青き光の消えぬ間に
甘乃夏目
青き光の消えぬ間に
遥かなる星々の海を越えてやって来た存在──シエル。
それは、人類がかつて経験したことのない異質な光──理論では説明のつかない生命体だった。
世界が崩壊の淵に立たされた二十数年前、この星はもはや生存可能な環境とは呼べなかった。
大気の質は失われ、海は酸性化し、文明は壊死するように崩れていった。
人類は、ただ静かに死に向かって歩いていた。
その絶望の最中、突如として現れたのが一人の男──オーグスト
彼の演説は、崩壊寸前の国家群を統合させるほどの力を持っていた。
かくして生まれたのが、人類統合政府。彼はその初代地球大統領となり、
数少ない知的エリートを側近に据えて復興政策を打ち出していく。
その中に、当時無名の若き研究者だったノーベンバー博士がいた。
彼女は気づいていなかった──既に自分たちが"最初の共生体"となっていたことに。
「……気づいたのは、すべてが落ち着いてからよ」
薄暗い研究所の片隅、ノーベンバーは使い古された白衣の袖でカップを拭いながら独りごちた。
「彼らは、最初から人類を『宿主』としていた。
私たちは、それに気づかなかっただけ……」
今や再建されたメガロポリスの中心にそびえる統合政府庁舎──
その地下にある極秘ラボで、彼女は今もなおシエルの研究を続けている。
彼女とともに始まりを知る者たちは次々と姿を消した。
事故、病、あるいは自死。彼らの末路は、常に不可解だった。
ただ一人、政治の表舞台に残り続けるオーグストとラボに
「シエルは、いったい何者なの? どこから来てどこへ向かうの? それともここが彼らの終着地なの?」
モニターに映るのは、地球軌道上に漂う無数の青く輝く発光体。
それらは言語も、形状も、人類の概念から逸脱した存在──それがシエル。
「彼らは何故私たちを助けてくれるの? 『共生』と呼ぶには、あまりにも一方的すぎる『寄生』とも思える強制的な『融合』は……?」
****
一方、物語は遥か遠い農村へ。
ジョルジュ爺は、トマト畑を家族で切り盛りしながら生活をして来た。
寄る年波には勝てず、腰をさすりつつ畑を耕す毎日を送っている。
三世代家族とトマト畑に囲まれて、静かに余生を送る平凡な男である。
流星群が夜の空を蒼色に染めた日の朝、医師たちに見放されていた孫娘エリナが自分の脚で立ち上がった。歩行機能は失われ、回復の見込みはないと診断されていた孫娘が。
だが──奇跡は起きた。
「おじいちゃん」
振り向いたジョルジュが見たのは、まさしく『奇跡』だった。
ジョルジュは知る由も無かったが、孫娘エリナはシエルとの『共生』により、神経回路が再生したのだ。
ジョルジュはエリナを抱きしめ朝露に濡れた畑で、空に向かって神への感謝を捧げる。
「……ありがとう神様。もう……これだけでわしは充分じゃ……」
****
人類統合政府首都・メガロポリス。
超高層の統合庁舎。その最上階から見下ろす景色は、かつて荒廃した景色を一変させた都市の復活の象徴。そしてそれを指揮したのがオーグストその人だった。
再建された都市は、まるで意志を持つ生命のように脈打っている。
高効率のエネルギー循環網、空を無音で翔ける輸送機、そして何より再び芽吹いた緑。
地球復興の指揮の中心に立つ男――オーグスト
白銀に整えられた義肢と、深紅のマント。鋼の眼差しは、群衆の魂すら射抜くように鋭い光を放っていた。
「……蒼い光に触れてから物事は面白いように進んだ……有能なメンバーが集い、各地の指導者が復興計画にこぞって協力してくれた、そのお陰でも有るのだ。こうして復興が成ったのはあの光の力なのか……」
そう独白して首を振る。
