異世界に旅立った日

リンゴの騎士

異世界へ


「……はい、その時はよろしくお願いします」



担当してくれた人に挨拶すると、俺は立ち並ぶオフィスビルの一つから外へと出てきた。以前に調べたインターンを受け入れてくれる所の候補の一つだ。



近くにあった自販機でペットボトルの飲料を買った後、俺は次に行くべきインターンのリストをスマホで見ながら開催日を確認していく……今日明日は無いようだ。


俺はスマホをビジネスバッグにしまって、近くの公園に行った。平日の午前中ということもあって、人はほとんどいなかった。自分の地元ということもあり、懐かしさが蘇る。


俺は、近くのベンチに腰を下ろした。



「……ふー」



ビジネスバッグを横に置いて、飲料を一口飲む。知らずに乾いていた喉に、潤いがもたらされる。



「………」



ぼんやりと公園の風景を見ながら、俺は今後の予定を立てる。


本を読み漁ったり、大学の講義を覗きに行ったりして見ても良いかもしれない。



「…よし」



俺はそう考えると、ベンチから腰を上げて飲料をバッグにしまう。




「ねえ、おにいちゃ」



「…?」



ふと幼い声が下の方から聞こえた。声の高さからして女の子だろう。長い亜麻色の髪にあどけない顔、将来は美人になりそうな子だ。俺は出来るだけ頭の高さを女の子に合わせながら話を聞く。



「なんだい?」



「んーとね、ひとりでなにしてう(る)の?」



「休憩してたところ」



「くぅ(きゅう)けー?」



女の子はかわいらしく首をかしげる。



「一休みしてたってこと」



「ふーん」



女の子は分ったような分かっていないかのような顔をした…どっちなんだよ。



「こえから、なにすう(る)の?」



「お家に帰るんだよ」



「ナナも!!」



女の子は元気いっぱいに答える。その笑顔が眩しい。



「じゃあ、ナナちゃんも帰らなくちゃね。パパやママは何処にいるのかな?」



「パパとママおしお(ご)と!!」



俺はあたりを見渡す。この公園には俺たちしかいないようだ。



「パパとママはいつ戻ってくるのかな?」



「んとね、おつきしゃまがいう(る)とき!!」



ナナちゃんは元気いっぱいに答える。ああ…元気いっぱいでよろしい。

さて、女児一人をこのままにしておくわけにはいかない。家に帰す必要がある。



「ナナちゃんは何処から来たのかな?」



「あっち!!」



ナナちゃんが指さす方を見れば、開けっ放しになっている住宅の一つが目に映った。



「ナナちゃんのお家はあそこかな?」



俺はナナちゃんの指さす家と同じ家を指す。



「んーん」



ナナちゃんは首を横に振り、続けてこう言った。



「ここ、しあ(ら)ないとこなの」



そう言ってナナちゃんはシュンとする。



きな臭くなってきた。


俺はスマホを操作しながら、ナナちゃんに語り掛ける。できるだけ優しく。



「そっかー、じゃあお兄ちゃんと一緒に居る?」



今の状況では、俺がこの子についていてやった方が良い。



「……うん」



ナナちゃんはそう言って、静かに俺のスーツの袖を握ってきた。俺はナナちゃんを一度ベンチに座らせてから、横に腰かける。


スマホを見てみれば画面が暗いままで、いくら待っても起動しない。充電は今朝満タンだったはずだが、間の悪いことに故障したらしい。直接交番に向かうしかないだろう。


出来るだけ早く。



「ナナちゃん、お兄ちゃんと一緒にパパとママの所に行こう?」



ナナちゃんくらいの年の子に場所を聞いても、多分分からないだろう。詳しいことは警察が何とかしてくれるはずだ。


俺の役割は、この子を無事に交番まで連れていくことだ。




「……うん、行く」




ナナちゃんはおずおずと手を差し出してくる。俺はその小さな手を優しく握り返す……こんなに小さい手なんだと実感する。


俺は近くに誰もいないことを確認してから、最寄りの交番へ向かう。こんな時、知らない土地でなくて良かったと思う。スマホが無くても、交番の場所くらいは覚えているからだ。


