第2話 始めは強く当たって後は流れで


 それは一瞬の出来事であった。


 陽鬼族ゴブリンの青年が、その身を賭して一同が逃げ出す時間を稼ごうとした、その刹那。ディケイの番えた弓から、銀色の光が迸ったのだ。

 鈍く輝く矢は風を切り裂き、まっすぐに森の闇へと吸い込まれていく。


 直後。確かな悲鳴と何かが倒れる鈍い音が、闇の奥から響いてきた。


「ディケイ、何を……?」


 訝し気な声を上げたクリフに対し、弓を下ろす様子も見せずディケイはただ静かに口を開く。


「数ばかり多い烏合の衆、先手を取れば簡単に崩れる」


 声音同様に冷え切った目線の先、闇の中に蟠る敵意の波濤はその発言通り、確かに先ほどよりもその勢いを減じている。

 一拍、ほんの寸暇なれども長すぎる時間が過った後に、漸く闇の中から影が形を帯びて転び出て来た。


「グギャオオオ!」


 獣のような咆哮が静寂を破る。

 緑色の硬質な皮膚に、見る者の恐怖を煽るような赤く濁った瞳。

 手に持った粗末な棍棒を振り回しながら、黄ばんで汚れた牙を剥き出しにして、猛然と広場へと殺到してきたその姿の持ち主は、紛れもない小鬼グレムの群れだ。


「そんな!まさか先程のは先遣隊だとでも言うのですか……くぅ、かくなる上は」

 

 それは数十、或いは百にも上る大規模な群れ。通常ありえぬその様相にはさしもの一行も鼻白み、後に控える陽鬼族もまた狂態を見せるかつての同胞に恐れ慄いている様子。

 一人いきり立っていた陽鬼族の青年もこの数相手では虚勢を張ることも難しいのか、今は苦虫を噛み締めたような顔をしながら何かに悩むような表情をしていた。


 どだい疲弊しきった様子の陽鬼族の集団と、狂奔に猛る小鬼の群れでは例え同数であっても比べ物にならぬのは明白。

 元より決死の域ではあれど、この数相手では万に一つも勝ち目は無いと青年も悟っているのだろう。


「アイツは見処有るが……ま、後ろの連中はしゃあないな」


 その様子を見て、惚けたように鼻で嗤いながらそう宣ったソワラ。剣も六絃琴ギターにも手を掛けず、へらりと笑いただ視線だけを対峙する両者に向けていた。


「……このまま見殺しにするのも忍びない……依頼と言うのだから、受けてやっても良いのではないか……?」


 他方オッペケペーのこの言は、純粋に窮地に立たされた陽鬼族を慮っての代物なのだが、そう単純に取らないのが一行の流儀。

 取り分け頭目リーダーたるクリフにとって、このような状況で横槍を入れるのは主義に反する物がある、のだが。


「別に、ソイツらは好きにして良いよ。……でも、アイツは僕がやるから、手を出さないでね」


 柔和そうな外見、穏健そうな雰囲気からは想像も出来ないが、ディケイは『すちゃらか楽団バンドマン』一喧嘩っ早い人物。

 況して全世界のすべての存在よりも自分が一番優先されて然るべき、等と言う頭の沸いた思想の持ち主であり。他者に推し測られる事を何より嫌う彼が、一方的に押し付けられた善意に反発するのは至極当然の事なのだ。


 酔客なんぞより余程酷い、言い捨てるだけ捨て置いて、後は知ったこっちゃないと言わんばかりに一人突貫したディケイ。

 何時もの弓も四絃琴ベースも、今はその手の中になく、携えているのは殺意のみ。


「『夢に滲む赤、回り巡る極彩の世、果なき虚へと滲み出し、甘美なる毒に酔い痴れよ』」

 

「ッ!マズイぞ、総員防御態勢!」

「あんの、馬鹿野郎がっ!」


 常にはない険しい眦。ひりつくその空気にあてられたのか、彼の周りを漂う魔力も今は剣呑な雰囲気を醸し出している。

 その空気感にか、或いはディケイが口の端に乗せた詠唱に危機感を抱いたか。周りを固めていたはずの一行も、慌てふためき逃げ惑う陽鬼族を守るかのように取り囲んでいた。

 

「『地は嘆き、空は愁い、眠りは苦悶の時へと変わる』」

 

「『対空間防御アストラル・シェル』。『対事象防護アンチ・ミューテーション』用意っ。陽鬼族はこの中に!」

「……詠唱破棄せなんだけ、まだマシか……」


 円陣を組み、徹底的な呪文による防護を張る。その様はまるで災厄に対する兵のようで、力無きものが災いに抗する為身を寄せ合うかのようにすら見える程焦っていた。

 

「『色を失い濁り澱み、酸鼻の向こう、地に散じよ』」


 淡々と紡がれる詠唱は、なんと十節にも及ぶ大規模な代物。それは個人が運用可能な呪文の中では最大規模の詠唱数を誇る術式、大規模な戦闘においては条約によって禁止されている程の危険物。


 「『汚濁インピュリティ酩酊レヴェリー』!」


 完遂された詠唱が紡がれきったその瞬間、世界の色が変化する。

 青空は赤へ、大地は黄色へ、木々の緑は白黒へ。否が応にも変化を強制させられた世界が苦悶の声を上げるかのように、あちらこちらから不協和音が響き渡る。


 それは一瞬の変貌であり、されど不可逆的な変化でもあった。


 次の瞬間には正常を取り戻した一行と陽鬼族であったが、それに対する小鬼はと言えば未だ極彩色の空間に取り残されたまま。

 まるで深酒をしたかのように千鳥足で立つ事すらも覚束ないその様に、端から見ていた陽鬼族たちは戸惑いを隠せず、不安げな顔を互いに見合わせているばかり。

 

 しかしそれも次の瞬間、皆耳を塞ぐか目を瞑るか、そのどちらかを強いられる事となったのであった。


 苦悶の声と共に崩れ落ちる小鬼たち。屈強な者も獰猛な者も、狡猾な者も小賢しい者も。皆一様に蹲り、頭を抱え転げ回っていたのである。


「やりすぎだ!もう少し加減しろ、馬鹿者めっ!」


 文句こそは言った物の、持ち場を離れる訳にも行かず、結果どっちつかずな様相を呈する事となってしまったクリフ。いまだ宙を漂う薄紅色の靄がある限り、ほんの一時も気を抜く事など出来ないが故に、その顔はしかつめらしい表情のまま巌のように固まっていた。


「おい、さっさと効果を解除しろ!お前の癇癪で巻き添え喰らうのは御免だぞ!」


 常になく焦った表情を浮かべるソワラもその内心は似たような物。いつの間にか抜き放たれた鉄剣が、許されるなら今すぐにでも弟の首を斬り落とそうと不穏な輝きを見せていた。

 一般的な呪文であれば、術者が気絶ないし死亡した時点で効果が切れる為咄嗟にソワラは剣を抜いたのだが、この呪文は数少ない例外であり術者が死してもその効果は続くのだ。本当に、性根の腐った人物の作であることが窺える。


「別に良いけど、まだ残ってるよ?」


 先ほどまでの狂態は何であったのか、すっかりと憑き物が落ちたかのように普段通りの様子でディケイの指さす先には、その言葉の通りに黒々とした殻に包まれた球体が一つ。忌まわしい薄紅色の靄も寄せ付けず、でんとその場に鎮座している。


「あれは『刻凍の檻クロノ・フリーズ』。小鬼如きに使える筈のない呪文。どこかに術者が存在している?」

「……どちらにしろ、解除せねばどうにもならん……。後はワシらでやるから、お前さんは説教でも受けていろ……」


 口々に話す二人だが、油断なく周囲を見据えるアルケと呑気に欠伸を漏らすオッペケぺー、実に対照的な二人の姿がそこにはあった。

 普段であれば血気盛んに突撃を指示していたであろうオッペケぺーが、こうも呑気にしているのには当然ながら理由がある。


「どこに居たとしても、既に逃げているデショウ。あの呪文は術者を中に取り込めまセン。術者は外に居るしかない以上、今さら探したところで見つかる様な距離には居ない筈デス」


 ため息交じりに解説の真似事をしたラルヴァン。彼にはこの後の展開にも予想がついているのだろう、至極面倒臭そうな顔で肩を竦めクリフへと視線を投げ掛ける。

 

「……だとしても残敵掃討は必要だ、ディケイ、呪文の効果を解け。ついでに説教の時間だ。……アルケは此処で彼らの治療を、私とオッペケぺーが護衛に就く。二人は残っている敵をどうにかしてくれ、方法は任せる」


 呆れた顔を隠す余裕も無く、されど指示は的確に。一行の頭目としての面目躍如といった所か、流石は問題児たちの調教人、暴走列車の躾け役。尤も彼本人は、こんな事で褒められたとて何も嬉しくはないのだろうが。