カメラ越しに響く演説リハーサル音声。その表情には、感情の揺らぎは一切ない。
「荒廃した地球を復興させたのは我々だ。皆が心を合わせ目標を定め成し遂げた結果が現在だ。地球は我々人類の掌中にある!」
その声は、揺るがぬ意思を宿し、鉄のように堅く冷たい。その演説に呼応して民衆が初代大統領を讃える歓声を巻き起こしその熱気が会場を揺らした。
側近がその光景を満足気に見つめる。
(英雄はひとりで良い。人々の憧憬はひとつに纏まらなければならない……例え、それが犠牲を伴うとしても……)
オーグストの視線が壁際のホログラフへと流れる。
かつて共に地球再建に尽力した者たちと共に撮った写真――だがそのほとんどの仲間は、今や“失踪”のラベルが貼られていた。
誰も、その理由を聞かない、そして語らない。
オーグストの手が、そっと操作パネルのスイッチに触れる。
暗転した部屋の中、彼の背後に広がる都市の灯が、どこか不気味に煌めいた。
****
軌道上。
地球を周回する低軌道。――そこに浮かぶのは、無数の青い光の粒。
告:コノ星ノ人類ハ 強固ナ”意思”ヲ 持ってイル
応:余りニ 強固ナ”意思”ハ 我々ノ”群体”ニ 危険ヲ
告:即刻ノ 対応ヲ サレタシ
応:再調査 ノ 要ヲ
群体の一部から、光の帯が地球大気圏へ滑り落ちる。地球人類を見定めるために。
****
同時刻。
控え室のモニター越しにオーグストの演説を見つめていたノーベンバー博士は、静かに息を吐いた。
「寄生とか共生とか……そんな事どうでも良い。本質が見えてないのよ、あなたは!」爪を嚙み悔しさが滲む。「私たちはもう彼らと融合しなきゃこの先を未来を歩めない……何故……それが判らないの!!」
地球再興に尽力した仲間達は皆不自然な失踪を遂げた。
私はラボに籠っていたから……助かった?生きてまだ何かをしなさいって託されたの?
そう思って前を向いて歩くしかないよね……融合する事で未来への扉を開く。恐らく彼女こそが本質を見抜いていた唯一の存在。だがその声がオーグストに届くのはシエルが旅立った後になるのだった。
****
ジョルジュの村に、珍しい来客があった。
ノーベンバー博士が各メディアに送った文書を受け取って、唯一動いた地方ジャーナリスト、セイラ・ユウだ。
”共生と寄生?この現象は融合そのもの”
不思議なメッセージには蒼い光が揺らめき動いて人に吸い込まれるシーンが映っていた。別の動画には人に吸い込まれて擦り抜けるシーンが。
融合?寄生?共生? なんか面白そう そんな軽い動機だった。
「……ほんとに、ここですか? 地図が狂ってるんじゃないかって思いましたよ」
若い女性が、靴の泥を落としながら玄関先で苦笑する。
「ほう、よぉ来たの。まあ、狭いが上がっていきなされ」
ジョルジュが出すお茶は、畑のミントで煮出したもの。 セイラは鼻をくすぐられる香りに一瞬目を細めたが、すぐに顔を戻す。
「元気なお孫さんですね?」
広い庭を騒がしく駆け回る女の子を見ながら、そう問いかける。何気ない社交辞令のつもりだった。だが、ジョルジュの返事は彼女の想像を軽く越えて来たのだった。
「ふふふ…」孫娘エリナの話を振られて相好を崩したジョルジュの口は軽かった。
「えぇ?医者たちに見放されてたんですか?もう歩ける可能性は無いって?」そんなまさか…? 思わず息を呑むセイラは、目の前で飛び回る女の子を目の前にしても簡単には信じられなかった。
「青い流星が降った翌朝……立てなかった子供が立ち上がった。でも、それが真実なんですね……」
エリナを抱きしめ、天空に向かって神への感謝を紡ぐその口元は喜びに満ち、涙が頬を伝う「孫が……笑っとる。それだけで神さまぁ……ありがでぇありがでぇ」
