【不定期掲載】幻視者の宴

黒岩匠/二笑亭

第1話 ロールシャッハ

「続いてのニュースです。○○市で女性の遺体が発見されました。女性の胸には刺し傷があり、警察は殺人事件と見て捜査をしています」

 

 テレビから冷静ながらも少し抑揚のある女性アナウンサーの声が流れた。

 退屈な朝だ。

 否、退屈なのは朝だけじゃない。昼も夜も年がら年じゅう退屈だ。

 朝食はトーストとハムエッグ、コーヒー。独身男性にとってこのメニューが一番手っ取り早い。だから毎日決まりきったこのメニューを朝食にしている。

 交際している女性もいるが、ここのところマンネリ気味である。

 コーヒーを飲み切って、ハンガーからジャケットを取って袖を通す。鞄を持って部屋を出る。そして退屈な一日がまた始まる。

 決まりきったメニューを食べ終え、社会人のユニフォームとも言うべきビジネスーツに着替え、部屋を出たら、いつもの道を通る。いつもの道を通って部屋を出たら、最寄り駅へ行き、定刻通りにやって来る電車に乗る。

 お互いの素性は良く知らないが車両にはいつものメンバーが顔を揃え、いつも満員だ。

 今日はスペースに少し余裕があった。

 俺はスマホを取り出して、ネットのニュースを眺める。

 部屋のテレビから流れていたニュースと同じ内容のものがあった。

 若い女性の刺殺体が発見されたらしい。事件現場は俺が住んでいる駅から、各駅停車で三つ隣りの駅だ。現在警察が捜査中。情報としてはそれだけ、五行程度しかない記事だった。戻るボタンで前の画面に戻り、スマホの画面をスクロールした。

 殺人、芸能人の不倫等スキャンダル、政治家の汚職、問題発言、国際紛争、戦争。

 テレビやスマホの画面の向こうには刺激が溢れている。

 しかし何故、俺の生活には刺激がないのだろう。

 電車を降りて会社に到着すれば、いつもと変わらぬデスクワーク。

 パソコン画面とにらめっこして、書類作成と経費計算に追われるだけである。

 上司や同僚からの俺の評価自体は悪くはないらしい。

 ただちょっとしたミスで先輩は鬼の首を取ったように俺に嫌味を連発するし、上司の方は昨今の働き方改革やハラスメント問題に表面的は気を遣っているものの、時おり言動に昭和な体質が見え隠れする。

 退屈な毎日の中で、微々たるストレスが蓄積していく……。

 昔から俺はストレスをため込む体質だ。我慢して我慢して、ストレスが自分の許容量を超えると怒りの感情が大爆発を起こす。

 往年の任侠映画は耐えに耐えて最後の最後に敵の組へ殴り込みに行くが、高倉健や鶴田浩二と違って、俺の爆発した怒りには〈義〉が欠片もない。

 この蓄積した鬱憤をどうやって晴らそうか……。

 ここ数年で新たにできた趣味がある。それを考えて現実逃避しよう――




 ロールシャッハテストというのを知っているかい?

 心理テストやら精神分析も今の時代、世間にだいぶ浸透しているから知っているだろう。

 ロールシャッハテストとはインクの染みを被験者に見せて、それが何に見えるかで相手の性格や思考方法を診断するというものだ。

 俺はこれを友人や知人に行う訳じゃない。

 そんなのが盛り上がるのは学生の合コンの席上ぐらいだ。

 俺の趣味はその、“インクの染み”の方、模様を作るのが趣味なんだ。

 見ようによっては様々な形に変容する模様は、万華鏡のようで見ていて飽きない。

 俺がこれまで作った模様は七枚。失くさないように机の引き出しの中にしまっている。

 通勤中は頭に焼き付けた記憶を元に思い出して、ストレス発散しているものさ。

 人の記憶が思ったほど頼りにならないのは知っているだろう?

 自分では鮮明に覚えているつもりでも、実際はそんなにしっかりとは覚えていない。

 だから記憶の中から取り出した模様が、現物とはまた違う形になる。

 元々は〈蟹〉の形のイメージだったものが、朧になって、〈犬〉へと変容する。

 こういうのも、また味わい深いと思わないかい?

 もっと作れるだろうって? 

 俺の作り方は少し特殊なんだよ。

 直近で作ったのは蝶の形のものだ。

 羽ばたく蝶と舞う花弁――いま想像しただけでも綺麗だよ。

 そこの机の引き出し、二段目の引き出しの中に入っているよ。

 見たい? 今日はダメだ。また今度見せてあげる――


 枕で彼女に語ってあげた。

 彼女に自分の趣味について話したのはこれが初めてだった。

 でも肝心なことは教えていない。

 それは模様の作り方だ。

 さっき彼女にも模様の作り方が特殊だと語った。

 それが、どういうことかというと……

 新作の〈蝶〉の模様は、今朝のニュースで報道されていた例の彼女で作った。

 彼女の血で……。

 俺が刺したナイフに着いた彼女の血で……。

 彼女の胸を刺したナイフを紙で拭って出来たのが、あの蝶と花弁の模様だ。

 他の六枚の製造方法も同じ。

 女性を刺殺して、凶器のナイフを紙で拭い、彼女たちの血が模様を形づくる。

 今、俺の傍らで寝ている彼女もいつか俺の作品にしよう。

 どんな模様が一体出来るのだろうか?

 八枚目はどんな模様になるんだろうか?

 彼女が上半身を起こして、俺の首筋に唇を当てる。

 すると――。




 私は彼の首筋に唇を当てた。

 そして思い切り噛みついて、思い切り吸い付いた。

 彼は待ちに待った私の食事だもの。

 甲斐甲斐しく夕飯を作り行ったり、お弁当を差し入れたりもした。

 それは美味しい食事のため。

 ドロドロした血なんて吸いたくもない。だから出来るだけ美味しい血を吸うために、彼の健康管理には可能な限り気を付けた。

 吸血鬼に大蒜にんにくは大敵。

 少量なら私は体質的にそこまで気にならないが人間同様、過剰摂取すればアナフィラキシーショックを起こして死んでしまう。

 彼は元々ラーメンに大蒜を大量に入れるタイプだったが、それを私がやめさせた。

 また体型維持とかいろいろと理由を付けて、一緒にラーメンに行くのも断っていた。

 餃子なんてもっての外である。

 人間の女の子の友達に聞いてみたら、彼女たちも大蒜の臭いは苦手だという。


 そして私の数年間の努力が実り、彼の血は本当に美味だった。

 この美味しい血の育成方法をゆくゆくはマニュアル化しようと思う。

 私はお腹一杯になった。

 その横で彼は枯木のようにやせ細って虫の息になっている。

 もう間もなくしたら、彼は事切れるだろう。

 美味しすぎて、一気に二リットルも飲んでしまったからだ。

 そう言えば、彼が趣味で作った〈模様〉があると言っていたっけ?

 私は引き出しを開けて、その〈模様〉を見てみた。

「何これ……。悪趣味……」

 七枚の白い紙には、それぞれ赤黒い模様があった。

 それらが血で出来ているのは一目瞭然だった。

 彼にとってはとても素晴らしい模様だったのだろう。

 でも私には何が素敵なのか、一切わからなかった。

 それは、血は私たちにとって大事な食糧だから。

 食べ物を粗末にするのは吸血鬼たちの間でも禁忌だから。

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