第17話  新しい日常の始まり


地球の歌声が宇宙に響いてから、一ヶ月。

世界は、穏やかで美しい変化を遂げていた。


東京の朝。

渋谷スクランブル交差点では、人々が全く新しい方法で移動していた。

足音は相変わらず聞こえない。

しかし、歩く人それぞれが固有のリズムを刻み、

それらが重なり合って、美しいポリリズムを創り出している。

真理子は交差点を渡りながら、足元の石畳に感謝していた。

石畳も、歩く人々を支えることに喜びを感じている。

相互の感謝と尊重。

これが、新しい世界の基調だった。



大学の研究室。

健一は、実験器具との「共同研究」を行っていた。

顕微鏡に向かって心の中で問いかける。

『今日は何を見せてくれる?』

すると、顕微鏡が自ら最適な倍率に調整し、

最も興味深い標本の部分を映し出してくれる。

「まるで研究のパートナーみたい」

健一は、器具一つ一つに感謝の気持ちを込めて接していた。

結果として、研究効率は飛躍的に向上し、

新発見も相次いでいた。




丸の内のオフィス。

誠司の会社では、建物全体がチームの一員となっていた。

エレベーターは人々の行き先を察知し、

適切な階で止まる。

空調システムは、各人の体調に合わせて

温度と湿度を微調整する。

「建物が、僕たちを気遣ってくれてる」

誠司は毎朝、オフィスに入る時に

建物に挨拶することが習慣になっていた。

『今日もよろしくお願いします』

すると、壁や床から温かな振動が返ってくる。

『こちらこそ、よろしく』


家庭でも変化は著しかった。

誠司の娘、由美子は植物と友達になっていた。

リビングの観葉植物に毎日話しかけ、

植物の「気分」に合わせて世話をしている。

「今日は少し元気がないね」

「お水が欲しいの?それとも日向に移してほしい?」

植物からの微細な波動を感じ取り、

的確にケアしている。

結果として、植物たちは見違えるほど生き生きとし、

家全体が緑豊かになっていた。



世界各地でも、同様の変化が起きていた。


農業では、作物との対話によって

最適な栽培方法が見つかっていた。

フランスのワイン農家では、

ブドウの木が「今年は少し乾燥気味がいい」

「来月からは水を多めに」などと

具体的な要求を伝えてくる。

結果として、これまでにない高品質のワインが

生産されるようになった。


建築現場では、材料との対話が当たり前になった。

木材は「この向きで使ってほしい」

「この部分に力がかかるから補強が必要」

などの情報を提供してくれる。

鉄骨も、最適な配置を教えてくれる。

結果として、建物の安全性と美しさが

格段に向上していた。


医療分野でも革命が起きていた。

医師は患者の身体の声を直接聞けるようになった。

「ここが痛い」「この薬が効いている」

「もう少し休息が必要」など、

身体が的確な情報を提供してくれる。

診断の精度が向上し、

治療期間も大幅に短縮されていた。


教育では、子供たちが自然に

すべての存在から学ぶようになった。

石ころから地球の歴史を。

木から生命の神秘を。

空から気象の仕組みを。

教科書は補助的な役割となり、

直接体験による学習が主流となった。



皇居の池。

波音/エコーの統合存在は、

これらの世界的変化を静かに見守っていた。

真理子、健一、誠司、老人も

定期的にここに集まり、

変化の状況を共有していた。


「順調ですね」

老人が満足そうに言う。


「争いが激減しました」

「なぜなら、すべての存在の尊厳を

みんなが理解し始めたから」


確かに、世界中で紛争が終息していた。

人間同士だけでなく、

人間と自然の対立も解消されつつあった。


「環境問題も改善してる」

健一が報告する。

「植物や鉱物と対話することで、

地球にとって最適な技術が開発されてる」

「経済活動も変わった」

誠司が続ける。

「利潤最大化より、

すべての存在の幸福を考慮するようになった」


真理子が微笑む。

「子供たちが一番適応してる」

「彼らにとって、これが当たり前の世界」

波音/エコーが頷く。

「これが、地球が望んでいた世界」

「分離ではなく統合」

「支配ではなく協調」

「競争ではなく共創」

池の水面に、地球全体の様子が映し出される。

緑が豊かになり、

海が清らかになり、

空気が澄んでいる。

しかし、最も美しいのは、

すべての存在が調和して輝いている様子だった。

「でも、これは完成形じゃない」

波音/エコーが続ける。

「これから何世代もかけて、

さらに深い理解と調和を築いていく」

「私たちの役割は?」

真理子が問う。

「案内人として」

「この変化を体験していない人たちを

優しく導くこと」

「そして、子供たちに伝えること」

老人が付け加える。

「新しい世界の生き方を」

夕日が池の水面を金色に染めている。

音は相変わらず聞こえないが、

すべての存在の歌声が心に響いている。

調和の歌。

愛の歌。

そして、永遠に続く創造の歌。

これが、新しい地球の日常となった。

(第17話・了)

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