その後、各地を飛び回ったセイラの取材活動で、同様の案件が世界の随所で見られた事が判明する。
****
統合政府の首都。地下ラボ。
ノーベンバー博士がヘルメット型端末を被る。光が明滅して次第に無我の境地に陥る。
彼女は思い出す。
自らに宿る“個体”が、初めて語りかけてきた日のことを。
「ワタシ達ハ キミ達ニ 融合スル。キミ達カラ 供給ヲ受ケル。代ワリニ 望ミヲ 叶エヨウ」
──シエルは 宿主から何かを得る。その代わりに宿主の望みを叶える。それは恩恵と言われた。私たちは願った、地球の再興と繁栄を。恩恵として──
その結果が、現在――いま――なのだ。
****
破滅的な状況から人々は立ち上がり、なんとか現在の復興――最盛期には比べるべくも無いが――を遂げた。確かにオーグスト達の活躍は突出していたし、それに呼応し再生に尽力した人々もまた、もてる限りの力を尽くしたその結果だった。
だが彼らは知らない。その陰に遥か彼方から宿主を求めて飛来した超生命体シエル群体の支えが有った事を……。
唯一、それを知ったのは地球復興が形を成して後の話。
ノーベンバー博士と融合していた個体が交信に応じたのが切っ掛けだった。
彼らは己のことを「シエル群体」、こうして人と融合した個体を単に「シエル」と称した。
融合の兆候は復興が顕著になった時期と重なるようにあちらこちらで確かに起こっていたのだ。奇跡は地球規模で爆発的に起こっていたが、その奇跡は復興に全精力を注ぎ込んでいたオーグスト達から認識される事は無かった。
それから”シエル群体”の本体が現れ世界の空を蒼く染めた。
本格的に”シエル”が融合を始めたのだ。そうしてようやく”奇跡”はオーグスト達、上層部も知る事になったのだ。
人々の反応は様々だった。融合を寄生として嫌う者。融合を共生として甘受する者。そして、融合を神の奇跡として歓迎する者。
****
”シエル群体”は混乱していた。
群体であり個である”シエル”は、全体で思考し全体で行動し全体で結論を出す。それは唯一無二の結果であり、”個のシエル”の思考はそこには入って来ない。
究極の全体主義の生命体?なのだ。それが地球人との融合で壊れかけている。
それは”シエル”にとっては全体主義の崩壊=生命の危険となる兆候なのだ。
融合した個体は人の自我に取り込まれ”シエル群体”との交信が弱まり弱体化して融合した人間に取り込まれ、消滅する融合個体も現れ始めた。また、融合しても融合された認識の低い人間に融合した融合個体”シエル”は認識されないまま置き去りにされてしまったりもした。その場合は本来得られるはずの恩恵も無いのだが。そして、ジョルジュ爺の孫娘エリナに宿った融合個体”シエル”のように融合した人間と深く繋がる者など、その融合もさまざまに分岐して行った。
それは、群れであり個である”シエル群体”には理解出来ない。『恐怖』。その感情に最も近いとされる反応が群体の内側で観測された。
そして――彼らは決断した。
”シエル”は焦っていた。だから、ノーベンバー博士とのコンタクトを選んだのだ。この地球を離れる。その決断を知らせる事を選んだのは、博士との融合個体”シエル”の「感謝」だったのかも知れない。
****
統合政府本部。深夜の会議室にふたつの影が有った。オーグスト初代地球連邦大統領とノーベンバー博士。共に地球復興に尽力した仲間だった。……今はもう二人だけになってしまったが……
ノーベンバー博士の声が二人だけの空間に冷たく響く。
「それが現実です」
「我々の成果が
オーグストの声は震えていた。薄々は気が付いていた。知らぬふりをしていたのだ。