俺はナナちゃんの歩くペースに合わせて歩いて……日が暮れるなこの速度じゃあ。




「ナナちゃん、もし良かったら抱っこする?」



「ん」




ナナちゃんは俺の前で両手を広げてアピールする………普通に可愛い。って、そうじゃない。それよりも……だ。


恐らくナナちゃんがいたであろう住居に、今、男が入っていくのが見えた。


状況が緊迫してきた。


俺はナナちゃんを抱っこして、交番まで早歩きで歩いて行く。ナナちゃんは「おー」と言ってきゃっきゃしている……速いのが嬉しいのだろう。呑気なものだ。


なるべく人通りの多いところを歩いて行いていく。


その時だった。



「ナナ!!」



若い男性の声がした。黒のスーツを着ており、ナナちゃんと同じ亜麻色の髪をしている。



「パパ?」



どうやら、俺の役目はここまでのようだ。


俺はナナちゃんを地面に下ろして、ナナちゃんが父親の方に走っていくのを目で追いかけた。車の心配はしていない。ここは商店街であり、車どころか自転車も禁止だ。



ぎゅっ



父親とナナちゃんはお互いにぎゅっと抱きしめあう。良いことをしたな、という感じだ。


さて、その父親に色々な話をしてあげる必要があるだろう。俺はその場から動こうと歩み始めた時、後方から声がした。




「確保!!」




ガシッ!!




「えっ、は?」




俺は武装した警察隊に後ろから取り押さえられる。



「午前11時22分、誘拐の容疑で現行犯逮捕する」



カチャ!!



後ろに手を回された俺は手錠をかけられる………は?いや待て!!




「おい!!勘違いだ!!俺はただあの子を交番に届けようと」



「詳しい話は署で聞く。さあ、ついて来い!!」




問答無用とはこのことなんだろう。俺は警官二人に両脇を固められて、パトカーへと連行される。


俺はナナちゃんに目を向けようと……女児に助けを求めるとか無いわな。そう思い、目を向けるのを止めようとしたその時だった。



ナナちゃんは、確かにこう言った。




「おじちゃん、だあれ?」





俺はすぐに、目をその男の方へ向ける。うっすらと口元が吊り上がっていた。




「おじちゃんは、ナナちゃんのパパだよ」




ねっとりするような気持ちの悪い声でそう言った。そして、男はナナちゃんのお尻を撫でたり、首筋に顔を当てて息をしていた。


俺はその光景を見て、どれだけ自分が浅はかであったかを知る。よく見ろ俺のクソ野郎!!あいつの背格好はあの時公園にいた奴と同じだ!!




「やーあ!!」




ナナちゃんは男が何をしてきているのかが分からずとも、嫌な感じがあったのだろう。男を拒否している。




「全く、ナナは。おもちゃはまた今度買ってあげるからね」




そう言って男は、ナナちゃんの嫌がりぶりを周りから誤魔化す。周りにいた買い物客は何処か申し訳なさそうにする男を見て、納得するように帰っていった。


気付けなかった俺が一番クソ野郎ではあるけれど、周りの反応を見て、つい思ってしまった。少しは気づけよ馬鹿野郎ども!!



「やーあ!!やーあ!!」



ナナちゃんは激しく抵抗している。


男はナナちゃんを逃げられないようにしっかりと抱きかかえた後、警察と一言二言話して、頭を下げながら商店街を抜けていこうとしている。




「おい!!早く歩け!!」




左右にいる警官から催促される。俺が抵抗しても無駄だとばかりに強引にパトカーの方へ連れて行こうとする。


不味い、このままじゃあの野郎を逃がしてしまう。


でもだ、警官二人の力はかなり強く体格もでかい。全身を武装しているため、攻撃したところで大したダメージにはならない。


というか攻撃した瞬間に公務執行妨害だ。ナナちゃんの誘拐の犯人が俺じゃないと分かっても、罪として残ってしまう。



クソッ!!どうすりゃあいい!!



