誰にも読まれなかった五千話、それでも僕は君のために書き続けた

常陸之介寛浩◆本能寺から始める信長との天

プロローグ 『たったひとつの「いいね」に、生きている意味を見出していた』

それは、誰にも気づかれない死だった。


 テレビのニュースにも載らなかったし、SNSでバズることもなかった。

 身寄りのない男が、ひとりで静かに死んだ。ただ、それだけのことだった。

 場所は、青木ヶ原樹海。言わずと知れた“その場所”だ。


 四月の終わり、まだ空気の冷たい早朝。

 とある登山客が、登山道から外れて迷いかけた際に、落ち葉に半分埋もれたリュックを見つけた。

 その奥に、男の身体があった。


 防寒具のような古びたジャケット。

 眼鏡のフレームは歪み、足元の靴は左右で違っていた。

 最期まで整えられたとは言いがたい姿だったが、その顔には妙な安堵のようなものが浮かんでいたという。


 警察が到着し、身元確認が進められた。

 彼の名前は、朝倉一真(あさくら・かずま)。

 年齢、42歳。住所、都内のアパート。職業、定職なし。

 携帯電話、ノートPC、そして手書きのノートとUSBメモリが、彼の“遺品”だった。


 その中には、信じられない量のテキストデータが存在した。


 合計で4976話分。

 未投稿の草稿がさらに24話、合計でぴったり5000話分の、ある一つの物語だった。


 USBメモリの名前は「Epitaph」。


 開かれたテキストフォルダには、彼が生涯をかけて綴ってきたWeb小説『英雄の遺稿録(グローリー・エピタフ)』が保存されていた。


 それは、いかにも厨二臭い、どこかで見たようなファンタジーの寄せ集めのような物語だった。

 魔王に敗れた英雄が千年の時を経て蘇り、過去の仲間の末裔たちと共に戦う──そんなプロットだ。

 異世界、ステータス、魔法、勇者、精霊、神器、運命、因縁……。

 テンプレートの塊と揶揄されても仕方がないその物語は、しかし、ひとつの点において異常だった。


 それが“5000話も続いていた”という事実である。


 5000話。

 一話あたりの平均文字数は4500文字。

 原稿用紙にしておよそ56,000枚。文庫本で考えればおおよそ125冊分に相当する。


 だが、その物語には一度も賞を取った履歴はなかった。

 書籍化の話も、スカウトも、話題性すらなかった。


 彼の投稿サイトのユーザーページは、既に削除されていた。

 だが、あるWebアーカイブツールを利用してデータを辿った関係者が気づいた。

 彼の作品には、たったひとつの「いいね」を押し続けた読者がいたということを。


 そのユーザー名は、runa0213。


 コメントはない。レビューも、タグ編集もしていない。

 けれど、毎回深夜2時前後、彼の作品に必ず反応を返していた記録が残っていた。


 朝倉一真は、生涯にわたりライトノベル作家を目指していた。


 誰よりもラノベを読み、誰よりもラノベを信じていた。


 小説投稿サイトが隆盛を極め、毎日何千もの作品がアップされる中で、彼は一度たりともランキングに登ることなく、五千話を書き切った。


 PVは毎話、せいぜい「2」。

 そのうちの1は自分で確認したもの、もう1つが「runa0213」だった。


 彼は、それでも書き続けた。


 どこにも届かないと知りながら、

 何者にもなれないと気づきながら、

 それでも、今夜こそ「届くかもしれない」と信じて、キーボードを叩き続けた。


 夜勤から帰り、朝の誰もいない街を歩き、カップラーメンを食べながら、

 誰かの誕生日に気づくこともなく、祝われることもなく、

 「#今日の更新」と書いては、自作のキャラアイコンを貼り付けてツイートしていた。


 誰にも反応されないツイート。

 それでも削除することはなかった。


 それは、彼の“生きた証”だったから。


 遺された5000話は、今や誰もが読むことができない。


 投稿サイトの規約変更により、アカウント削除と共に作品は一括削除された。


 ただ、彼のPCの中に、USBの中に、“五千話分の祈り”は眠っている。


 それはもう、誰に向けたものでもなかったのかもしれない。

 けれど、確かに誰かに届いていた。たったひとり――。


「……朝倉一真さんですよね」


 遺体発見から三週間後、都内の図書館の閲覧室。

 USBデータを保存していた警察の職員が声をかけられた。


 声をかけたのは、20代半ばと思しき小柄な女性。

 目の下にクマがあり、けれどその目だけが強く輝いていた。


「この人……私、ずっと読んでました。

 本当に、毎晩。どんな日でも……この物語だけが、生きる理由だったんです」


 そう言って、彼女は胸元からスマホを取り出す。

 画面には、保存されたWebアーカイブ。

 お気に入りのフォルダに、ずらりと並ぶ話数タイトルと、その隣に小さなハートマーク。


──「いいね」履歴:runa0213


 物語は、終わっていた。


 けれど、それは「終わり」ではなかった。


 たったひとりに、確かに届いたその祈りは、

 やがて次の物語の“読者”となり、“語り手”へと変わっていく。

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