独り歩きする思考

@tdnatmoksiht

第1話

頭の中がごちゃごちゃで纏まらない。

やらなければならないことは沢山ある。という事だけは分かっている。

机の上に散らかった書類やらファイルやらが私の頭の中をよく表している。書類の中には提出期限を過ぎたものもあるのだろうが、もはや何がなにか分からない。

朝から重いため息が出る。今日もまた仕事を抱え処理しきれず、いつ未処理が発覚して怒られるのかその不安ばかりが頭の中をめぐる。それでも、解決策は見いだせない。


今年でもう34歳になる。世間一般の34歳と言えば、会社でもそれなりの立場があり後輩をしっかりと指導している事だろう。

私はというと、今だに朝起き出来ず、提出期限は忘れ、しなければいけないことを先延ばしにして生きている。計画性がないので当然貯金も出来ない。税金の追納に追われ首が回らない。


人とのコミュニケーションも苦手だ。遅刻の連絡、体調不良の連絡、他職種のスタッフとのスケジュールの調整、どれも上手く出来ない。

怒られても自分の意見をうまく言えず、なぜか他人のせいにするような事を言ってしまう。人の言葉や態度、視線、ため息、そんな些細な事が気になってひどく落ち込んだり怒ったりする。そして感情に流されるまま過眠し、また仕事が溜まっていく。


私は寝る前に神に祈る事にしている。スマートフォンに自分の失態や異常さを書き留めておき、それを紙粘土で拵えた人形に向かって懺悔する。そしていつの間にか寝てしまい夢を見る。夢の中ではいつも突拍子もない惨劇が起き、何人か死人が出る。そしてなぜか私は誰かにぞんざいに扱われたり、輪に入れて貰えなかったりする。


これが私の1日だ。

毎日ほんの少しずつ、だが確実に、自分の首があらぬ方向に回っていっているような感覚がある。いつかねじ切れて落ちてしまいそうな不安と、むしろそうなって欲しい期待とが入り混じっている。


ある日私は堪らなくなって精神科に電話した。先生は私の話をじっくり聞き、そして激しく責め立てた。あらゆる角度から私を分析し、私という存在がどれだけ周りに迷惑をかけているかを教えてくれた。私は自分の頭を何度も殴り、煙草の火を腕に押し当てた。私は酷く高揚していた。


それから私は毎日先生に電話した。そのうち私の頭は誰が見ても分かるほど、たんこぶで腫れ上がった。私はこの変形した頭が誇らしかった。生きなければならない現実と自分なりに戦っているような気持ちになれた。


この時点で私はもう2週間近く風呂に入っていなかった。周囲の人間が顔をしかめるのが分かった。足はひどい水虫になり、陰茎は赤くただれて悪臭を放っていた。肛門もずっと痒かった。全身を掻きむしり爪の間は真っ黒になった。上半身には大量にフケが散らばっていた。


こんな状態でも私は世界中を探せば一人は自分を好きになってくれる人がいるに違いないと信じて疑わなかった。そして街ゆくカップルを見るたびに、自分が付き合えたかもしれない女性を奪われた気持ちになって、じっとりと僻んだ。世界から相手にされていない感覚だった。世界はパートナーを見つけるためにあり、自分だけがその輪から締め出されていた。


思えば中学生の時、同級生の女子から「〇〇君は気になる女子をさらって乱暴しそうだよね」と言ってしつこく笑われたことがあった。あの時から私は馬鹿にされ続けていたのだろうか。あの女子たちはきっとイジメや売春をしていたのだ。彼女らのどこに他人を馬鹿にする資格があっただろうか。


私は中学生の時に激しくいじめられた。修学旅行で奈良の大仏の前で同級生達から中指を立てられたことを思い出す。彼らは野球部で夏の大会やらに頑張っていた。修学旅行の様子をまとめたビデオを授業参観で見ることになり、私の姿が映った瞬間、女子たちから悲鳴が上がった。親はそれを見て人気者だとでも思っていたのだろう。大会を終えた好青年の野球部達はいやらしい笑みを浮かべていた。あの時、先生は何を考えていたのだろう。先生もまたグルだったのだろうか。


