声でアレクを称える。

アレクはわざとらしく謙遜してみせた。

「いえ、陛下。

これも全て、頼れる仲間と、神のご加護があったからこそです」


その言葉に僕の口元が皮肉に歪んだ。

仲間?

どの口が言うんだ。

お前が切り捨てた「仲間」の一人が今この場所でお前の姿を見ているとも知らずに。


リリアは退屈そうにしかしその実、周囲の貴婦人たちの羨望の眼差しを楽しんでいるようだった。

セラは完璧な聖女の笑みを浮かべ子供たちに祝福を与えている。

その偽善に満ちた姿に僕は吐き気を覚えた。


僕はバルコニーの隅にある小さな扉を開けた。

そこは城の換気システムへと続くメンテナンス用の通路だ。

ヤミガラスの偵察通り、ここからなら大広間全体の空調を管理する中央ダクトへとアクセスできる。


僕は埃っぽい通路を進み、やがてごうごうと音を立てて空気が流れる巨大なダクトの前に立った。

ここから僕の「贈り物」を流し込めば、それは大広間の隅々まで均等にそして確実に行き渡るだろう。


僕はポーチからバジリスクの骨で作った筒を取り出した。

中には僕の憎悪と奈落の植物たちが生み出した三人のための特別な呪いの粉末が入っている。


僕はダクトの点検口を開け筒を構えた。

眼下では祝宴が最高潮に達しようとしている。

国王が高らかに褒賞の授与を宣言した。

アレクたちが誇らしげに一歩前へ進み出る。

民衆の割れんばかりの歓声。


その音を僕は僕の復讐の始まりを告げるファンファーレとして聞いた。


「さあ、始めようか」


僕は誰に言うでもなく呟き骨の筒を逆さにした。

サラサラとほとんど目に見えないほどの微細な黒い粉末が闇の中へと舞い落ちる。

それは大広間の喧騒へと向かう空気の流れに乗りあっという間に見えなくなった。


僕の呪いは放たれた。


あとは効き目が出るのを待つだけだ。

僕は静かに点検口を閉じると再び柱の影へと戻り眼下の光景を見つめた。


これから何が起こるのか。

英雄たちの栄光の夜がどんな悪夢に変わるのか。

僕はその一部始終を特等席で見届けてやる。


闇に染まった僕の心はこれから始まる惨劇への期待に静かに、そして激しく高鳴っていた。

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