第7話 人の不幸は蜜の味
つい一瞬前まで喧騒に包まれていた筈の広場は、今や凍り付いたように沈黙していた。
クリフの背筋をも震わせるアルケの微笑に、場の空気が一瞬にして静まり返ってしまったのだ。
その痛々しい程の沈黙に、ある者はそそくさと背を向け、或いは猛獣が眼前に居るかのように静かに下がり、結果として潮が引く様に人だかりが消えていく中。底知れぬアルケの瞳に囚われた二人は、背筋を震わせ怯えて待つしかないのであった。
「な、何だ、お前からそんな言葉を聞くなんて。どういった風の吹き回しだ?」
付かず離れず、これから話をしようと言うには絶妙な間合いを維持しながら、クリフはゆっくりと問いかける。
右手を腰の手槍に添えるその仕草。既に戦闘態勢ともとれる様相だが、そんなものは意に介さずアルケは言葉を紡ぐ。
「ラザム殿曰く。
気さくな話しかけとは打って変わって、その内容は不穏当にも程がある代物。周囲の人だかりが消えていたから良かった物を、そうでなければ周囲から少なからず余計な言葉を投げ掛けられていた可能性もある。
「まさかとは思うが、お前直接乗り込もうとしては居ないだろうな」
故に、一行を率いる頭目としての覚悟を以って、険しい顔でアルケへとそう問いかけたクリフ。
あれほどラザム族長が念押ししていた『森の盟約』とやらだ、破れば相応に手痛いしっぺ返しを食らうに違いない。
ましてや今いる場所は深い森の中なのだ。得てしてそう言った所には、口煩い古老の
もしもこれが、彼らが手掛けた盟約であるなら。基本部外者も盟約の範疇に入っていると思わなければ、思わぬ箇所で足を掬われる事になるだろう。
「それこそまさか。ボクが出る訳ないでしょう。出るのはあの三人の方。一回くらいは威力偵察しておいた方がいい」
あっけらかんと切り返したアルケだが、言葉ほどにはその眼の色は軽くない。
無論アルケとてその危険性は承知の上。とは言え、それでもなおこの話をするだけの理由も有るのだ。
一度言葉を切り、一頻り首を巡らせ周囲を睥睨するアルケ。その瞳に見据えられては適わぬと、離れて見ていた群衆たちも立ち処に捌けていく。
その姿を見終えてから、少しばかり声を潜めて話を継ぐ。
「援軍の宛てのない籠城程。無意味な戦はこの世に無い。……ラザム殿の族長としての立場は。いまだ流動的な様。じっくりと腰を据えて話を進めようにも。ここで無意味に基盤をひっくり返されては。目も当てられない」
別段、詰問と言う程に語気が荒い訳ではない。
されど、その言葉にはラザムの心中を穿つだけの威力があった。
反駁しようとしたのか、一度開きかけた口は、そのまま何の音も発する事なく閉じられる。
瞑目した後、見開かれた瞳には、諦観の色が浮かんでいた。
「その通りですな。……危急の時故、先代から直接指名される形で私が族長の立場に就きましたが。本来であれば、そこから時間を掛けて族長としての仕事の引継ぎやら何やらを行わねばなかった所、無理を通して私が今の立場に就きましたから、それを非難する者が居るのは当然の事です」
「先代の族長は、どうなされたのだ」
「先日、身罷られました。邪教徒からの追撃を退ける為、病に臥していた身体で無理を為されていた為に……」
暗く沈んだその瞳には、氏族の長が亡くなった以上の情感が込められている。
彼の言葉によるところでは、幼い頃から族長候補として目を掛けられていたのだろうから、先代の族長とも一際親しくしていたのだろう。
そうでなくば如何に火急の事態であろうと、族長の指名就任など陽鬼族の中で出来よう筈も無い。
小鬼なればいざ知らず、如何なる事柄にも議論で以って当たる事を良しとするのが彼らの流儀。一個人の一存で、氏族の行く末を左右する事柄が決められる事など、そうそうある事では無いのだ。
「ならば、猶の事拙速な行動は慎むべきだ。……少なくとも、ラザム殿が関わっていると受け取られかねん状況での軽挙妄動は慎め。どうしてもと言うなら、我等に悟られぬ様、隠密裏に事を進めろ」
じろり、とアルケの顔を睨め付ける様に見下ろすクリフ。つっけんどんで突き放すような台詞だが、その内実は目溢しするために言質を与えるような物。
彼とて一行の
「……申し訳ありません。偏に私が至らぬばかりに、皆様に無用な心配と苦労をお掛けして」
クリフとアルケの視線の動きから察したラザムも、頭を下げず目礼を返す。如何に直情径行と揶揄されようと、幼いみぎりから族長になるべく修練を重ねてきた身の上、衆目を前にしての振舞い方は実に堂に入った者である。
「出来上がった地図の方は、先ほどオッペケぺー殿に手渡しております。……無論、私の知り得る情報は
ついでさらりと溢された言葉はラザムの覚悟の程を匂わせる物で、その鋭い眼光と佇まいは一行の目から見ても、族長として十二分の風格を醸し出していた。
何の衒いも無く自らの身命を俎上に挙げたラザムであったが、しかし一拍息を吸い込み次いで開いたその瞳には、事情を知らぬクリフですらも窺い知れる程の複雑な色が浮かび上がる。
「……ですが、出来ればで良いのです。小鬼の長を務めているであろうサヤン、彼女は生かして置いて欲しいのです」