親は私の事を老後の資金源としか見ていなかった。小さな頃からなんの情報も与えられず、勉強勉強と言われた。社会人になり、私は彼らに絶縁状を送った。すると怒り狂った彼らは私の職場まで何度もやってきた。何人かいた友人との連絡も絶った。連絡を絶った瞬間、喪失感と共に心が軽くなるような感覚もあった。そして、かつて友人だった者たちが、苛烈な敵になる未来を想像した。私は彼らとも渡り合っていかなくてはならない。


社会の制度、職場の人間、かつての友人、世間にあふれる夫婦、カップル、そのすべてが敵だった。私の癒しはサブスク映画とコンビニだった。休日は家にこもりきりだった。外に出ても行く当てなどなかった。体重はもうすぐ90kgになろうとしていた。


私は世界から消えてしまいたかった。その事を先生に言うと、どうせ死ぬ勇気などないのだろうと激しく罵倒された。スマートフォンの電源を落としても先生の罵倒は続いていた。


その日、私はある病院で救急当直のアルバイトをしていた。そこへ受診相談の電話があった。子どもが野球の試合中にスパイクで怪我をしたというものだった。

三十分後に、子どもを連れた父親が病院にやってきた。カルテを見て分かったが、父親は私をいじめていた彼らの一人だった。

子供の怪我は大したことなく、レントゲン確認と創処置のみして帰した。

私に彼を責める資格はなかった。いじめを脱した後、私もまた人をいじめたからだ。私に堂々と生きていい資格などない。人を批判することも出来ない。罪を背負って生きるしかない。死ぬことも出来ない。


首吊り用の縄の結び方を調べたこともある。通り魔に刺される妄想をしたこともある。子供の頃に扇風機の回転している羽に指を突っ込んだ事があった。ピンセットをコンセントに突っ込んで感電したこともあった。しかしまだ私は生きている。死んでいれば今はない。そう思うと空恐ろしくなる。やはりまだ生きていたいのだろう。


どれだけ苦しくてもわざわざ他人を害する気持ちにはなれなかった。自分一人がゆっくり腐り朽ちていけばいい。


深夜3時が当たり前になっている。どうしても眠れない。明日の遅刻も確定している。また人に迷惑をかける。だれか私を殺してくれ。先生は殺してもらえと言った。


深夜の私のストレスのはけ口は暴飲暴食だった。ファーストフードを何店舗か周り、コンビニで買えるだけの弁当とスナック菓子、スイーツを買い、炭酸飲料を買い込んでそれを貪り食った。弁当の米を一飲みした時だった。その塊が私の喉を塞ぎ窒息した。一気に冷や汗が出てきた。どんなに力んでも吐き出されない。心臓が何倍もの速度で鼓動した。思ったよりすぐに限界が近づいてきた。私は枕もとのスマートホンを手に取り先生に電話した。電話の向こうで先生は私を罵倒していた。スマートホンの電源は切れていた。もう一ヶ月ほど電気と水道は止まっていた。私は涙を流しながら紙粘土の像を手に取り助けてくれと念じた。力を入れすぎたせいか、紙粘土の像は手の中で握りつぶされてしまった。涙とよだれを垂らし悪臭を放つ私はそのまま意識を失った。


ある若手外科医の孤独死が地方のニュース番組で報道された。彼が住んでいた部屋は事故物件となった。彼が所属していた医局は、人員の埋め合わせ、取材の対応に忙殺されていた。

ニュースには生前の彼を知る人々のインタビューが含まれていた。人柄を肯定する意見もあれば、職場での不安定さ、死の直前の不審な行動を指摘する声もあった。

彼のスマートフォンに残された異常な内容の手記も公開された。


彼は何のために生まれて来たのだろう。私の心にそんな疑問がふと浮かんだ。

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