ガベル&ルーペ~競売士カイと鑑定師リオの野望

星笛霧カ

第1話『鉄くずの価値』

蒸気機関が吐き出す煙と、香辛料の甘くスパイシーな匂いが混じり合う、巨大商業都市。


その一角に、数年に一度だけ現れる場所がある。

国中の野心と欲望が渦を巻く、決戦の舞台――《公認競売・鑑定士資格試験》の会場だ。


石造りの大ホール。

高い天井から吊るされた魔光石のランプが、集まった若者たちの熱に浮かされた顔を青白く照らし出す。


誰もが一攫千金を夢見る、才能の原石。

――あるいは、ただの石ころか。


壇上に立った髭面の試験官が、腹の底から響く声で言った。


「第一次試験は個人戦! 諸君の『値付けの才覚』そのものを見せてもらう!」

「あの倉庫に眠る品々は、その一割が本物の遺物。残る九割はただのガラクタだ」

「各自一点を選び、特設会場に集う本物のコレクターたちに売りさばけ! 売値が1ゴールド・リーブラに満たぬ者は、その場で即失格!」

「では、始め!」


開始の合図と共に、地響きのような足音がホールに響き渡る。

全ての受験者が、我先にと西棟のガラクタ倉庫へと殺到した。


たった一人を除いて。


太陽を溶かしたような金色の髪を持つ少年――カイは、人の波に逆らうように踵を返す。

目指すは、正反対の東棟だ。

その奇行を、ホール隅の影の中から、一人の少年が冷ややかに見つめていた。


「……試験を放棄したのか?」


黒髪に、全てを見透かすような灰色の瞳。

少年――リオは小さく呟くと、興味を失ったように人の流れに乗り、静かに倉庫へと向かった。



カイの狙いは、試験放棄などではなかった。


彼が向かった東棟の先にあるのは、これから売買が行われる『特設会場』だ。

裏口に音もなく忍び込むと、壁の通気口に耳を当て、カイはコレクターたちの会話に神経を集中させる。


(……最近、亡き妻の故郷で焼かれたという素朴な陶器を集めていてね。彼女を思い出すんだ)


(馬鹿馬鹿しい。感傷で値が決まるか。俺が欲しいのは、歴史に名を残した武具! 特に、悲劇の騎士の伝説には心惹かれるのだ)


金持ちたちの個人的な好み、感傷、そして『どんな物語になら大金を払うか』という欲望の輪郭。

カイはそれらを驚異的な速さで記憶に刻み込むと、満足げに口の端を吊り上げた。


一方、埃とカビの匂いが充満するガラクタ倉庫。

リオは、ごった返す受験者を気にも留めず、悠然と歩を進めていた。


彼の灰色の瞳には、他の者には見えない世界が映る。

――品々から立ち上る、魔力の残滓。歳月が堆積したオーラの色。


ほとんどがくすんだ灰色に見える中、リオは倉庫の奥にそれを見出した。

微かに、しかし気高い白銀の光を放つ一点を。


(古代王国の儀礼用短剣……間違いない)


その時、情報収集を終えたカイが、まるで散歩でもするかのように倉庫に現れた。

彼はリオが見出した白銀の輝きには目もくれず、真っ直ぐに薄汚れた木箱へと向かう。

そして、中から取り出したのは、誰もが見向きもしない『錆びた鉄の盃』だった。


リオは、カイの理解不能な行動に、呆れを通り越して一種の警戒心を抱く。


(戻ってきたのか……。よりにもよって、あの鉄屑を?)

