第2部 第10話 還リノ座、目醒メノ刻
夜が、静かに降りていた。
綾乃の部屋には、風の音だけが流れていた。まるで誰かが窓辺で囁いているかのように、柔らかく、執拗に。
(……眠れない)
身体を横たえても、意識は深い闇の奥へ沈んでいかなかった。逆に、どこか異質な感覚に引っ張られるように、気がつけば綾乃は夢とも現ともつかぬ“町”に立っていた。
そこは、神納ニュータウン――だが現実とは違った。色彩は淡く、空気は水に満ちたように重く、音のない世界。古びた神社の鳥居が歪んだ角度で立ち、朽ちた石碑が並び、そこに、かすかに祈りの痕跡だけが残っていた。
(……ここ、知ってる)
記憶の奥。幼い頃、曾祖母と歩いたことのある神域。その場に、今、再び呼ばれたのだと理解した。
「記録者。継承者。選びの者。」
声が響いた。だが誰もいない。語りかけてくるのは、この“町”自身だと、綾乃にはわかった。
“町”は生きていた。意思を持ち、血を通わせ、記憶という名の封印を、その身に抱え続けていた。
足元の石畳が淡く光を放つ。十二の円。それぞれに人の名が浮かび上がる。――共鳴した“鍵”たちの名。
しかし、第十二の円だけが空白のままだった。
「“鍵”は選定されていた。ただ、その名は……“記録”から消されていたのだ。」
そのとき――スマホのバイブ音が、現実へ綾乃を引き戻した。
《Town Code》の通知。【#17】新着配信。
反射的に再生すると、画面にサトシの疲れ切った顔が映る。
「……これが、俺たちの最後の動画になると思う」
その言葉に、胸が締めつけられる。
背景には、例の廃神社。画面に映るのは、十二の石碑――そして、最後の“空白”。
「俺たちが調べた資料にあった。第十二の鍵の名、それが……」
画面に、ユウトが手渡した古文書が映し出される。昭和期の旧・綾小路記念診療所の記録。
そこには、墨で書かれた一名。
――『榊原 道隆』
曾祖父の名。
「……鍵は、君の曾祖父だったんだよ、高坂綾乃さん」
その言葉が、深く胸に突き刺さる。
「町は、“最後の鍵”が揃うのをずっと待っていた。君が、それを“知る”ことも――そのうえで、“選ぶ”ことも」
動画は唐突に終わり、暗転。
その瞬間だった。
――地鳴り。
窓ガラスが震え、ベランダのカーテンが不自然に膨らむ。
遠くから、警報の音。
そして、停電。
綾乃の部屋の明かりが、ぱたりと消えた。
一拍遅れて、スマホが再び震える。
緊急速報。
《神納町北部 地盤沈下・建造物倒壊の恐れ。至急避難せよ》
綾乃は、身体が勝手に動いていた。
向かう先は――曾祖父が創設した旧診療所跡。
YOKOの記憶が始まった場所であり、“選ばなかった者”が封じられた場所。
町の北端、山裾にあるその跡地にたどり着いたとき、大地が不自然に膨らみ、ひび割れ、封じられていた鳥居が突き上がるように姿を現した。
かつて、曾祖母と並んで通った石段。その先に、かつての祠があったとされる地があった。
霧が、立っていた。
(……ここが、“還リノ座”)
石の台座に触れた瞬間、綾乃の意識が深く、内側へ引きずり込まれる。
そこにいたのは、忘れていた記憶の中の曾祖父――榊原 道隆。
「……君が来るのを、ずっと恐れていた」
曾祖父はそう呟いた。静かで、どこか哀しい目をして。
「私は、選ばれた鍵だった。でも、逃げた。……この地の“記憶”を封じることを拒んだ。私は、十三の座を満たす資格を持ちながら、“町の時間”を止めてしまった」
(町の時間……)
「君が、私を赦し、“継ぐ”なら……この町は、“思い出す”だろう」
綾乃は、静かに頷いた。
「私は、忘れない。あなたのことも、YOKOのことも、町が背負ってきた記憶も――全部、引き受ける」
その瞬間、光が綾乃を包む。
十二の円が、すべて輝いた。
十三番目の“座”が、音もなく――開かれる。
だが次の瞬間、町全体が、うねるような轟音をあげて“動き始めた”。
***
その夜、神納ニュータウンの中心部で、断続的な停電と通信障害が発生。
北部では大規模な地盤隆起。旧診療所跡周辺では地層の崩落。
中央広場のステンドグラスが突如砕け、その下から“封じられていた石の構造”が露出した。
――十三の円。封印の陣。
YOKOの記憶、曾祖父の選択、綾乃の決断。そのすべてが、“町”の記憶を揺り動かした。
だが、町が“蘇る”のか、“崩れる”のか、それはまだ誰にもわからない。
この夜以降、《Town Code》のチャンネルは更新を停止した。
彼らの安否も、消息も、不明のまま。
ただ一つだけ記録に残ったのは、画面が壊れたスマホに届いた匿名DMの通知。
“記録は完了していない。まだ、選びは終わっていない”
そして、画面が闇に染まるとき、音だけが流れた。
「カーン……カーン……」
静かな鐘の音。
――選ぶか、それとも閉じるか。
――記憶か、忘却か。
――還るか、拒むか。
町の“問い”は、まだ終わっていない。
――第2部・完。
(第3部へ続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます