第6話 儀式の作法に大差はない


 日が翳り、薄っすらと暗くなりゆく森の中を、奇妙な影が蠢いていた。


 長く伸びた四つ足の影と、同じく天へと伸びた首の影。端から見ればまるでそれは馬か麒麟か何かのようだが、実態を見れば誰もがたまげる事だろう。

 なにせそれは、頭部にくるりと巻いた角を持ち、身体はもこもこの毛に覆われていたのだから。


「あれは、ナンデスカ」

「今日は随分と片言が強いねぇ。……見ればわかるだろ、未確認生命体UMAだよ」

「それで。上手い事言った心算ですか。……滑ってますよ。盛大に」


 周囲の陰鬱な様子を意にも介さず、悠々と足草を貪る首長羊。それを木陰から覗くラルヴァン、ディケイ、アルケの一同も、流石に何時もの調子では居られぬ様で、何処か地に足の付かぬ様子であった。


「……と言うかさあ、いくら何でも、これはやりすぎなんじゃないの?自分達だって生活に困るでしょ、これじゃ」


 そう言うや否や鼻で笑って肩を竦めながら、周囲を視線で指し示すディケイ。

 それもそのはず、陽鬼族ゴブリン達の集落から暫く進んだ地点は既に汚染と浸食が進んでおり、見た事も無いような動植物が至る所で見つかったのだ。


 それも周囲の魔力異常に中てられて、中途半端に魔害物モンスターに変質させられたような物だけではない。

 中には直接、人為的に改変させられたような存在達も散見されたのだ。これを尋常の物と捉える程、彼らの見識もいかれてはおらず。

 結果として、探索行は予想外の足止めを強いられる形となっていたのであった。


「ディケイサン。周囲の精霊エレメントの様子は、どうなって居マスカ」

「安定はしてるよ。少なくとも、既に存在している精霊に干渉出来る程、向こうの技術は高くないようだね」

「この状態で、安定しているんデスカ。……精霊とは、よく分からない存在デスネ。」


 問答の果てに、呆れたような顔を浮かべたラルヴァンだがさもありなん。

 明らかに自然環境にまで影響が出る程、この場の魔力濃度は異常な数値を計測しているだろうに、それで安定しているなら世界の均衡をどのようにして保っていると言うのだろうか。

 

 そんな一同の疑問に対し、ディケイは簡潔に答えた。


「だって、この森一つが消失しても、世界から見れば些細な事でしょ?精霊が介入するとしたら、それこそ黄昏領域ロストベルトが発生するかどうかの瀬戸際位まではいかないと」


「……正気デスカ?そこまで行っては、取り返しが尽きませんヨ?」

「だから止める。……そう言われれば納得出来るが。だからと言って。そこまで行く前に止めろと思うのは。普通の事では?」


 随分と物騒なその線引きに二人がドン引きする中で、一人悠然と周囲の様子を観察するディケイ。

 斥候として至極当然ながらある種異様なその行動、それが功を奏したか、彼の視線が一所に留まる。


「あそこ、見て」


 潜めた声と、少ない口数。異変の内容を悟った二人も、同じように口を噤んで差された指の先を見た。


 離れた木立のその向こう。複数の異形の影に隠れて見え辛いが、其処に居たのは数人の人影。大小様々なそれは、恐らくは邪教徒と小鬼グレムの集団か。

 何やら森の動物を捕まえて、怪しげな儀式に勤しんでいる最中らしい。


 儀式の中心に立つのは一人の小鬼。深く外套の頭巾を被り、その上から幾重にも布を重ねた姿から雌雄の別は付かないが、纏う装束の豪奢さを見るに、恐らくは集団の中でもそれなり以上の地位に居るのだろう。


 その小鬼が、高々と掲げた短刀を、覚束ない手つきで贄の喉へと深く突き刺す。吹き出す返り血に装束を染め、静かに佇むその小鬼を尻目に、取り巻きたちはせっせと儀式の準備に勤しんでいた。

 一人動かぬ装束を身に纏った小鬼とその周囲で蠢く小鬼たちの対比は、森の異様さも相まって、まるで従属者を睥睨する主とその手足たる傀儡のように、一同の瞳には映っていた。


 熱病に浮かされる様に賛歌と舞踏を捧げる小鬼たちを、儀式の中心から一人眺めていた装束の小鬼。一頻り儀式の工程が済んだのか、小鬼たちは揃って黙々と儀式の跡を隠滅し、その様を邪教徒たちは少し離れた場所から見ていた。


 まるで監督か何かのようなその振る舞いに、されど装束の小鬼は何を言うでもなく邪教徒たちも物言わず、装束の小鬼は周囲の取り巻きをつれてさらに森の奥へと踏み進む。


「追いかけマスカ?」


 既に臨戦態勢となったラルヴァンが問い掛けるが、恐らくその内容は索敵では無く掃討だろう。持ち主の心情を表すように、半ばまで抜き放たれた刀身が怪しい光を反射していた。


「いや、止めておこう。……ここからだと儀式の範囲に引っ掛かりかねない。向こうの方から回って、別の方面も見てみようか」


 それに待ったを掛けたディケイだが、その眼は矯めつ眇めつ、去りゆく集団の後ろ姿を捉えて離さない。

 別の機会であれば、逃すことは無かったろうに。

 その事が殊更に気になる様子で、その場を離れて暫くしても、後ろ髪を引かれるように何度も振り向き見返していた。


 そうして暫く周囲を彷徨いて見た一同だったが、他に目ぼしい収穫もなく。

 また先へと進んだ小鬼との接触は時期尚早との意見から、結局そのまま陽鬼族たちの集落へと引き返すのであった。

 

 


「どうだった、収穫はあったか?」


 帰着した一同に向けて、小首を傾げ問いかけたのはクリフ。

 その顔は先刻三人を送り出す前程切迫した物ではないが、真っ先に姿に気づいて声を掛けた辺り、心に引っ掛かるものはあったらしい。


「いくつか、新しく分かった物もあるね」


 そうして森の中の様子と、そこで垣間見た小鬼の儀式に関する話をし始めたディケイ。

 話を聞くごとに嫌悪感に染まるクリフの顔と、何ら気にせず顔色一つ変えぬディケイの様子とが、実に対照的な物だった。

 

 取り分け話が精霊の介入条件の件に差し掛かった時など、鼻息荒くディケイに掴み掛らんばかりに猛っていた程で、その余りの剣幕にラザムが遠くから飛んでくるほどの物だった。


「……まさか、そんな事にまでなっているとは、露とも思いませんでした」


 結局話の流れで共に詳細を聞くことになった陽鬼族の青年族長、ラザムは黙考の後そう答えた。

 どこか歯切れの悪いその返答に、踏み込むべきか一瞬逡巡してしまったクリフをしりぞけ、悪びれる様子もなくディケイが言葉の刃を振りかざす。


「陽鬼族と小鬼、互いに源流を同じくする者同士、昔は交流もあったんでしょ。何か、向こうの親玉に関して知ってる事あるんじゃないの?」


 単刀直入とは良く言ったものだ。これ程までに鋭利な太刀筋、そうそう見かける事もあるまい。

 後にクリフがそう韜晦してしまう程、ディケイの問いかけは端的で、それに対するラザムの反応は劇的であった。


「そう、です、ね。……彼女、『サヤン』と私は、所謂幼馴染の関係でした」


 茫洋とした視線は過去を思い返しているからか、先ほどまでは固く引き結ばれていた口元も、今はほんのり笑みの形に緩んでいた。


「互いに族長候補として、上の者たちからは期待を掛けられ、下の者にはその立場を虎視眈々と狙われる、その労苦と日々の研鑽を称賛し合う間柄でした。……その頃は、どちらの集落も様々な問題を抱えていたので、この森に移住して以来最も盛んに両氏族が交流を持っていた事も、私たちが互いを幼馴染と認識する要因にもなったのでしょう」


「特に彼女は、氏族の中での立ち位置がちょっとあれでしたから、外の世界に居た私との交流が心の支えになっていた、と常々語ってくれていました。……私にとっても、陽鬼族と血を同じくしながらも、生活様式の異なる小鬼たちの話を聞ける機会はとても貴重で得がたい物でしたから、彼女に会える時には常ならず興奮していた事も覚えています」