「ぐずぐずするな!!」



警官はさらに力を籠める。こいつらさっきから力を入れ過ぎだ。力ではかなわない。


………だったら俺に出来るのは疑いの芽をばらまくことだけだ。




「やめろ!!犯人はアイツだ!!俺じゃない。その証拠に、今でもあの子は男に抵抗しているぞ!!!抵抗の仕方が変に過剰だろう!!!


話を聞くだけでいい!!女の子の話を聞いてくれ!!」



俺はそんなことを大声で叫ぶ。その訴えを聞いて、何人かの警察官は男の方に目を向ける。道行く人も懐疑的になった。


これでいい。女の子の口から話してもらえることが出来れば、まだ何とかなる。



「はあ、何を言うかと思えば………私はこの子の父親だ。嫌われているのは否定しないがね。証拠だってもちろんある。健康保険証でも免許証でも


なんでも調べてみるといい。というより、私がその子の父親だと断定されたからこそ、警察の皆さまは動いてくれたのだがね」




「なっ!?」



何だと!?………いや待て、それだとなんでナナちゃんは父親に向かって誰だという問いかけをしたんだ?


………いや、たしかそういう場合もある。ナナちゃんの本当のパパと、法律上のパパが違った場合だ。でもこの場合だと、もはや少し話した程度の関係である俺が首を突っ込んでいい話じゃない。


あの男が気持ち悪い奴であることは確かだ。しかし、こんな複雑な家庭だとここで俺が変に動き回ってややこしくするよりも、関係者が全員集まってじっくりと話し合えばいいだけだろう。


俺が徐々に警察への抵抗を弱めていくと、突如目の前にある光景が浮かんだ。




『女児誘拐事件』



『誘拐したのは法律上は父親であるものの、娘との血縁関係はない義父』



『義娘に対して、暴行、監禁、性的暴力を振るったとみられている』



『駆けつけた警察に現行犯逮捕されるも、犯人である義父は「気持ち良かった」などと供述』



『義娘は身体の回復を果たすも、表情は人形のようになってしまった。娘の実際の親は、涙ながらに犯人に対して罪を重くして欲しいと訴えている』





「早く入れ!!」




目の前に映ったパトカーの前で、警官が怒鳴り声をあげる。


俺はその声に意識を覚醒させた。



(……っ!?なんだ?今のは)




俺は少しだけその場でふらついてしまう。左右にいた警官がそれを支える。



「おい!!しっかり歩け!!」



今の光景がなにかお告げめいていて気にはなる。しかし、力や口での訴えももう出来そうにない上に、証拠もないしお告げめいたことを口走るわけにもいかない。

いよいよおかしい奴扱いされるだけだ。


俺の役目はここまでだ。


さっさと警官に事情を話して、帰らせてもらおう。俺はそう思ってパトカーに片足をかける。



コンッ



「っ!?」



パトカーに足を掛けた瞬間、辺り一面が静止した。


こんな商店街の近くで物音ひとつせず、俺含めて誰一人として微動だにしていない。



「汝二問フ」



右の警官が話し出した。あれだけ口うるさく言ってきた警官は、しかめっ面だった表情も能面のようになっており、口を動かすだけの人形のようになってしまっていた。



「汝ノ望トハ」



望み?いったい何言ってんだ?



「汝ノ見タ光景ハ、コレカラ最モ起コル確率ノ高イモノナリ」



……だったらそうならねーようにこれから警察に事情を話して



「過ギ去ル時間ハ戻ラズ、時間ハ汝を待タズ」



………準備している最中、つまり警察に事情を聴いてもらっている間に事が起こる……と?



