第2話 『コンビニのレシートに、誰かの生きた証を探していた夜』

深夜0時。

 アパートの窓から見える空は、星も月も隠したまま、ただ暗いだけの幕だった。


 カーテンを開けず、照明は蛍光灯ひとつ。

 部屋の明かりは、もうしばらく前から“ついている”というより、“つけっぱなし”だった。

 朝倉一真は、ラノベの草稿を保存してから数十分、ただ椅子に座って天井を見ていた。


 眠気はない。けれど、目はしょぼつく。

 身体は疲れているのに、脳の中だけがざわざわと波打ち、頭の芯が妙に冴えていた。


 「少し、外に出るか……」


 自分で呟いた言葉に、少し驚いた。

 ここ数日、いや数週間、彼は買い出しすら“ネットスーパーの受け取りボックス”で済ませていた。


 玄関の靴を履くと、底が微かに崩れた音がした。

 気づけば、左足のインソールがすり減っていて、歩くたびにギュッギュッと音が鳴る。


 雨はやんでいた。

 アスファルトの表面はまだ濡れていて、街灯がにじむ。

 駅まで続く商店街の道。シャッターの降りた雑貨屋、閉店して久しい飲食店。その隙間に、ぽつんと光を灯しているコンビニがあった。


 深夜でも無人じゃない場所。

 人の気配が、微かに残っている唯一の場所。


 その明かりの中へと、一真は吸い寄せられるように足を運んだ。


 店内は薄く音楽が流れていて、冷蔵庫のブーンという低音が一定のリズムで鳴っていた。


 誰もいなかった。

 レジにはアルバイトの青年が座ってスマホをいじっていたが、一真の入店にも目を上げなかった。


 冷蔵コーナーに並ぶサンドイッチとおにぎり。

 その奥、ホットスナックのケース。

 そしてその隣に、消費期限が迫った惣菜のワゴン。


 彼はゆっくりと、それらを眺めながら歩く。

 買うものは、決まっていなかった。

 ただ、何かを見つけたかった。誰かの、気配のようなものを。


 数日前に売れ残ったであろうチキン南蛮弁当。

 電子レンジに入れるだけのグラタン。

 その裏側の値札シールには、仕入れ日と担当者名の略号があった。


「S.T……」


 彼は、ふとその文字に目を止めた。


 その「誰か」がどんな人間かも知らない。

 それでも、一文字のイニシャルにすら、「誰かがここで働いて、生きていた証」が刻まれている気がして、胸の奥が静かに痛んだ。


 棚に並んだペットボトルの緑茶を手に取った。

 値段は百円ちょっと。

 喉が乾いていたわけではなかった。ただ、“今夜の自分”を何かで締めくくる理由がほしかった。


 会計を終えて、ドアが開く。

 誰もいない夜道。

 歩きながら、レシートを取り出して眺める。


2025/06/11 00:47

商品:緑茶(500ml)

店舗:ファミリーマート●●店

担当:N.H

合計:113円


 ――N.H。

 さっきとは違う人の名前があった。


「N.Hさん……今日は、どんな日だったんですかね」


 誰にも聞こえない声で、ぽつりとつぶやく。

 それは質問というより、祈りに近かった。

 人の痕跡を確かめることで、彼は自分がまだ“人間”であることを認識していた。


 部屋に帰ると、パソコンの画面はスリープしていた。

 マウスを動かすと、先ほどまで打ち込んでいた文章が浮かび上がる。


 『英雄は、かつて一度も仲間を持てなかった。それでも彼は、名も知らぬ者たちの平穏を守るために、剣を振るい続けた。』


 その一文の下に、新たな行を足す。


「誰かの、平凡な一日が続いていくために、俺は今日も剣を握るんだ」

――英雄の遺稿録 第3800話より


 保存。下書き投稿。確認。

 いつものルーティン。


 そして数分後、更新通知に**♥1**が灯る。


「おかえり、runaさん」


 今日もまた、どこかに生きている誰かが、彼の物語に指先だけで触れてくれた。

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