元婚約者の結婚式でスピーチぶちかましたら、英雄扱いされて冒険ギルドに引き込まれた件

千明 詩空

第1話 元婚約者の結婚式でスピーチぶちかましたら英雄扱いされた件

午前十時。青空に教会の鐘が鳴り響く。


本日は良き日。愛し合う二人が永遠の誓いを立てる、特別な日。

それはつまり――婚約者と浮気相手の結婚式である。


「……なんで私、呼ばれてるんだろうね?」


祭壇から五列目、真ん中の席で、レナ=フォン=ヴァルデマルは不思議そうに首を傾げた。

銀糸を織り込んだ淡青色のドレスに身を包み、膝の上には完璧なマナーで手を重ねている。完璧な貴族淑女の姿勢。

その顔には、柔らかな微笑み。そして、瞳の奥に炎のような「何か」が揺らめいていた。


隣に座るメイドのミーナは小声で言った。


「お嬢様、ご無理なさらず。どう見ても招待状の罠ですよ」


「だよねぇ。さすがに、私の鋼のメンタルにもヒビ入りそうだわ。なんなら笑顔の裏側、今スライム寄生してるかも」


「それは困ります。下手したら会場のじゅうたんを溶かします」


「じゅうたんのことだけ?」


「床板に穴があいても補修は我々使用人の仕事ですから」


その真顔に、レナは思わず吹き出した。口元にハンカチを当てて笑いを抑える――それがこの日、最初の理性の防衛だった。




レナ=フォン=ヴァルデマル、十八歳。

中央諸侯領を治める侯爵家の一人娘。

かつて、王国軍第一師団の副将を務める騎士――ルードヴィヒ=エンデルスと婚約していた。


……過去形なのが悲しい。


「浮気相手の腹が膨れてると知ったときの衝撃、今でも思い出すだけで胃にくるんだよねぇ」


「お嬢様。ここ、式場です。せめて“膨れてる”は“ご懐妊”と……」


「ミーナ、言葉を柔らかくするのがマナーだってことは知ってる。でもさ、内容が柔らかくないじゃん」


吐き出される言葉とは裏腹に、表情だけは一切崩さないレナ。さすが、宮廷礼儀の試験で歴代最高点を叩き出しただけのことはある。


式場内に陽気なファンファーレが鳴り響いた。


「おっと、来たね。地獄の新郎新婦登場タイム」


「“地獄”の部分は心の声だけに留めておいてください。声に出てます」


入り口に現れたのは、白い軍礼服に身を包んだ元婚約者ルードヴィヒ。堂々たる体格、キラリと光る長剣の柄、これぞ騎士。

そしてその隣には、ふんわりパールホワイトのドレスに身を包んだ小柄な女性――サーシャ・ベル。


サーシャ。王都の名家・ベル商会の令嬢。

ルードヴィヒとは「偶然ぶつかった」ことで出会い、そこから「偶然お茶して」「偶然手を握り」「偶然寝て」「偶然子ができた」らしい。


――お前らの“偶然”は何回続くんだよ、とレナは心で叫び続けている。


「お嬢様、表情、冷笑気味です。気をつけて」


「はーい」


表面上、笑顔。心の中、毒沼。

今日はそんな状態を保ち続ける、一流の社交マラソン。




式は粛々と進む。


神父の言葉、誓いのキス、そして参列者への挨拶。


問題は――その後だ。


「それでは、新婦のご希望により、特別なゲストスピーチをいただきます」


司会の言葉に、式場がざわつく。レナも怪訝な顔になる。


「……え、私、呼ばれてないよね?」


「いえ、呼ばれてます。招待状の裏面に『スピーチ頼む!楽しみにしてるね♪』ってハートマーク付きで……」


「……それ、私、燃やしたくなる衝動に駆られて灰にしたから見てない」


前方では、新婦・サーシャがにっこりと笑っている。


「レナ様ぁ。どうぞ前へ……!」


ふわふわボイスに促され、会場中がレナを見る。

王侯貴族、将軍、騎士、商人、果ては国王の従兄までいる超ハイソサエティの場で――“前婚約者”が“元浮気相手”の結婚式でスピーチをするという異常事態。


「ミーナ。今すぐ毒でも飲んで死んだほうがいい?」


「お嬢様、毒は体に悪いです」


「だよねー……行ってくる」


無表情を張り付かせたまま、レナは音もなく立ち上がる。


壇上へ。

会場の全視線を受けて立ったレナは、軽く一礼し、唇を開いた。


「ご結婚、誠におめでとうございます」


拍手。

その中に、一部“この空気やばい”と感じている空気読める貴族が混じっている。

レナは、完璧な作法のままに続けた。


「この日が来ることを、私も……いえ、“私だけが”予想していませんでした」


場が微妙にざわつく。

サーシャの笑顔がわずかに引きつるのを、レナは見逃さなかった。


「きっと皆さまは、奇跡だと思っておられるでしょう。だって、たった半年で出会い、愛を育み、婚約を破棄させ、赤子を授かり、結婚式まで漕ぎ着けるなんて――どれほど稀なことでしょうか」