「然リ」



……ハッ、もしそれが本当なら俺に打つ手はないだろ。




「汝ノ望トハ」





………良く笑うナナちゃんの顔がもう見られなくなるなんてことはさせない。でもだ。もう口で言っても伝わらない、力でも敵わない、さらには時間もないってなったらいったい何が出来んだ?




「汝ノ望トハ」




……いっそのこと大暴れでもするのがいいかもしれない。少なくとも時間は稼げるし、強引にでも話をもってけばナナちゃんの本当の親を連れてくるまでの間、男に何もさせないように見張るくらいは出来るはずだ。


『これだけ周りに人がいるんだ!!男を逃がした責任はここにいる警官にある!!顔も俺を含めた周りの人間が覚えたからな!!』とでもいえば責任を追及されるのを心底嫌う大人ってやつは行動に迷いが生じるはずだ。


『法律上の父ではあっても血はつながってない!!』とでも言えば、男をナナちゃんの本当の両親が来るまで警官に見張らせることも出来るかもしれない。まあ、そこまでできなくても警官に再び疑惑を抱かせることは出来る。


良いプランだ。これで行こう。




「汝ノ計略ハ実ヲ結バズ」




……は?んなもん、やってみなきゃわかんねーだろ。




「男ハ自暴自棄トナリ、カノ娘ニ危害ガ及ブ」




………じゃあ、どうすんだ?どうやれば解決できる?




「汝ノ望トハ」




………。




「汝ノ望トハ」




………ああもう、うっせえな。壊れた機械みたいに同じことリピートしやがって。




「汝ノ望トハ」




………ソレを願ったところでてめえが叶えられるとでも?馬鹿馬鹿しい。




「異ナリ。叶ヘルノハ汝ナリ」




………ついに本性を現したな?古めかしい言葉で話す神様ごっこはお終いのようだなあ?




「我、汝ヨリ対価ヲ受ケトリ、汝二状況ヲ打チ破ル力ヲ与エン」




……対価だと?



「然リ。即チ異ナル世界二飛ブコトナリ。戻ルコト能ワザル」



………異世界に飛べと?はははははは、信じた俺が馬鹿だった。




「然シ、ソレヨリ他二カノ娘ヲ助ケル術ナシ」




………。




「汝二問フ。汝ノ望トハ」




俺は心の中で目を瞑って考える。ここで、ナナちゃんを見捨ててしまっても、正直俺に対してデメリットは無い。適当に警察に話してからまた日常に戻ればいいだけだ。


そうだ、どうせ赤の他人だ。俺が何をしなくても、いつかは笑顔を取り戻す日が来るだろう。



「異ナリ。娘、笑顔ヲ取リ戻スコト生涯叶ワズ」



それは………おかしいだろう。これからの人生で変えられるチャンスなんていくらでもあるはずだ。


そう考えた瞬間、俺の目の前にふと、ある光景が広がった。その中で、ナナちゃんはひどいいじめを受けていた。


性的暴力や暴力を振るわれた経験から友達を作れず、必要以上に男子を恐れるようになってしまっていた。そんな子を同性である女子も避けるようになり、整った容姿からの僻みから、いじめが発生した。そして、徐々にそれはエスカレート。


予想通り美人になったナナちゃんは、高校に入学する頃には男子の性欲のはけ口となっていた。曰はく、処女じゃねーんだからいいだろう?という理屈だ。




ギリッ




俺は怒りで歯を食いしばっていた。その子はテメーらの『モノ』じゃねーんだぞ!!!クソども!!!





「汝ノ望トハ」





この光景が嘘であり作り話であるなら何も問題は無い。俺がただ信じやすい馬鹿だったというだけだ。しかしだ。これが事実なら。





「汝ノ望トハ」





………一つ聞かせろ。対価を支払った場合、俺の存在はこの世界でどういう扱いになる?