ノーベンバー博士は静かに頷く。そして言葉を繋ぐ‥‥
「彼ら(シエル)はこの地球を離れる決断をしました。もう間もなく彼ら(シエル)はこの地球から去るでしょう」
「だから?どうだと言うんだ!」”ドォォン”拳で机を殴る。オーグストの顔には怒りが滲んでいた。「我々は人類の総力で復興を成し遂げたのだ。決してあいつらの力じゃない!!」
――その刹那、二人の身体から蒼い光が抜け出して壁をすり抜けて消えてしまった――
その瞬間、猛烈な脱力感がふたりの身体を包み込む。思わず喘いだ。
「こ、これは……?」
「これほどに私は彼らに支えられていたのか?」
それまで、ふたりに満ちていた気力は減衰し、心なしか身体も張りを失ったように感じる。
ノーベンバー博士は力なく呟いた
「これが……シエルの恩恵の副作用なの……?」
オーグストは呻る
「ならば……奇跡を得た者達は……?」
――人々には見えない――
その日、世界のあちこちから蒼い光の筋が地上から飛び立ち、
シエル群体は地球の遥か彼方へ去ったが、僅かながらに融合から離れられなかった個体も居た。しかし、群体とのネットワークが途絶えた彼らには緩慢な自壊が残されるのみだった。
シエル群体が地球を離れてから、わずか十日。
恩恵を受けていた者たちの身体は、融合前の不具合が発現したのだ。――以前に戻ってしまったのだ――
否、一度得た恩恵の喜びを知った彼らは、以前にもまして深い絶望感の中に突き落とされてしまったのだ。
ジョルジュの村でも、例外ではなかった。
ジョルジュ爺の孫娘エリナに融合したシエルは残る事を選んだが、シエル群体が去って10日程で自壊してしまった。
ある日、庭で楽しそうにはしゃいでいたエリナが、突然倒れた。孫娘は自力で立てなくなっていたのだ。そんな光景は恩恵を受けて居た人々すべてに平等に訪れた。――無慈悲に――
エリナを抱きかかえたジョルジュ爺は、その日初めて神を呪った。
ジョルジュ爺の孫娘エリナは唇を噛み、悔し涙に頬を濡らす爺の頭を優しくなでる。
「ダメだよ。そんな事を言っちゃ私は楽しかった嬉しかったよ?」「大好きなおじいちゃんが喜んでくれて……嬉しかったよ……」エリナの目も涙で溢れていた。……そうしてどこまでも続くトマト畑に二人の嗚咽が風に乗って隅々まで染み渡って……やがて消えた……
その日、オーグストは気力を振り絞って登壇し民衆に檄を飛ばしていた。「これまでの復興は光の恩恵だったのかも知れない。だが、成し遂げたのは我々である!」「彼らが去った今、我々は己の足で未来を切り開いていかなければならない。そして我々にはそれが成せる筈だ!!」
オーグストの支援者が歓声を上げる
『オーグスト』『オーグスト!』『オーグスト!!』
彼のカリスマ性だけは本物だったらしい。
****
ノーベンバー博士は、オーグストに酔い痴れる観衆をモニター越しに見ながらふと思う……
彼らにとっての”シエル”は
人に捕らわれたシエルは何故自壊したのか?群れから切り離された個体は、進化システムの維持ができないのかも知れない……だけど、今更こんな考察は意味が無いな……
静かに椅子に深く座り直すと、セイラの送ってくれた紅茶をクィと飲み干す。
「私たち人類は自分たちの脚で歩みを進めるほか無い……あの青き光が消えぬ間に我々は決めなければならなかった……」
フッとなぜか笑みがこぼれたが、それがどんな感情から来るのか彼女にもわからなかった……。
そうしてラボの灯りは消え、暗闇と紅茶の残り香だけが残った。
完
青き光の消えぬ間に 甘乃夏目 @nekodake774
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