場の空気が“ひゅるるるる~”と冷たくなる。だがレナは止まらない。


「それでも私は信じています。お二人は“運命”だったのだと。なぜなら――」


声を張る。


「私が彼の浮気現場に踏み込んだその日、“あなたが彼の下半身にまたがっていた”というのは、まさに奇跡の遭遇でしたもの!」


シーーーーーーーーーーーーーーーーン。


空気が凍る音が、聞こえた。


式場全体が、サハラ砂漠の真ん中で冷凍魔法をぶちまけたような沈黙に包まれていた。


神父は目を閉じて祈りを捧げ始め、花嫁の母親は指で十字を切り、花婿――ルードヴィヒは、もはや新郎の立場を放棄したかのような虚ろな目でどこかを見ていた。


「……うん、やっぱりあのセリフは強烈だったかしら」


壇上で独り、レナは小首を傾げる。

その顔に浮かぶ笑みは、まるで「私は何もしてませんよ?」と無罪を主張するような、完璧なる淑女の仮面。


しかし、放たれた言葉の威力は竜のブレス並みだった。


「とはいえ、誤解しないでいただきたいのです。私は怒ってなどおりません」


怒ってる者の言うセリフとしては、史上最も信用できない発言だった。


「むしろ、感謝しているのです。あなた方のおかげで私は――」


一拍。


「“愚か者の遺伝子を子に残さずに済んだ”のですから」


パアァン、と誰かのグラスが床に落ちた音がした。


「今やっと分かりました。騎士団の副将という肩書きに惹かれていたのではなく、私、彼の胸筋に幻惑されていただけだったのかもしれません。ええ、皆さま、彼の胸筋ってすごくて――騎士団の訓練場で上裸だったんですよ。びっくりするくらい隆々と」


「レナ様!!」


サーシャが、満面の笑顔で叫んだ。

口角だけは上がっているのに、目だけが完全に笑っていないという貴族の恐怖奥義・“目の笑ってないスマイル”。


「そ、それではこのへんでスピーチは――」


「サーシャ様?」


レナが微笑む。


「ご自身の結婚式で、他人の話を遮るとは……マナー講師が聞いたら卒倒なさいますわよ?」


「」


今、サーシャはたぶん“言葉の魔法”にかけられている。

“何も言えない”という極上の呪詛。


「さて、続きを」


レナは一呼吸置いて、言葉を整えた。


「私は、この二人の幸せを心から祈っております。なぜなら、彼らが“最悪の状態”で結ばれたのだとしたら――」


もう一拍。


「これから先、良くなる未来なんて、きっと一つも無いでしょうから」


ブフォォォォ!!


誰かが吹いた。たぶん、王国騎士団の第三隊長。

隣の貴族夫人が顔を真っ赤にして扇子で仰いでいる。


「これからが、本番です。子どもが生まれたら、夜泣きします。金がかかります。夫は浮気します――あっ、すでに浮気はお済みでしたわね?」


再びシン……と静まり返る会場。


「でも、私には希望があるのです」


レナは、右手を胸に当てた。


「私は、今夜この場を去り、新たなる未来に向かうつもりです。浮気されてもいいと笑うのではなく、浮気する者を笑い飛ばす女として。さあ皆さま、私の門出を祝って――乾杯!」


\カンパーイ!!/


なぜか起きた喝采。


いや、完全に空気を読んで“乗った”だけの人たちだったが、貴族社会とはそういうものである。

沈黙よりは同調。

タブーよりは笑い。

そして、悪役よりは――毒舌ヒロインのほうが今は面白い。




「お嬢様、ほんとに乾杯しちゃいましたけど、よかったんですか?」


式場を抜け出しながら、ミーナが小声で問う。

レナはにっこりと笑った。


「良かったのよ。全部ね。スピーチも、式出席も、あの二人の表情も」


「……復讐?」


「違うわ。“解放”よ」


教会の大扉が音を立てて閉まる。


レナ=フォン=ヴァルデマル、十八歳。

元婚約者の結婚式に出席し、スピーチで精神的カタルシスを得た女。


そして、ここから始まる。


「ミーナ。次の街に行きましょう。男を斬って、酒を飲んで、財宝を見つけるの。婚約破棄のその先へ!」


「それ、ただの冒険者志望では?」


「いいの。これが私の新たな人生よ。タイトルつけるなら――《元婚約者の結婚式でスピーチぶちかましたら英雄扱いされて冒険ギルドに引き込まれた件》!」


「……タイトル長っ」


二人の姿が、朝日の中に消えていく。


レナの戦いは、これから始まる――!