 それは兎も角、言い付けに従いディケイが呪文を解除するや否や、炸裂音を一つ残してその姿を晦ませたラルヴァン。何だかんだと言いつつも、先ずは遠く離れた森の中から敵の気配を探る辺り、厄介な術者を残して置く気は無いのだろう。居たのかどうかはさて置いて、遠間からの破裂音が森の木々を幾度も揺らす。それはまるで小さな嵐の如き様相であった。

 他方、此方はのんびりと歩を進めるソワラ。抜き放っていた剣は仕舞い、代わりに何時もの六絃琴ギターを手に取って、即興で音を爪弾きながらの闊歩である。森の中、実に風雅な絵面であるが、その実奏でられる音は絶死の刃。いまだ息のある小鬼を狙って、正確無比にその首を一つ残らず斬り落とす、それはまるで処刑人の様な立ち振る舞いであった。


 静と動、或いは暴と穏か。その様は対極ながら、齎す結果に大した違いは無い二人。

 草の根分けても逃さぬとばかりのその威圧に、守られている筈の陽鬼族から押し殺した悲鳴が漏れ聞こえるかのようであった。

 

「ご安心を。陽鬼族の皆さん。私が。あなた方を守ります」


 恐怖に慄き今にも逃げ出しそうになっていた彼らの下に、そんな柔らかくも確たる自負を抱いた声が届く。それはアルケの静かな声だった。

 彼の全身から放たれる癒しの光が、これまでの道中で負傷した陽鬼族たちを包み込み、その傷と心労を急速に癒していく。単純な治癒のみならず対象の心身をも快復させる、熟練の聖職者クレリックだけが使える『活力の息吹ヴァイタリティ・オーラ』の呪文と、癒しの効果を最大限に引き上げる『希望の灯火ビーコン・オブ・ホープ』の連携コンボ

 

 アルケの癒し手としての堂々たる立ち居振る舞いと、その脇に控えるクリフの威厳ある佇まいとが浮足立った陽鬼族たちの心を落ち着け、彼らの間に規律と秩序が戻ってくる。


 その様をしかと見届けたオッペケぺーは、万が一の襲撃に備え、集落跡一つを覆い切る大規模な結界の敷設に一人邁進しているのであった。

 何せ『刻凍の檻』は高位呪文。扱えるのは当然の如く、魔術師ウィザードか聖職者のみだ。そしてこの両者の有する呪文の引き出しレパートリーの中には、『刻凍の檻』と同一階梯レベルに『遠距離転移テレポート』の呪文がある。

 さっきの今で即座に報復に出るような手合いでは無かろうが、それでも備えを怠れば容易く寝首を掻かれる恐れのある相手に対し、無防備で居られるほど一行の経験は浅くない。


 見る者が見れば一目瞭然、そんじょそこらの砦が真っ青になるほど呪文による防護を固められた集落跡。移動する事を勘定に入れていないのか、心配になるほどその守りは徹底していた。

 

「あっ、そろそろ解けそうだよ」


 その変化に逸早く気付いたのは、汗水垂らして一生懸命に働いている一同を尻目に、一人呑気に森の風景を観察していたディケイであった。

 先ほどまでは黒々と光り輝いていた筈のその殻が、今は薄っすら向こうの風景が透けて見える程、頼りのない物へと変貌している。

 水を垂らした薄墨のようにその外殻は刻一刻と色を失い、それに合わせて中身も活発に蠢き始め、粗方掃討し終えて平穏が戻り始めた森の中に、再び剣呑な空気が漂いだす。


 異形の影が俄かにその実像を取り戻すと共に、森中に響く猿叫を奏で始める。

 殺戮の開始を告げるその咆哮は、而して尻切れ蜻蛉に窄まり、虫の声よりも早く小さく掻き消えた。


「……貴様の出番はない。さっさと土に還るんだな」

 

 四つ腕の異形の影のその中央、かつては二つ口があったその場所に、突き立ち輝くのは質実剛健な装飾の手槍。

 腕を振り抜いた姿勢のまま、油断なく周囲を見回すクリフの目には、既に打ち倒した獲物の姿は映って居ない。


 周囲を見渡す一行の目にも、平穏無事な森の姿以外の何物も無く。漸く森での珍騒動は一段落と相成ったのであった。

 されど不気味に蠢く翳りの中に、邪で遠大な謀略が潜んでいる事など、今は誰一人として知る者は居ないのである。

 

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