本当に馬鹿だな俺は。ありもしない異世界を信じて、得体のしれない奴の言うことを聞いて。




「汝ノ存在ハ無カッタ事トナル、然シ汝ノ記憶ハ変ワラズ」



………こっちは知っていても、相手は知らねーってことだ。それは………ものすごく寂しいな。


この世界で得たもの全てを捨てていけってことだから。しかも、好きでも何でもない女の子を一人救うためにだ。


でも、それでも俺はこの判断を間違ったとは思わない。


俺の人生は別の所でも続いて行くけど、ナナちゃんは分らない。あんなにひどいいじめがあったからだ。


だったらだ。俺はどっちにしても人生は続いていく、けどナナちゃんは俺の選択次第で人生が大きく変わる。なら、迷う余地はない。


もしここで助けなかったら、俺の中でずっと燻るだろうとも思うしな。




「いいぜ。俺の望みは、ナナちゃんを救うことだ」




パリンッ




音を立てて全てのモノや音が動き出す。




「おい!!しっかり歩…どこ行った!?」



右にいた警官が突然騒ぎ出す。何言ってんだ?いきなり。


何処も何も俺はここに……ああなるほど、これが貰った力ってやつだろう。


左脇をしっかり持っていた警官も同じようにあたりをキョロキョロしている。姿が見えなくなったり、すり抜けたりする力のようだ。



トンッ



左側にいた警官の肩を軽くたたいてみると、バッという擬態語が聞こえてきそうなほどの勢いで警官は振り返る。しかし、見つけられずにキョロキョロするだけだ。


正直、空想物の世界では在り来たりなものかもしれない。しかし実際使ってみてわかる………相手からは見えず触れられず、こちらからは一方的に見え触れる、これは普通にとんでもない能力だ。



