Mr.ホワイトの助手
@kakimomo
第1話
助手の仕事
ドアのチャイムが鳴る。今夜の相談者が、扉を開けてうつむきがちに入ってくる様子が思い浮かぶ。真っ黒色の重たい影を引きずっていることだろう。相談者は50代の男性だとMr.ホワイトから聞いている。私はMr.ホワイトの助手で、「ローズ」と呼ばれている。この小さなお家を震わすような音で"ボーン、ボーン”と柱時計が2回鐘を打つ。私の背丈ほどある古い柱時計は、真っ白な家の中で茶色い光沢を放っている。Mr.ホワイトが私の名前を呼んだので、私は二人分の紅茶を淹れ始める。棚に並んだ茶葉缶から、甘い香りのアールグレイを選んだ。薄く切ったレモンと砂糖つぼを木製のトレイに乗せる。白いティーカップを温めて並べてから、ベルガモットの香りがするポットを乗せ、私は相談室のある隣の部屋をノックする。下を向いてメモを読んでいる男性は、背中を丸め白く塗られたオークのイスに座っている。震える手で、紅茶を出すと、一瞬私を見て驚いたような表情を浮かべたが、すぐにゆっくりと微笑み、「ありがとう」と言ってくれた。私は少し嬉しくなった。Mr.ホワイトは真っすぐに男性を見つめて話を続ける。太く響く声で、Mr.ホワイトが言う、「妹さんは、10年前に行方不明になられたのですね、ニュースで何日も流れていた痛ましい遊覧船の転覆事故ですね。あの湖はとてもきれいですから、人気の観光地だったので大騒ぎでしたね、よく覚えていますよ。結局、乗船していた20数名中4名の消息が分からないまま捜査は打ち切りになりましたね。そういえば、若いご夫婦の行方が分からないままでしたね。あまりに広くて深い湖だからでしょうか、悲しい事故でした」と。長身で青い目をした穏やかな面持ちの男性は、妹夫婦と旅行をしていて、その事故に巻き込まれたそうだ。「秋晴れの素敵な朝でした、一緒に乗船したのに」と男性は肩を落としている。そして、「私があの遊覧船を勧めたのです…」と続けて呟く。抑揚のない声で、まるで他人事のように淡々と恐ろしい状況を語るのは、ここへやって来る人達の共通点なのだなぁ、と思いながら私は部屋を出た。
一時間ほどすると、Mr.ホワイトが私を呼んだ。私はチャートを持って隣の部屋をノックする、そしてチャートを男性の前に置いた。男性が「私はリオンです」と言ったので、「私はローズです」とかすれた声で一生懸命に答えた。チャートは縦5センチ横30センチほどの長方形で、物差しと同じような形をしている。男性から向かって左側が墨汁を重ね塗りしたような漆黒色で、そこからだんだんと右へ向かって色が薄くなっていく、真っ黒からダークグレーとなり、白っぽくなっていく。そして一番右側は、ほぼ透明で薄く光って見える。上の方に3センチ間隔で、朱色のメモリ10個ついている。リオンさんが、私とチャートを見ながら、「ありがとう、気をつけて。君は偉いね、痛くないかい、大事にしなさい」とたくさんの言葉をいっぺんに言ってくれた。きっと思いやりがあって、みんなに好かれる男性なのだろうと思う。
私は、今夜の任務を終えてほっとする。普段飲んでいる名前のない紅茶にお砂糖をたくさん入れて自分の部屋に持っていく。開かない窓と白いシーツのかかったベット、白く塗られた椅子と机だけの部屋。ほっと溜息をつき、ベットに横になる。「今日も紅茶を運べて、チャートを出せて良かったね」と私は自分を褒めてあげる。私の体の左側は肩から指先まで包帯でぐるぐると巻かれている、肘から下は動かないのですべてのことは右手だけでやっている。頭の左半分も耳まで包帯で巻かれている。何年も前に、ニットの白い帽子をMr.ホワイトがくれたので、その帽子で全てが灰色にしか見えなくなった左目の下まで隠している。なんとなく、顔の右側より左側の方が腫れて大きい感じがする。左耳もたれ下がっているように感じる。左足の足首から先はなくなっているので、Mr.ホワイトが作ってくれた底の厚い柔らかい木の靴に乗せて包帯で離れないように巻きつけている。Mr.ホワイトの自宅兼事務所には鏡もガラス窓もないので、自分の姿がどんな風なのかは分からないけれど、相談者の顔色がさっと変わるのには慣れた。紅茶を出す時は、トレイを運び台に乗せて押していく。ゆっくり、ゆっくりしか動けない。ここに来て、もう何年も経ったので、紅茶をこぼしたり、チャートを落としたりすることはなくなった。でも、頭はすっとずきずきしている、左肩はいつも重たい荷物を下げているように引っ張られてだるい。声を出すのに息継ぎをたくさんしないといけないし、左足を引きずって歩くので、右足の膝が痛む。そしていつもとても疲れている。ベットでは猫のミーコが丸くなっている。白い毛の多い三毛猫の女の子。柱時計が4回鐘を打った、もうすぐ夜明けだ。リオンさんが帰りの挨拶をする声が聞こえた。暗いうちに帰らないと、意識がないほどに眠っている男性を見つけた家族が、とても心配するだろうから。
目を覚ますのは、いつもミーコが耳元で何度も「みゃー」と鳴いてから。今日も、20時間は寝ただろうか。私はいつものように、Mr.ホワイトにコーヒーを淹れて持っていく。真っ黒だなぁと思いながら、白いミルクをスプーンに二杯入れる。Mr.ホワイトは相談室で準備をしている。チャートを見て、マジックでピンクの線を書きこんでいる。白っぽいグレーとミルク色の境界線辺りに線が入った。しばらくすると、リオンさんが昨夜と同じ時刻にやって来た。昨夜よりも背中を丸めて、真っ黒な重たい影を引っ張るように廊下を歩いている。私は台所へ急ぐ、今夜は私の大好きな、上等なダージリン紅茶にしよう。深い香りと柔らかい渋みが、リオンさんを勇気づけてくれるはずだから。隣の部屋に紅茶を運んでいくと、リオンさんが、震える手でチャートの真ん中あたりのメモリを指さしている、濃いグレー色あたりのようだ。Mr.ホワイトがそれを見て頭を横に振る、「事故があなたのせいではなと思う為には、もう少し薄くしないといけません。まるで昨日のことのように毎日、毎日、あの日のことを思い出すのを止めないといけないですね。そうですね、月に一度くらい、同僚が妹さんの好きだったダージリン紅茶を淹れててくれた時、ふっと風の便りのように、妹さんの笑う声がどこからか聞こえるような懐かしさ、それが思い出なのです。なのでもっと右の、薄い薄いグレー色あたりにしましょう。妹さんを忘れたくないのは分かりますが、あなたには、記憶を畳む手続きが必要なのです」と。男性が私を見て、にっこりと力なく微笑んだ。私は男性の背中に右手を置いた、Mr.ホワイトが仕事に取りかかる。
Mr.ホワイトの助手 @kakimomo
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