雨恋
赤海月
雨恋
湿った空気が教室を満たし、黒板をチョークで叩く音が響き渡る。
「いいか、お前たち。梅雨前線は停滞前線の一種であってこの時期にオホーツク…」
俺は窓の外から聞こえる雨音が心地よく、机に突っ伏し眠りにつく。
「…い、おい、いい加減起きろよ」
肩を強く叩かれ目を覚ます。友達が目の前の席に座り弁当を持ったまま椅子の背もたれから身を乗り出している。俺もカバンから弁当を取り出し机に置く。
「また雨降ってんな」
「そうだなー」
「雨は嫌いだ。髪はうねるし、無駄に濡れるし、いいことなんてなんも無いよな」
「同感」
友達は自分の髪をくるくると指でいじりながら文句を言う。
「雨斗は名前に雨が入ってるのに雨が嫌いってなんか可哀想だな」
「ほっとけ」
俺は少しいじけながら小さなハンバーグを一口頬張る。
「そういえば知ってるか?不思議な喫茶店の話」
「何だそれ」
「なんでも雨の日しか営業してないらしいぞ」
「変な店だな。どこにあるんだ?」
「店の名前が『レインストップ』って情報以外はないらしいぞ。多分だが誰かが流した噂だろ」
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放課後になっても雨は止まない。俺は黒い傘をさし、昇降口を出る。見慣れた道を歩いていると軒先で骨の折れた傘を持ち軒先で雨宿りをする腰の曲がったおばあさんを見つける。なぜだかわからないが俺はおばあさんに自分の傘を差しだしていた。
「あら、いいのかい」
「はい、両親が迎えに来てくれるので俺は大丈夫です」
嘘をついてまで傘を譲ることに何の意味があるのだろう。いや、人助けに意味を探し始めたらだめなのではないだろうか。雨のせいか思考が淀んでいるため考えることをやめる。おばあさんは何度もお辞儀をしながら去っていく。俺は愛想笑いをしながら軽く会釈をして返す。
どうやって帰ろうかと濡れた前髪をかき上げながら空を見上げる。すると視界の中に『Rain StoP』という文字が光っているのを見つける。俺はふと昼休みの会話を思い出す。なぜ今まで気づかなかったのだろう。晴れの日はこのお店はいつもシャッターが下がっており、雨の日は傘を深く差しているため視界が下を向く。おばあさんに傘を渡したことでこの店にたどり着くことができたみたいだ。そして無意識のうちに店のドアを開け、中に入ってた。
「いらっしゃいませ!」
太陽のように明るい笑顔で真っ白のワンピースに黒いエプロンをつけている女性が迎えてくれる。彼女はまるで人形のようにかわいらしく、瞳は宝石のようであった。窓際の席につくと彼女は水とタオルを持ってきてくれる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
見つめられるだけで吸い込まれそうな瞳から咄嗟に目を逸らしタオルで顔を隠す。
「私、見てましたよ。あなたがおばあさんに傘を貸すところ、優しいですね!」
「あの、コーヒーもらえますか」
俺は普段そんなことはしないという後ろめたさと優しいと言われ照れてしまったことを隠すように普段は飲みもしないコーヒーを注文する。
「砂糖とミルクはどうしますか」
「どっちもつけてください」
「かしこまりました!少々お待ちください」
彼女は店の奥に行きコーヒー豆を挽き始める。そんなに本格的なのか。財布の中を確認して3000円入っていることを確認し、ほっと胸をなでおろす。
彼女が豆を挽く姿を眺めながら、ついでに店内へと視線をめぐらす。店内には俺以外の客はおらず、豆の挽く音と外の雨音だけが鳴り響く。目を瞑り音だけに集中しているとカチャカチャと食器のぶつかる音が聞こえてくる。
「お待たせしました。こちら本日のコーヒーです」
俺は砂糖とミルクをたっぷり入れて一口だけ口に含む。ほとんどコーヒー牛乳となっておりこれなら俺でも飲めると思った。
「どうですか」
「おいしいです。もっとも俺はコーヒーの良し悪しなんてわからないですけど」
「ふふ、ミルクと砂糖多めにしといてよかったです」
すべて見透かされたような彼女の笑いに恥ずかしくなる。彼女は俺の隣の席に座り話始める。
「聞いてもいいですか?」
「なんですか。というかさぼっていいんですか」
「あなた以外にお客さんいないもの。雨は好きですか?」
「嫌いだ」
「私は好きですよ」
「なんでですか」
彼女の声は温かく心地が良いずっと聞いていたいと思った。
「だって、みんなに会えるから」
「どうゆうことですか」
俺は言葉の意味が理解できず聞き返す。しかし、彼女は答えてはくれないようだ。
「あなたの名前はなんて言うんですか」
「えーと、
「素敵ですね。名前に雨が入ってるなんて。私は
「こんな名前だから雨男なんですかね」
「ふふ、じゃあ私たちは真逆ですね。こう見えても私は晴れ女なのです」
彼女は雨雲も吹き飛ばしてしまいそうなまぶしい笑顔で自信満々に言う。俺はふと思い出したことを聞いてみる。
「そういえば友達がこのお店は雨の日しかやってないって言ってたんですけどほんとですか?」
「うん、ほんとだよ」
さっきまでの表情とは変わり、少し寂しそうな表情を浮かべる。
「なんでなんですか」
「晴れの日は私が必要ないからです」
どこか遠くを見るその瞳には降りしきる雨粒が繊細に写っている。俺は晴子さんと雨が止むまで話をした。学校のこと、小さかった頃のこと、色々と話しているうちに窓からは一筋の光が差し始める。
「止んだみたいですね」
「そうですね」
晴子さんはそう言うとお店の奥へと戻っていく。その背中はどこか物寂しそうでまるで晴子さんの頭上にだけ雨雲があるみたいだった。呼びかけても返事はない。値段はわからないが適当に1000円を置いて店を出ることにする。
店のドアを開け空を見上げると雲の切れ間からは茜色の光がさしこんでいた。振り返ってもう一度、晴子さんの様子を見ようと思ったが店内はすでに消灯しており、真っ暗であった。
俺はそれから雨の日はかならず晴子さんへ会いに行った。いつも笑顔で迎えてくれ、別れ際はいつも寂しそうであった。店に入るときはいつも雨で、店を出るときはいつも晴れ、なのに俺の心は曇っている。
ある日の朝、ニュースで梅雨明けだと言っていた。今日の空模様は曇天である。俺の中から気持ちがあふれ出す。今日は絶対に晴子さんに会わなきゃだめだとそう思った。
いつも通り他愛ない話をする。
「晴子さん、晴れの日にも会いたいです」
俺と晴子さんが会うときは雨の日のこの場所であった。この空間が嫌いなわけじゃない。だけど、晴れた日に別の場所で会いたいと思ってしまった。俺は晴子さんが好きだ。
「ごめんなさい、それはできないの」
「どうしてですか」
「言ったでしょ。私は晴れの日には必要ないの」
「いや、だから俺は晴子さんのことが…」
俺はそこで晴子さんの顔を見ると、晴子さんは目に涙を浮かべて必死にこらえながら笑顔を保とうとする。雨音がやけにうるさく感じる。
「ねえ、雨斗君。雨は好きになれた?」
「うん。あなたに会うことができるから」
俺も泣くなんてことは無粋だと思い、全力の笑顔で答える。晴子さんは「よかった!」と今までで一番の笑顔を浮かべた。
店から出るとさっきまでの曇天は嘘のように晴天であった。
「ああ、また降らないかな」
雨恋 赤海月 @4kakurage
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