「応援要請、確保中の被疑者が逃亡。至急応援を求む!!」



俺の背後で警官が無線で連絡をしている。姿が見えないんじゃ、意味のない要請だろうな。


そんなことを考えながら、俺は商店街を走り抜ける。遠くに行ってしまった男とナナちゃんの姿を探すためだ。


人にぶつかる心配をせずに走り抜けられるとは何て便利な能力だと思う。人に触れた瞬間は、俺の身体は霧のようになっていた。



商店街を丁度抜けたところで、男とナナちゃんを見つける。ナナちゃんは抵抗のし過ぎでぐったりしているけど、それ以外に問題があるわけではなさそうだ。


俺はすぐさまナナちゃんを取り返そうと行動を起こす………前に先ずは一発男に入れる。



「へぶっ!!」



意識してない状態での一発はかなり効いたはずだ。男はそのままよろけたので、ナナちゃんを男の手から取り返す。



「?」



ナナちゃんはキョトンとしている。何が起こったのか分からないのだろう……そりゃそうだ。


俺はゆっくりとナナちゃんを地面に下ろし、耳元で優しく言った。



「もう、大丈夫だ」



「っ!!……おにいちゃ?」



ナナちゃんは目を真ん丸にして驚いた後、あたりをキョロキョロしだす。そしてどこにも姿が見えないことが分かると、首をコテンと傾げた……可愛い。



「ああ、クッソ、一体何だってんだ!?」



男が回復したらしい。首を振って辺りを見回している。そして、ナナの姿を見つけると大股で近づいてくる。




「さっさと来い、ガキ!!」




人目に触れているためごく小さな声だったものの、ナナの近くに居る俺にははっきりと聞こえた……野郎。


俺は見えないことを利用してもう一発入れてやろうとしたその時、向こうの通りで何かの騒ぎが見えた。


車の音で途絶え途絶えではあるものの、確かに聞こえた。




「ナナっ!!………ナナ!!どこ……の!?お願い………から………返……て!!ナナ………!!」



髪の色は黒の長髪だったけど、今度こそ一発で分かった。ナナちゃんの母親だ。母親は人目も気にせず、ひたすらにナナちゃんの名前を顔面蒼白で叫んでいる。


俺は、でかい声を張り上げてナナちゃんの母親に聞こえるように言う。




「ナナちゃんは見つかった!!ここだあ!!ここにいるぞおー!!」




「っ!!」




距離があるのに、ホントによく聞こえたなと思う。ナナちゃんの母親は一目散にこちらを目指して走ってくる……大通りを跨いだところに居なくて幸いだった。




「チッ!!」




男はその女性の姿が見えたのだろう。露骨に舌打ちをして、走り去ろうとしている……そんなこと、させるかよ。


俺は男に足をかけて盛大に転ばす。




「ぐわっ」



ドサッ



男が地面に倒れ込んだところで、母親はナナちゃんと再開する。



「ナナー!!」



「っ!!ママ!!」



ひしっ



感動の再開だ。



「クッソ、さっきから何だってんだ」




男はゆっくりと起き上がる。




「……あなた」




同じ女性がいったとは思えないほどの底冷えする声が聞こえた。




「チッ……よお、久しぶりだなあ?嫁さん」



「どの口で!!……そもそも何でここにいるのよ!!」



「ああ?お前が産んだっていう娘を見に来ただけだっつーの」



「嘘ばっかり!!あなた本当に何にも変わってないのね!!反吐が出るわ。目的はなに!!」



「だから見に来ただけだって」



「いい加減にして!!女をモノにしか考えられないあなたがただ見に来るだけなはずがない。


娘を口実にして私に会いに来るなんて…いえ、待って。私が目的なら直接私の職場に来るはず……あなた……もしかしてっ」



ナナちゃんの母親は気づいたのだろう、そのおぞましい内容に。


男は正解だとばかりに口の端を釣り上げて言った。



「いやね、美幼女ってどんな具合かを確かめたくてね」



男は一切の躊躇なく言い放つ。何の躊躇もないところがかえって真実味を帯びる。



「っ!!最低!!なんてこと言うの!?犯罪よそれ!!」



母親は当然のように反論する。至極まっとうな意見だ。100人いれば100人とも正しいというだろう。


しかし、何事にも例外は存在する。男は急に真顔になって言った。



「だから?」




「え……」



ナナちゃんの母親は絶句する。そりゃそうだ、なんたってこのセリフは理解してはいけない類の発言だからだ。


男は大股でナナちゃん母娘に近づいてくる。



「ククク、もうどうだっていいだろう」



「っ!!来ないで!!」



ナナちゃんの母親は、ナナちゃんを自身の腕で抱きしめて抵抗の態度を取る。


しかし、男の歩むスピードは変わらない。



「お前に見つかった瞬間から、俺はもう捕まることが確定してんだ。だったら娘ともどもここで美味しく頂いてもいいだろう?


ああ、安心しろよ。お前ら両方にたっぷり注ぎ込んでやるからしっかり孕めよ」



男はそう言いながら、ジーンズのチャックを緩めて母娘に近づいていく。


周りの人間は、これから何が起こるかを理解してながら行動はしてくれない。口々に「「誰か警察呼んでよ」「やっべーぞこれ」


「これ撮影したら再生回数延びんじゃね?」とか好きかって言っている。傍観者にはなっても、当事者には誰一人としてなりたくないという心理が手に取るようにわかる。



(助けてくれる他人なんて、それこそ一握りだ。大勢の人間は所詮こんなもんだ)