(一体、何のつもりだ……)



特設会場は、金と時間に余裕のあるコレクターたちの、品定めをするような視線で満ちていた。


まず、リオが壇上に立った。

彼は手にした短剣を恭しく掲げ、その歴史的価値を冷静かつ完璧に説明していく。


「この短剣は、三百年前の“銀の王朝”後期のもの。柄に刻まれた紋様は、王家にのみ伝わる守護の術式です」

「素材にはミスリル銀が少量ですが含まれている。故に、今も魔力を通しやすい」


その圧倒的な知識と揺るぎない『真実』の力に、コレクターの一人が深く頷いた。


「素晴らしい。君の眼は本物だ。その短剣に5ゴールド・リーブラを払おう」


リオは静かに一礼し、壇上を降りた。

堅実な、そして誰もが納得する成功だった。


そして、カイの番が来た。

会場の誰もが、彼が手に持つ錆びた盃を見て、失笑を漏らす。だが、カイは臆さない。

彼は壇上の中央に立つと、パンッと一つ景気良く手を打ち、その声は不思議な熱量で会場の空気を震わせた。


「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 手前(てまえ)、生まれも育ちも名も知れぬ、しがない旅の若輩者(じゃくはいもの)でございます!」

「ですがね、そこの厳つい顔の旦那様! あんたのその目はごまかせねえ。ただの金儲けじゃなく、男のロマンってもんを追い求めて、ここへ来たお人だ。違うかい?」


その言葉に、例のコレクターが、ピクリと眉を動かす。カイはその反応を見逃さず、ニヤリと口の端を吊り上げると、芝居がかった仕草で盃を掲げた。


「へへっ、図星だろう? さあ、旦那によく見ていただきたいのが、手前のこいつでございます。なんだい、ただの薄汚ねえ鉄くずじゃねえかって顔してるね? とんでもねえ! 物の値打ちってのはな、表っ面だけじゃ分かりゃしねえもんでございますよ」


「こいつぁな、今から百年も昔の話だ。傾きかけた王国に、たった一人、最後まで忠義を尽くした馬鹿正直な騎士がおりやした。皆が逃げ出す中、故郷と愛する人を守るため、たった一人で敵の大軍に立ち向かっていった…人呼んで“鉄錆の騎士”!」


「その騎士がね、死地に向かうその朝に! 今生の別れと覚悟して、この盃で故郷の水をくいっと飲み干し、こう言ったそうでございます。『この一命、我が誇りに捧げん』と!」


「この痛々しい傷! こいつぁ敵将と渡り合った、誉(ほま)れの太刀筋!」

「そしてこの鈍(にぶ)い錆! こいつぁ故郷に残した女房子供を想って流した、男のしょっぺえ涙の跡でござんすよぉ!」


カイが紡ぎ出す物語は、狙いを定めたコレクターの心に、矢のように突き刺さった。


「おお…! まさか、あの伝説の騎士の遺品がこんなところに…!」


コレクターは感激に打ち震え、他の客が訝しむのも構わず叫んだ。


「私が買おう! その騎士の忠義と魂に、10ゴールド・リーブラを捧げる!」


会場がどよめいた。硬貨が擦れる音さえ止み、誰もが信じられないという顔でカイを見ている。

壇上のリオは、戦慄していた。


あれは、ただのデタラメではない。

客の心を的確に射抜くために、計算され尽くした『詐術』。

自分の『真実を見抜く眼』とは対極にある力。


人の心の隙間に、偽りの真実を創造する――。


恐ろしくも、あまりに魅力的な才能だった。


試験終了後、喧騒から逃れてきたカイの前に、リオが立ちはだかった。


「……君は、一体何者だ? あの口上……偶然ではないだろう」


汗を拭ったカイは、ニカッと太陽のように笑った。


「さあな! でも、あんたの眼があれば、俺の言葉はもっと“本当”になるかもな!」


そして、彼はリオの灰色の瞳をじっと見て言った。


「俺と組まねえか? 二次試験からは、競売士と鑑定師がコンビで挑むんだろ?」


詐欺師の血を引く少年と、裁定人の血を引く少年。

互いの宿命を知らぬ二人の歯車が、今まさに、カチリと音を立てて噛み合った。

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