内心の苦悩を隠しきれぬ捻じ曲がった表情が、ラザムの顔に不気味な影を映し出す。
「幼き恋心故などでは御座いませぬ。彼女は、サヤンは私を凌ぐ程の知恵者。彼女であれば、小鬼族のみならず陽鬼族の者たちを率いる事も可能であり、係る事態が平定されたのちの氏族の者たちの去就を任せるにも申し分ありません。……自らの首は賭けておいて、自分勝手な事をと思われるやも知れませぬが。どうか、氏族の未来の為、何卒宜しくお願い致しまする」
族長として、より多くの民を導く為に。そう語るラザムの顔に私心の色は皆目見られないが、それもまた一族郎党を率いる者の振る舞いの一つ。決して私欲のみでの話ではないのだろうが、だからと言ってこの助命嘆願に何の私情も介在してはいないと、そう断言できる物でも無かろう。さりとて。
「まあ、貴殿の首の行く末については、今議論する事でもあるまい。……森の住民たちが見つからぬ様であれば、下賤な言い方だが貴殿らが大手を振ってこの森を恣に出来るのだ。貴殿の首を差し出すに相応しい相手が居るのかどうか、それを探してからでも遅くはあるまいよ」
足を動かし、何処へとも知れず歩み出したクリフの言うように、ラザムの首が既に切って離された訳でも無いのだ。
そもそも、サヤンとやらが彼の意思を汲み、二つの氏族を平等に率いてくれるかもまだ判らぬ話。これはラザムの勇み足という他あるまい。
「それは……そう、ですな。……申し訳ない、少々気が急いていた様で。しかし、先程の言葉は一字一句違わず私の本心。その時が来ましたら、何卒、宜しくお願い致しまする」
「うむ。その時は、貴殿の成したい様に為すが良い、強くは止めんよ。……だが、これだけ慕われているのだ。もう少し、自分の首の価値を高く売りつけても良いのではないかな」
あれだけひしめき合っていた群衆も、今は既にてんでバラバラ、各自の作業へと戻り広場はすっかり閑散としていた。
故にか。それでもと、居住まいを正し今度はしっかりと頭を下げてまで嘆願してきたラザムの為にも、クリフは依頼達成の為の尽力を再度約束し、一同は一旦その場を離れる。
ちらほら、歩きながらも頻りに周囲へ視線を飛ばすアルケとクリフ。アルケの方は恐らくオッペケぺーの姿を探しての事だろうが、同道しているクリフは何故なのか。
「リーダーは。何故ついて来ているの」
やはり訝しく思っていたのだろうアルケは、足を止めぬまま目も向けぬまま、となりに居る筈の大柄な人影へと疑問を投げ掛けた。
「何故ってそれは、
しかし、その疑問に返って来たのは、やたらと弾んだ白々しい声。
その声にアルケが胡乱気な視線を向ければ、其処に在ったのは予想の通りの気色悪い半笑いの笑顔。
それもその筈、未だ方針は定まりきらず敵の姿も朧気ながら、この男は既に内心やる気に充ちていたのであった。
見ればその足も血気に逸るかのように、やたらと弾んだ
未だ沈んだ様子の集落の空気感からは、厭に浮ついた様子のクリフであった。
「一
隣の冷たい視線と冷めた空気に気付いたのか、矢鱈と早口になって訳知り顔で御高説を垂れ流すクリフ。
その姿に普段の高潔そうな様子は微塵もなく。どうにも三流詐欺師のような、何処か薄っぺらくも暴力的な雰囲気が付きまとう。
「承認欲求。抑えきれなくなった?」
「抑えきれなく、なってしまったなぁ」
故にか、端的に切り込んだアルケの問いに、クリフの口元が三日月のように吊り上がる。
粘着質な、あくどい笑み。
およそ英雄と呼ばれる者の浮かべるそれとは到底思えぬ悪辣な貌に、されどアルケは意にも介さず歩を進める。
「お前の言い振りならば、向かうのはソワラ、ディケイ、ラルヴァンの三人。此方に残るのはオッペケぺーとお前、そして……」
「リーダー」
「その通りだ」
遂には含み笑いすらも堪える様子のなくなったクリフに、そこはかとなく迷惑そうな顔を向けたアルケではあるが、面と向かった抗議も無くただ一歩距離を空けるだけで済ませていた。
それ程に彼の豹変は、或いは発作は日常的に見受けられる物だったからだ。今更大仰な対応を取るほど、彼も暇な訳ではない。
「じゃあ。二人を焚きつけるのはリーダーに任せた。こっちはオッペケぺーに。必要な物資の準備をしてもらってくる」
そうぞんざいに手を振るや否や、踵を返し来た道を戻るアルケ。迷いのないその足取りは、まるで目的地が決まっているよう。
「焚きつけられたのは、此方だったかな?……まあ、良い。何であれ、私の栄達の礎になってくれるのならば、その方が本望だろうとも」
故にクリフもそれ以上背を追う事無く、足早にその場を立ち去っていく。
意気揚々と颯爽と、常の如く威風堂々とした足運び。
その裏側に、黒々とした物を抱えながら。いつもの様に笑って大路を歩き去る。
他者の不幸を、不遇を。自らの飯の種へ、栄達の礎へと変え。それを以って更なる難行へと歩みを進める。
そこにあったのは、まさしく冒険者としての在るべき姿を体現した、天衣無縫の英雄の佇まいであった。
Re:ヴァース WORLD Overture 『第二楽章』~ゴブリンに捧げるパヴァーヌ~ 五十鈴砂子次郎 @pharos
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