分かってはいたけれど、実際に目の前で見せられると反吐が出るという以前に呆れる。ここまで腐ってたのかと思う。


俺は再びこぶしを握り締めて、男にもう一発キツイのを食らわせてやろうと前に出る……ことは無かった。




「何だ、てめえばぶぇっ!!」



渾身の右ストレートが男の顔面にヒットさせた男がいるからだ。



「俺の家族に触れるな」



新たに現れた男に関する俺の第一印象は、『でかいな』だ。


もちろん心意気もだけど、外見の話でもある。185……いや190はある。




「あ、あなた!!」




ナナちゃんの母親は間一髪で駆けつけた男にくぎ付けだ。吹っ飛んだ男なんてもう欠片も考えていないだろう。


恐らくナナちゃんの本当の父親であろう男の顔を見て驚く。吹っ飛んだ男と、髪の色も顔立ちもかなり似ている。




「畜生、次から次へとなんなんだいったい……って、おいおい今頃お出ましかよ」




吹っ飛んだ男も気付いたのだろう。自分とそれとなく似ている目の前の男に。違うのは身長だ。吹っ飛んだ男も180近くあるけど、ナナちゃんの父親は190オーバー。10センチ以上の差がある。



男二人がにらみ合う。




「ハッ、もうどうなっても知らねーからな」



スッ



吹き飛ばされた男は、鉛色に輝くナイフを懐から取り出した。



「きゃああぁぁぁ!!」



「うお、マジかよ」



「これ、逃げた方が良くね?」



あちこちから悲鳴のようなものや、困惑の声が聞こえる。


厄介なことに握り方が素人のソレじゃない。


半身の構えもそうだし、ナイフを扱いなれているような軽く手を添えるような握り方だ。しかも、ナイフ自体も果物ナイフの類ではないと一目でわかるものだ。




「……」



流石にナナちゃんの父親も、相手の様子を見て気を引き締めている。単なるチンピラでないことが分かったのだろう。



「ほら、いくぜ!!」



ナイフで横なぎに切りかかる。思いっきり振ることはせず、相手の領域を削っていくスタイルだ。明らかに戦い慣れている。




「……っ!!」



武器を持っている方と持っていない方。


早くもその差が表れてしまったかのように、ナナちゃんの父親は防戦一方だ。




「おら、どうした?どうせタッパだけでかくて、後は見せかけだろ?筋肉だけしか鍛えてねー肉だるまに、戦闘ってやつを見せてやるよ」




「……っ!!」



ナイフの男が蹴り上げた瞬間、靴の先からナイフが飛び出した。そのリーチ差によって、距離を測り損ねたナナちゃんの父親は攻撃を受けてしまった。



「いやあああぁぁぁ!!」



ナナちゃんの母親が叫び声を上げ、辺り一面に血しぶきが飛んだ。



「チッ、浅いな」



分厚い筋肉のおかげか、皮膚の表面を少し切った程度で済んだようだ。ナナちゃんの父親は、自身の後ろに控える妻子を守るために一歩前に出る。


ナイフの男はナナちゃん達を見て舌なめずりをした。



「ハッ、守れるもんなら守ってみやがれ!!」



ナイフの男は靴底に入れてあったナイフをナナちゃんたちの方に向けて飛ばす。


ナナちゃんの母親は娘に当たらないように、強く抱きしめた。



カンッ!!