「さあ、今日から君はうちのギルドの“超特別待遇メンバー”だ!」


「え、何そのRPGでしか聞いたことない称号……」


婚約破棄→元婚約者の結婚式で毒舌スピーチ→まさかの拍手喝采→人生をやり直すべく旅立ち→速攻で冒険者ギルドにスカウトされる――

という、とんでもない人生加速をキメたレナ=フォン=ヴァルデマル。


ギルドに足を踏み入れてから、まだ三時間。

なのに、ギルド長から“酒池肉林歓迎パーティ”をセッティングされた。


理由? もちろん、あのスピーチ動画が一部貴族の手によって流出したせいだ。


「いやあ、あんなに貴族って面白かったのかって目から鱗でしたよ!“騎士の胸筋で婚約した”とか、“腹が膨れた偶然”とか、神の啓示ですか?」


「……ギルド長。もし私が剣を振るう気がなかったら、あなたの歯並び今ごろ整ったままだと思うの」


「怖い怖い怖い!でも歓迎は本気ですから!」


見た目は熊、心は犬、体は山――

そんなギルド長・ボルドーの盛大すぎるテンションに、レナは少しだけ“人間の優しさ”というものを信じ直していた。




「で、こちらが本日レナ様を歓迎する特別チームの皆様です!」


ギルド長の掛け声とともに現れたのは――


・真面目で硬派、元騎士団出身の剣士(筋肉多め)

・喋るのが苦手でメモ帳で会話する魔術師(猫耳付き)

・料理と爆弾を間違える錬金術師(本人は自覚なし)

・口は悪いが回復魔法だけは世界一な僧侶(酒好き)


いやもう、ギャグRPGのパーティー構成かな?という面々。


「で、レナさんはどんな役職なんですか?」


猫耳魔術師がぴこぴこと耳を揺らしながら質問する。メモ帳には「ひょっとしてバフ系?それとも毒?」と書かれていた。


「毒は言葉で十分間に合ってるわ。私?……“因果律破壊型元令嬢”かしら」


「それ、職業じゃなくて災害種……」


剣士がポツリと呟いた。なお、彼は完全にあのスピーチのファンらしく、目がキラキラしていた。

レナは椅子に腰掛け、杯を傾ける。


「まあ、戦えるわよ。護身術も一応学んでたし、ドレスで剣を振るうレッスンもしてた」


「ドレスで剣……いや、それ姫騎士ですやん……」


回復僧侶が目を見開く。


「じゃあ、これからはみんなでダンジョンとか行って、魔物倒したり、宝探したり?」


「そうね。でもまず最初に、“あれ”から逃げ切らなきゃ」


レナの言葉と同時に――ギルドの扉が、バァン!と爆音で開いた。


「……やっぱり追ってきた」




現れたのは、今日結婚式を終えたばかりのルードヴィヒ=エンデルス。


白の軍礼服に黒のマント。手には婚姻届らしき紙切れを握りしめ、顔は蒼白。

その後ろからは、怒りに満ちたサーシャがピンヒールで突進してきた。


「レナ様ぁぁぁあああ!!!」


「あなたたち、新婚旅行の途中で何してんの!?」


「式の後、何人もの貴族から“あの娘を囲え”って声がかかって、俺の評価が暴落して!!隊からも外されて!!サーシャには責められて!!」


「いや、それ完全に自業自得じゃん!?」


レナが叫ぶと、爆弾錬金術師が「投げていい!?」と爆弾を取り出した。


「待て待て待て!!まだ何もしてないから!!」


「してないのに来たの!?怖っ!!」


怒号と爆笑が入り混じるギルド。


ついに回復僧侶が「しゃあない」と立ち上がり、神聖魔法の詠唱を始めた。


「天の導きよ、悪しき未練を浄化せしめ――《再婚断絶の祈り》!」


「その魔法、名称が直球!!」


一閃。

金色の光がルードヴィヒとサーシャを包む。彼らは一瞬、浄化された顔になった。


「……もう、いいのかもしれない……」


「ええ、あなたの胸筋よりも、ギルドの冒険者たちの腹筋のほうが美味しそう……」


そして――彼らは無言で去っていった。


扉の外からは、何故かスローモーションで振り返る姿と、風に舞う婚姻届。


「……この国、大丈夫かしら?」


「お嬢様が言います?」


「ですよね~」




夜が更け、宴は続く。

レナは杯を重ねながら、少し笑った。


「婚約破棄も、結婚式も、地獄みたいだったけど……」


新たな仲間。

新たな居場所。

そして、やたら濃すぎる未来。


「……こっちの方が、百倍楽しいじゃない」


ミーナがそっと微笑む。


「お嬢様。どうぞ、素敵な冒険を」


レナ=フォン=ヴァルデマル、十八歳。

今や彼女は、貴族令嬢でも元婚約者でもない――


“言葉で殴る系冒険者”。


そして彼女の冒険譚は、今ここから始まる。

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