第8話 養蜂場とスープの甘い朝
夜明け前、空気は湿り気を帯びていた。
まだ世界が動き出す前の静けさ。
だが、このダンジョン都市では、既に一部の住人が働き始めている。
「ぷにっ、ぷにたは朝の水運び~」
ぷにたは今日も元気にバケツを抱えて井戸と畑を往復していた。
ドボルは物音も立てずに納屋の壁を補強し、蜂妖精たちは巣の外で静かに羽を震わせながら朝日の出る方向を見つめていた。
俺はというと、スープ鍋に火を入れつつ、蜂妖精のリーダー・マルラに声をかけていた。
「そろそろ本格的に“養蜂場”を作ってもいいんじゃないか?」
「やっと言ってくれた~。ずっと待ってたのに」
ぷくっと頬を膨らませるマルラに、俺は肩をすくめて笑った。
「最初はただの“勝手に住み着いた妖精たち”だったからな。でも、今やうちの農業の要。野菜に蜜に、花の管理までしてくれてる」
「当然でしょ? うちの子たちは働き者よ。ぷにたに負けないくらい!」
「ぷに~っ!? ぷにたの方が絶対はたらいてる~!」
「じゃあどっちが早く蜂蜜絞れるか、勝負する?」
「やる!」
……なんだこの朝のテンション。
まあ、これがこの都市の“いつも通り”ではある。
俺はふたつのミツバチ型妖精たちをなだめつつ、ダンジョンコア機能を起動し、施設建設の項目を開いた。
《【養蜂施設】:10MP/木製/3区画構造/採蜜・花粉選別・加工所付き》
素材は十分ある。予算も許容範囲。なにより、必要性は十分すぎるほどあった。
これまでは仮設の巣で住んでいた蜂妖精たちも、増えてきている。
その蜜はスープだけでなく、調味料として、保存食としても活躍していた。
そしてもう一つ。
蜜は“贈り物”になる。
魔王軍への土産にもなるし、帝国の貴族が欲しがるのも目に見えている。
都市としての名刺代わりの逸品だ。
「建てるぞ。ここに」
俺が指差したのは、畑の南側。ラフリーフの向こうに小高くなった花畑が広がる土地だ。
妖精たちが最初に勝手に巣を作った、あの場所。
あそこに正式な“施設”として、養蜂場を築く。
マルラが小さく羽を震わせた。
「うれしい……! ここに来てよかった、って、また思える……!」
「働いてくれてる分、こっちもちゃんと環境整えるさ」
建設は昼までに終わった。
木材の支柱に、柔らかな花蜜材を張り巡らせ、屋根は半透明の天然樹脂。
内部には小部屋が区切られ、それぞれにミツバチ妖精たちの巣箱と蜜壺が収められている。
加工室では、蜜を煮詰めたり、花粉を乾燥させたりできるようになっていた。
マルラは巣箱の一つに手を当て、小さな声で囁いた。
「……ここ、あったかい」
都市というのは、こうやって育つのかもしれない。
誰かのための“居場所”が増えていく。
それが一つ、また一つと積み重なって、やがて“誰かの帰る場所”になっていく。
その日の夕方。
俺は養蜂場の初絞りの蜜を使って、スープにひと工夫を加えた。
ほんのり甘く、けれどしつこくない香り。
口に含むと、野菜の旨味の中に、やさしい花の気配がした。
「おいしい……!」
マルラが目を輝かせて言った。
ぷにたも、無言で頷きながら椀を揺らしている。
蜂妖精の一人が、巣の入り口に短冊を結びつけた。
手作りの札には、花のマークと、こう書かれていた。
《この都市に甘さを、ずっと》
静かな、甘い朝だった。
スープの湯気は、今日もやさしく空へ昇っていった。
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あとがき
この第8話では、都市にとって大切な“資源”と“文化”の両立として、養蜂場という施設を導入しました。
蜜という存在は、物語的には「やさしさ」「癒し」「つながり」の象徴でもあり、それがこの都市の価値のひとつになっていきます。
今後、この蜜は“外との交渉”“経済的基盤”としても扱われていきます。
一方で、変わらないのは“朝のスープの温かさ”です。
次回は、新たな来訪者――“言葉を話さない獣人の青年”が現れるエピソードです。
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