当たるかに思われたナイフは、ナナちゃんの父親が全力で叩き落した。とてつもない速度で動いたことに素直に驚く。人間とは、これほどまでに早く動けるものなのかと。


しかも驚いたことに、ナイフの平らな部分に手を当てていたようで手をケガしていない。本当にすごい……しかし。




「正直止められるとは思わなかったぜ!!でもこれで、がら空きだなぁ!!くたばれっ!!」



ナイフの男は手に持ったナイフを思いっきり突き立てて突っ込んでいく。ナナちゃんの父親には、もう態勢を整えるだけの時間が残されていない。


ナナちゃんの父親は妻と娘を庇うように手を大きく広げて、妻と娘を包み込んだ。



「きゃああああ!!」



一際大きな叫び声が辺り一面に響き渡る。これから繰り広げられるであろう惨状を誰もが想像した。








「けどまぁ、そうはさせないわな」






俺はナイフ男の伸びきった腕をつかみ、関節を決めて地面にたたきつける……戦闘訓練……というか武術を習っている人間が自分だけだと思ってるなら大間違いだ。



「へぶっ!!」



俺はさらに、手の関節を決めてナイフを離させる。



カランッ



俺はそのナイフを蹴り飛ばし、男を離して飛びのく。



「クソ!!ギャラリーがしゃしゃり出てきやがって!!誰だ!!今やった奴!?」



ナイフ男の怒声が響き渡る。観客から一気に当事者へと変わってしまった愚かな大衆は、我先にと醜く逃げ出す。



「お、おれじゃねーよ」



「た、確かあっちの方の奴だった」



ナイフの男は、あたりに目をやって目的の人物がいないことを知る。



「チッ、逃がしたかよ」



「いいや、捕らえた」



「な!!てめえ!!」



ナナちゃんの父親が男の倒れた隙を突いて、ヘッドロックを掛けた。



「ちょこまかと動きやがって…………っ!!」



ナイフの奴はここで初めて驚愕をその表情に浮かべる。



(探し物はこれだろうな)



俺は男から離れた時に抜き取った、最後のナイフを地面にゆっくりと置く。音で居場所が慣れたら不味いからな。



「これで終わりだ」



「クソ……」



カクンッとナイフの男は気絶する。




「ふうー」





ナナちゃんの父親は緊張の糸がほどけたのだろう。大きく息を吐いた。




「あなた!!」


「パパ!!」



ぎゅっ




親子三人で、互いの無事を確かめ合うようにしっかりと抱きしめ合う。




「一般人の避難と手当を優先しろ!!」



そんな声が商店街の方から聞こえてくる。ようやく警察の到着だ。警察が状況などの把握に努めている中、俺は薄く透けていく自分の身体を見てそろそろ頃合いだと判断する。


俺は親子三人に近づいていく。



「……そのまま聞いててくれ」



「「「っ!!」」」



キョロキョロと声の主を探すも見つからず、三人とも困惑している。俺はそれでも構わずにセリフを言っていく。



「ナイフを持った男の住居はここの近くにある公園の直ぐ前にある。一軒だけ灰色の建物だから、すぐに見つけることが出来るはずだ」



「「……」」



「ナナちゃんはそこから逃げてきたらしい」



「「っ!!」」



息をのむ声がナナちゃんの母親から聞こえる。



「安心してくれ。その時見た感じでは、何もされていなかった」



ナナちゃんの母親の安心する声が聞こえる。



「君は一体…」



ナナちゃんの父親からの問いかけだ。



「俺はその公園のベンチに座っていたただの大学生です。ナナちゃんの事情を察して直ぐに、警察に駆けつけたところ、この騒ぎに巻き込まれました」



「……」



ナナちゃんの父親は黙ったままだ。何を考えているのかは分からないけど、厳しい面構えから自分を責めていそうな感じだ。


俺は言葉を紡ぐ。



「どんな事情があったにせよ、親子三人無事で何よりです。本当に良かった」



「おにいちゃ?」



声音から俺が誰かを特定したのだろう。良く分かったな、見えていないのに。




「本当に、本当に感謝致します。お礼を尽くしきれないほどに。これだけでは足りないのは重々承知しています。ですが、それでも感謝の言葉を。ありがとう。おかげで私たちは助かりました」



ナナちゃんの母親の発言の後、ナナちゃんの父親はハッと顔をあげて口を開く。



「本当に、本当にありがとうっ!!」



「…?ありあと、おにいちゃ」




親子三人で俺にお礼を述べてくれた。ナナちゃんは何だかよく分かっていないようだったけど。


俺は、もう完全に見えなくなった自分の身体を見て最後に述べた。




「あなたたちを救えて……良かった」




「「「……」」」



俺が最後にこの地球で見た光景は、親子三人が深く頭を下げてくれるという、感謝の印だった。

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