 思い出を懐古するラザムのその表情は、ほんのりと朱に染まり、単なる友愛以上のそれを感じさせるものであった。


 しかし、次の瞬間にはその視線と口元は、名剣の如く鋭く研ぎ澄まされ、恰も眼前に敵手が存在しているが如く殺気立っていた。


「それが代わり始めたのも、思えば森に見慣れぬ人影が増えだした時期。あ奴等は、口八丁でサヤンを、小鬼たちを誑かし、悪事に加担させているに違いありません!」


 俄かに怒声を挙げたかと思えば、いきり立って拳を振り上げ始めたラザム。

 額に青筋を浮かべ眦を吊り上げたその様は、悪鬼羅刹も斯くやと言う程で、その怒りの程をまざまざと一行へ見せつけたのであった。


「少し落ち着き給え、ラザム殿。貴殿がそう前のめりでは、周囲の者たちが気疲れしてしまうだろうに」


 先の顛末とは打って変わって今度はクリフがラザムを宥める。その様に小首を傾げたアルケは、近くを通った陽鬼族の一人を捕まえ声を掛けた。


「もし。ご老人。一つ良いだろうか?」

「何ですかな?我らの救い主様の言葉とあれば、この老骨、何でも答えて見せましょうぞ」


 頬骨も張り、大きな鉤鼻と乱杭歯が特徴的な陽鬼族に言う言葉でも無いが、柔和な微笑みとでも言うべき表情をしたその老爺が、アルケの言葉に快く答える。

 曲がった腰故、胸を張る事も難しかろうに、一丁前に男を見せようとするその仕草にアルケも釣られて微笑みを返す。


「ラザム殿の普段の様子は。あのように何時も猛っているのか?」


 アルケの指し示すその先には、宥めすかすクリフを振り切らんばかりに猛り狂うラザムの姿が。

 

 一行を、集落の者たちをその背に庇い、敵うまいと知りながらも強大な敵手に一矢報いんとした、先刻の姿と瓜二つなその狂態。

 言っては何だが、温厚で知られる陽鬼族とは到底思えぬ振る舞いだ。


 故にわざわざこうして声まで掛けたのだが。


「ははは、いや、その、……そうですな」


 石のように固まった老爺のその表情に、流石のアルケも聞いてはいけない事だったかと悟るのだが、こうも衆目に晒していては隠し通せぬと観念したか、老爺は疲れたような表情のままに首肯した。


「ラザム族長は……実に勇敢であり、聡明であり、博識であり、何よりも儂らのことを第一に考えてくれております。……しかし、そのですな。……些か、血の気が多いのも事実ではありまして。いやはや、なんと申しましょうか、その、……ね?」


 小首を傾げながら、アルケへと答えた老爺。歯に物が詰まったような曖昧な語り口ではあるが、行間に込められた思いは人の機微には疎いアルケにも、まざまざと伝わっていた。


「まるで。のようである。と」

「いえいえ!そこまでは申しませぬとも!……ただ、まあ。口さがないものは先代族長と比べる事で、ラザム族長を貶めようとする事もままありますな」


 苦虫を数匹纏めて噛み潰したような老爺の表情から察するに、この老爺はそういった手合とは主張を異にしているのだろう。

 それを普段から直接言葉にしているのかはともかくとして、老爺のラザムを見つめる表情は、柔和ながらも何某かの含みを持ったものだった。


 歯痒さか、或いは悔恨か。複雑な色を含んだ視線を向ける老爺に気付かず、ラザムはクリフと取っ組み合いの大立ち回り。

 

 それを見る衆目の視線はやんややんやと囃し立てる者たちと、冷めたような瞳を向ける者とに二分されていた。


「……成程」


「んあ?どうかされましたかな?」


 小さく呟く様に放たれたアルケの言葉は届かなかったか、隣の老爺は呆けたように声を挙げる。

 それに対して如才なくあしらったアルケは、そのまま火中へと足を運ぶ。


 課題は山積、道筋も見えず、五里霧中に暗中模索と凡そ大概な状況ではあるが、そんな事は何時もの事だ。


「リーダー。少し。お時間宜しいですか?」


 秘策なんぞは欠片も無いが、大体の事は腕力でどうにかなるのが

 故に此度も同様に、大風吹かして押し退けて見せようではないか。


 そんな事を考えつつ、口の端を歪めて笑う邪悪その物なアルケの貌に、知らず知らずの内にクリフとラザムは背筋を震わせ、互いに死角を守ろうとしていたのであった。

 

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